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2009年07月31日

「デジタルメディア社会」


「デジタルメディア社会」

 水越 伸


○メディアがこれからどう変わっていくのか。
 なんとなく見えてくる。

(・引用/要約 ○関根の独り言)


●メディアの未来の歴史

・メディアに表彰された未来のイメージが現実を統率。

○人が思ったことが、現実になる。
 無意識にそこに近づけようとする?


・メディアは社会的生成物である。

・電信というメディアが、鉄道などと相関しながら、
 近代日本国家そのものの外骨格を確立していったのである。

・デジタルメディアは、新しい情報技術によって突然日本社会に
 現れたのではなく、およそ100年前に現れた電気メディアと社会の
 相互作用の歴史の延長線上に位置づけられるべきものである。


・プラトンが文字メディアリテラシーを進めたことへのすさまじい反発が、
 当時のギリシャ社会に渦巻いていた。

・マスメディアは、インターネットという新しいメディアに対する違和感と、
 排除の論理を働かせている。

●遊具としてのメディア

・無線少年のビジョンであるリアルタイムでインタラクティブな
 ネットワークを形成し、それによって民主主義を発展させていこうというのは、
 インターネットと同じ。

○その後、無線ラジオはマスメディア化していき、またミニコミ化もしている。
 そのような道をインターネットもたどるのか。

 少数の大資本が、ネットメディアを支配し、その影で小さなメディアがある?


・メディアと人間の関係の基層には、遊びという営みが介在している。

・ホイジンガは、遊びを文化や社会の根幹をなす重要な活動と位置づけた。

・鶴見は、marginal art 限界(周縁)芸術という考え方を、
 純粋芸術、大衆芸術と比較して提唱した。

・岩井俊雄は、限界芸術から始まり、常に人間の身体から出発して、
 アート作品を生みだしている。

・デジタル情報技術の進展は、市場原理という「神の摂理」に任せたところで、
 コミュニケーション空間の多様性を保障はしない。
 私たち自身が主体的に動かないと。


●メディアリテラシーと人間像の転回

・メディアリテラシーとは、人間がメディアに媒介された情報を、
 送り手によって構成されたものとして批判的に受容し、解釈すると同時に、
 自らの思想や意見、感じていることなどをメディアによって構成的に表現し、
 コミュニケーションの回路を生み出していくという複合的な能力のこと。

○「批判的な受け手と能動的な送り手」になれる能力?


・メディア使用能力、メディア受容能力、メディア表現能力の3つが
 複合的にからみあって、メディアリテラシーを構成。


・明治政府が近代学校教育制度を定めた際、そのモデルとしたのが、
 軍隊教育であった。教師はあらゆることに精通し、つねに正しい判断を
 下す聖者のように位置づけられた。

 この教師主導の教育スタイルが、現在に引き継がれている。

○変えていく必要があるよなー。その試みの一つが協調学習か。


・メディアリテラシーをめぐる実践を、既存の学校という枠組みだけでなく、
 その担い手を、マスメディアや地域活動など、多極化させていく必要がある。

・メディアリテラシー論は、新しい人間像(批判的聴衆でもあり能動的な
 表現者でもある)を提示してくれている。


●新しいメディア表現者たちとジャーナリズム

・ビデオジャーナリズムは、良質な文化人類学者がフィールドワークに
 カメラを持ち込むような活動をする。

・既存のテレビ報道の論理は「よいTV映像とは、非日常的なドラマのような、
 あるいは絵のようにきれいな映像」これに従って情報が選択、加工される。

・新聞や雑誌は、最終的には紙の束という物質になることで、言論表現の
 独立を維持してきた。

・伝統的なマスメディア事業体と、デジタルの文化は基本的に相性が悪い。

・ジャーナリストは、どこの会社に属しているかということよりも、
 個人の能力の方が大事。日本では違う。


●アジアに越境するメディア

・「アジア」という概念は、オクシデンタリズムに対する
 オリエンタリズムの中で生み出された政治的な言葉。

 「アジア」は、ヨーロッパ文化の外部に周縁として位置づけられ、
 帝国主義的な排除と支配の対象になることによって、ヨーロッパ文化の
 アイデンティティーを確立するという役割をふられてきた。

