「教育方法学」

お薦めの本

「教育方法学」佐藤学著

○教育の歴史的な流れがわかり、学校教育に感じてきた
 疑問の原因が見えてきた。

(・引用 ○関根の独り言)
●教育方法学の歴史
・一斉授業は、18世紀末から19世紀初頭にかけてイギリス人のベルと
 ランカスターが考案した「モニトリアル・システム」と呼ばれる教育方法を
 起源としている。
 子供を進度別の集団に分け、一斉に教授する経済的な方法として実施。
○これが今の学校形式の講義につながっているんだな。
・一斉主義の様式の普及と制度化を基礎づけたのが、ヘルバルト主義の教育学。
・ラインは教師の教授活動の手続きを5段階で示した。
 この「5段階教授」は、一斉授業の手続きとして、全国の教室に浸透し、
 今日まで続く定型的な授業の基本的構造を敬しているのである。
○私達が公立小中学校で受けてきた教育、そしてこれから
 長女(6歳)と次女(3歳)が公立小学校で受ける教育がこの流れなんだな。
 学校の先生たちは、こういうことを認識して授業をやっているのかな。
・デューイは、民主主義の社会を学校教育を通して準備しようとした。
○デューイの「経験と教育」「学校と社会」を読んでみよう。
・ボビットとチャーターズによる産業主義モデルのカリキュラム論の普及によって
 学校教育は二重の支配を受けることになった。共通教養と国民道徳によって
 ナショナルアイデンティティーを構成する国家主義の教育と、社会的な実用性と
 企業的な効率性を追求する産業主義の教育の二重の支配である。
○これは大事な点かも。国に属し、いずれは産業社会に多くがでていく現状で、
 学校教育はどうしても二重の支配を受けざるを得ないのかも。
 ここから離れた教育を実践している学校もあるのかな。
・この二重の支配に加えて、学校教育が学力の競争による社会移動の装置として
 組織される大衆社会においては、学校教育は、教育サービスを自由な選択と
 私的な所有および消費として組織する市場主義の支配を受けることとなる。
・「教育目標の分類学」において、ブルームは、教育内容を「認知的領域」と
 「感覚・情動的領域」と「運動・生理的領域」の3領域に大別した。
●日本の教育
・戦後新教育「問題解決学習」や「生活単元学習」の中には「はいまわる経験主義」
 と批判されるような、活動や体験それ自体を自己目的とする反知性主義の傾向に
 陥った実践が多かったのも事実である。
・1958年に法的拘束力を付与された「学習指導要領」の全面改訂は、
 教育課程行政の根本的転換を意味していた。
 カリキュラムと授業を外から官僚的に統制することによって、教育実践の自由と
 教師の自律性と専門性に制限を加える機能をはたしている。
 「学習指導要領」は、その後ほぼ10年ごとに改訂されてきたが、公的基準による
 官僚的統制という制度的性格は今日にいたるまで変化していない。
○ここが、今に続く混乱の一因なのかも。ぶれる軸。振り子。
・東井義雄の「村を育てる学力」(1957年)は、高度成長期の学校が抱え込む
 問題を逸早く洞察して提起した実践記録であった。
 学校が追及してきた「学力」は「村を捨てる学力」だり、教科の内容は
 子供や地域住民の生活文化の中で再構成されなければならない、というのが
 地域に根差す教師たちの主張であった。
○これは確かにそうかも。学校を出た子たちは、都会に出たがる。
 都会で必要とされる職につくために。学校がなければ、村に留まっていたのかも。
 学校は、中央(東京)志向、産業力志向、市場消費志向を作ってしまうのかも。
 東京にいる官僚たちが正しいと考える方向に向かせようとするのだろうから
 ある意味当然なのかも。
・高度成長による経済発展が世界の脚光を浴びた1980年ごろ、日本の学校や、
 量的制度拡充のピークに到達している。学制以来の教育の近代化の終焉である。
 ちょうどこの年、中学校に校内暴力が吹き荒れ、以後、自閉、登校拒否、
 いじめ、学習からの逃走など、学校教育の解体を示す危機的な現象が今日まで持続。
 これらの危機が一挙に押し寄せた原因は、近代化の達成に伴って学校の
 規範性と正統性が衰退した事情に加えて、受験競争の激化と管理主義の指導による
 学校の窒息状況、教師の権力的・権威的指導など、日本の学校が抱え込んできた
 問題が噴出したことにもよっている。
○1980年は、ベビーブーマー世代である自分(1972年生)が、8歳(小3)の頃。
 