・日本社会の「中心」にいる、男性、大都市近郊居住、大組織に属する人は、
 マスメディアが提供する情報にどっぷり浸って生きていればよい。

 「周縁」にいる、外国人、女性、地方居住者、高齢者は、
 そうした情報に違和感を感じざるを得ない。

・アジアのテレビ、映画、音楽の前に、乱暴に身体をさらしてみる
 ということが重要になってくる。

○メディア、情報に関して、まとめて本を読んできたが、
 キーワードは「身体」なのかも。

 生身の身体を基盤にして、物事を考える。
 頭の中だけでは考えない。身体で感じることが大事。


・地域のマスメディアは、全国的マスメディアの小型版であることをやめ、
 多様な市民の表現とコミュニケーションの広場を目指すことも一つの未来像。

 メディアビオトープそのものになっていく。

・小さな物語を支え発展させていく。


●デジタルメディアと公共圏

・デジタル情報化によって、人々は複合的なメディアリテラシーを
 身につけないまま、サイバースペースに泳ぎ出すことになっている。

・耐えざる技術革新とバージョンアップにより、メディアと自分達との
 関係性を常に意識せざるを得ない状況

・経済格差は、情報格差、メディアリテラシーの有無に色濃く反映している。

・インターネットのマスメディア化

・インターネットはテレビの進化形という見方もある。

・表現への欲望と新たな共感が、自律的な公共圏を生み出す際の要件。


●メディア表現、学びとリテラシー

・国民メディア文化が崩壊し、アメリカ的なグローバルメディア文化が
 流入する。これと並行し、一般市民によるメディア表現活動が進展する。

・メディアのあり方に主体的に関わっていく責任がある。


○いきなり大きなこと、あれもこれもできない。

 まず自分にできることとして、町の良さを発信するブログを続けていこう。
 これを種にほかの人との結びつきができるはず。

 「小さな物語」を大事にしていこう。

「デジタル社会のリテラシー」


「デジタル社会のリテラシー」

  山内 祐平


○メディアリテラシーを身につけさせる教育の実践例が面白い。
 やってみたくなる。

(・引用/要約 ○関根の独り言)