 小6から中1時代に感じた学校の先生たちに対する疑問、不信感は、
 この流れの影響なのかも。
 今、自分の世代で教育問題に取り組んでいる仲間が多いのは、このころ受けた
 教育に問題を感じたからかもしれないな。
 「怒り」が、突き動かしたのかも。
・日本の教育改革は、長年欧米諸国の教育をモデルとすることで活路を見出してきた。
 もはやモデルを海外に求めることはできない。国境を越えて共通する教育改革の 
 課題について豊富な研究と実践の経験を交流し学び合うことがこれまで以上に重要。
●授業のパラダイム
・1960年代以降、行動科学のパラダイム
 「過程―産出モデル(Process-product research)」が普及。
・1970年代に行動科学への批判が顕在化し、1980年代から1990年代にかけて
 教育理論のパラダイムを根本的に転換する運動へと発展。
・2つの授業概念
 「模倣的様式 mimetic mode」知識や技能の伝達と習得を基本とする授業様式
  (アジアでは支配的な文化)
 「変容的様式 transformative mode」学習者の思考の態度や研究の方法を形成する
  (欧米では支配的な文化)
・模倣的様式の長年にわたる伝統を基盤として、変容的様式への脱皮を求められて
 いる点に、日本の授業が直面している大きなジレンマがある。
・1980年代の半ば以降、「技術的実践 technical practice」から
 「反省的実践 reflective practice」への転換が議論されてきた。
 ショーンは、現代の専門家は活動過程における省察 reflection in actionを
 原理とする「反省的実践」において専門性を発揮していると主張。
 「技術的実践」は破綻。問題はどれも複雑な総合的な問題であって
 専門家された狭い領域の「技術的実践」では対処できない。
・ベラックらの授業分析により、教室の言語ゲームは「誘引」「応答」「反応」の
 3つの組み合わせで遂行されている、一般の授業は教師主導で展開されている、
 等が明らかになった。
・メーハンは、教室の会話では評価が介在する点に注目。一般の会話では主導権が
 相互に転換するのが普通であるが、教室の会話では一貫して教師が主導権を握る。
○こういうことを、学校の先生たちは自覚して、子供達とやりとりをしているのか。
 まさに反省的実践が必要なのが、教師なのかも。
・キャズデンは、次のようなメタファーを用いている。
 教室は特異な言語で構成された文化的共同体であり、教師はその言語を母語と
 して駆使している「先住民」である。他方生徒は、この特異な文化的共同体へ
 新参者として渡来してきた「移民」であり、まずはこの共同体の言語の文法を
 習得し会話を成立させるところから学習へと参加するのである。
○この4月に小1になった長女は、まさに学校で
 この「参加」を体験しているのだろうなー。
 疲れているのか、新しい環境のためか、普段と少し様子が違うことも多い。
・1970年代以降「ヒドゥン・カリキュラム(潜在的カリキュラム)」に関する
 問題が注目されてきた。
 「学校教育の過程に潜在している政治的イデオロギー的な社会化の機能」
 が、ヒドゥンカリキュラム。
・ジャクソンは、教会、刑務所、精神病院になぞらえる教室の経験の特徴を
 「群れ」「賞賛」「権力」という3つのキーワードを設定して読み解いている。
 たえず「群れ」として存在し「賞賛」という評価が伴い、大人の「権力」が
 作動している場所が、教室である。
○自分が小6から中学生時代に感じていたことは、これかも!
 ここに違和感を感じ、そこから逃げ出したいと感じていた自分を責めていた。
 大人のやることだから、きっと正しい。間違っているのは自分なのだろう、
 と思っていた。
 アメリカの大学に行って、そうではないかもしれないと思えたのが、
 最初のきっかけかも。
 もしかすると、娘達も学校に関して、疑問や違和感を感じるのかもしれない。
 そのとき自分には何ができるのだろう。
・ジャクソンは、教室を「Company(企業社会の雛型)」として描き出しており
 ヒドゥンカリキュラムの機能を、企業社会の労働者への社会化として認識。
○これは、深い意味があることなのかも。
 企業で若者を預かる側は、
 ある意味、従順に、与えられた仕事をこなし、
 かつ、創造性を発揮し、与えられた仕事以上を行ってくれる人
 という人材を求める。
 大勢の従業員的人材は学校で作れるのかもしれない。
 少数の起業家的人材は難しいのかも。
 かといってあまりに「とがって」いると、集団から受け入れられないだろうし。
・イリッチは、ヒドゥンカリキュラムのきのうによって学校教育による
 「無能化」の過程を説明している。
 学校は「消費社会」と「労働市場」への「通過儀礼(イニシエーション)」と
 して機能し「新しい世界教会」である「知識産業」から調達される「知識」と
 いう「アヘン」を分配し調合する装置になっていると批判。
○これもあるかも。周囲のほとんどが行く学校に行くことを通して同化していく。
 そこで与えられる価値観に染まっていく。
 マトリックスのように、だんだん気づけなくなるのか。
 でも、そんなに否定的に見ることもないのかな。
・ウィリスは、学校文化に反攻する生徒たちの生活誌の様態を分析し、彼らが
 支配的な文化への反逆を通して皮肉にも労働者階級の最下層に組み込まれていく
 過程を描き出している。
○20代前半に、ガテン系のバイトをしていた。その時に感じたことに近いのかも。
 腕っ節が強い、喧嘩口調が怖い、馬鹿話が面白い・・・
 こういう人は、その社会に溶け込んでいる。
 
 考えることをやめてしまうと、抜け出せなくなる。
 だからといって、抜け出すことが善とも言えない。
 ただ、自分は常に考えたい。
●教師像
・1980年代半ばまでは、教師は中央の機関や専門の研究者が開発するカリキュラムを
 教室への流し込む「導管(パイプ)」以上の役割をもっていなかった。
・1980年代以降、教師に対する官僚的統制が強化され、世論を動員した教師の
 「スケープゴート化」が進行している。
○官僚のやることは注意して見ておかないといけないな。
・現実の教師は「専門家」としてではなく「公僕 public servant」として存在。
 
 教育法規や行政の文書では「教師」ではなく「教員」という用語が使用されている。
・「反省的実践家」をモデルとする教師たちは、個別具体的な実践の中の
 「出来事」を「語りの様式」で記録し交流し合う方法で「無能化」に対応。
 リトルは、専門家としての同僚間の連帯という要素(同僚性)が、学校教育の
 成功を決定づけるもっとも大きな要因として機能していることを報告。
○今、自分が考えている「地域住民(外側)による学校(内側)支援」は
 実際むずかしいのかも。
 独自の文化をもつ先生たちにとって、外からの関わりは迷惑なのかも。
 
 保育園時代の父ちゃん仲間に高校の先生がいた。
 彼ですら外部からの関わりには否定的だった。
 逆に、同じ文化内の同僚同士の連帯の方が効果的。
 そうすると、学校の外側にいる親として何ができるのか。
 元杉並区立和田中学校 藤原校長の事例がある。
 できることはきっとあるはず。
・教師の成長の契機となっているのは、まず教室の内側の自らの実践に対する
 反省と批評であり、次に学校内部の研修の機会であり、そして教師相互の
 インフォーマルな実践の交流である。
○外の人間が学校内部をかき回すことにより、中での話し合いや交流が
 生まれるかも。
 いわゆるモンスターペアレントにより、教師間の相互交流が活発になるとか。
・社会から隔絶して「教え」の制度として君臨してきた学校は再定義を
 迫られているのである。

投稿者:関根雅泰

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