・本書では百家争鳴のリテラシー概念について整理し、
 なぜデジタル社会のリテラシーを学ばなければならないのかを考える。

・一人で本や機械と格闘しながら学ぶのではなく
「学びのコミュニティー」の中で、意味を感じながら
学ぶための方法について紹介する。

○俺が今本を読んで、その内容をブログに書いているこのやり方は
 まさに「格闘しながら学ぶ」という感じだな。

 今俺がやっていることを、他者と協力しながらできるか?
 それをやるためには、同じようなことに興味があり、
 同じぐらいのレベルの人と集まる必要があるのか。

 大学院に期待していることに、そこもあるのかも。


●混迷するリテラシー

・教育の現場においては「情報リテラシー」「メディアリテラシー」
 「技術リテラシー」の3つの流れがある。

・「情報リテラシー」はあふれる情報に対処するためのもの

・アメリカの「インフォーメーションリテラシー」は、
 図書館情報学分野を中心に提唱されてきた

○そういえば、アメリカの4年制大学に編入した最初の学期(1993年ごろ)に、
 図書館で資料の調べ方とか図書館の使い方とかを授業でやったときがある。

 そのときは「なんでこんなことをわざわざ学ぶのか」と思ったが、
 教わったことのいくつかは活用できた。

 当時は、まだカードで本を探していたように思う。

 パソコンも何台かはあったが、皆に行き渡るという状態では
 なかったように思う。


・1990年代、東京の苅宿教諭による授業から、コンピュータを
 道具として利用することで学びを支援するという動きが広がっていった。

・情報リテラシーは、情報の処理とその加速を重視している。


・「メディアリテラシー」は、メディアを読み説くこと、
 批判的にみるためのもの

・マスメディアに現れている「現実」は、
 「送り手によって構成された現実」である。

 我々は人工的、社会的に構成された現実の中に生きている。

・メディアとふれあうことは、きわめて日常的な行為であるのに、
 我々はそのことに無自覚である。

 メディアリテラシーは、無自覚に行ってきたことを、
 意識のレベルに引き出し、自分のメディアの関係について、
 反省的にとらえることを可能にする。

・日本では未だに啓蒙主義的な考え方が幅をきかせている。

 教師は本や新聞などの文字メディア以外に関心が薄く、
 特にテレビなどの映像メディアに関しては「大衆メディア」として、
 あまりいい印象を抱いていないことが多い。

○アメリカの短大に行っていた頃のサリバン先生は、歴史を教えるときに、
 映像メディアを多用していたよな。文化人類学のシャン・ウィン先生もそうだ。

 実際に自分がやるとしたら、映像メディアを教材として使う際に、
 まずその情報を集めることが大変(いつ、どの番組に使えそうな情報が
 あるかわからない。本はそれがつかみやすい)なのと、
 使用する許可が日本では面倒くさそう。著作権など。

 でも、映像メディアを教材として使いたい。
 今はユーチューブでも探せる。もう少しやってみよう。


・メディアリテラシーを学校で教えることは、矛盾をはらんだ営みである。

 学校は啓蒙主義的な「メディア」として機能している空間であり、
 教師と学生の間には一種の「送り手ー受け手」の関係が構成されている。

 メディアリテラシーは、教師と学習者の関係に関しても、
 本質的な反省をせまるものなのである。

・「技術リテラシー」は、情報技術とつきあうためのもの

・技術リテラシーは、読み書きという側面よりも現代社会を
 生きるための知識や教養という色彩が強くでている。

・デジタル社会においては、技術的要因が様々な領域で影響を
 及ぼすようになるが、それでも限定的である。

・「情報リテラシー」は、教育工学や認知科学

 「メディアリテラシー」は、メディア論、カルチュラルスタディーズ、
               批判的思考研究、視聴覚教育

 「技術リテラシー」は、情報科学や情報工学、技術教育などが支えている。

・お互いほとんど重なりがないため、お互いの主張を知る機会すらない。

・学ぶ側に実質的なメリットを提供するためには、
 この3つの領域のリテラシーを統合的に扱う必要がある。


●デジタル社会のリテラシー

・物語の構造(はじめから終わり)は、
 文字文化による影響(ページが順番に続く)

・「大分水嶺理論」は、文字の獲得によって人間の知的発達に
 革命的変化が起こったと主張する

・ユネスコの機能的識字(Functional Literacy)は、識字率の向上に
 貢献したが、現状の社会をそのまま受容し、そこへの適応を目標にする事に
 対する批判も行われた。

・P.フレイレは、従来の識字教育で行われてきた
 単語や文章の記憶中心の方法を否定し、

 貧しい被抑圧者が自らの社会に批判的に関わるプロセスの中で
 文字を学ぶ方法を開発した。

 フレイレは、従来の暗記中心の教育方法を「銀行型教育」として
 批判し「課題提起型教育」を提唱した。

 これは対話の中で現実から問題を認識していくプロセスを重視する。
「世界の意識化」が重要な概念。

 文字をもたないということは、自分を取り巻く世界との関係を
 築けないことを意味する


・フレネは、子供達が思いついたときに、興味関心をもったことを文章にし、
 それを印刷して学校の中で活用した。


・フレイレもフレネも、文字で書き表すことで状況を可視化し、
 操作可能にし、共有可能にするという点で共通している。

・いったんリテラシーが持っている「力」を経験し、
 新しい思考を切り開くことができたり、コミュニティーに
 認められるような経験をすれば、次の学びへの強い動機づけとなる。

○俺がメルマガを初めて出して、読者が100名ちょっと集まったとき、
 感じたのもこれだったなー。
 
 自分が発信する情報に興味をもってくれる人がいる。
 組織の中にいたときは認められなかった力が、外に出してみたら
 認められた。うれしかったよなー。


・ロシアの心理学者 レフ ヴィゴッキーは、2つの大きな柱から
 なる理論を打ち立てた

 1)人間の活動が道具、記号によって媒介されていること
 2)高次の精神機能が社会的に構成されること

 言語を獲得するプロセスでは、大人達のまねをすることから始まり、
 言葉を発することで大人がどう反応するかを見ながら、相互作用の
 中で意味が構成され内化されていく。

 学習は本質的に社会的であり、個人の生物学的な環境適応活動だけに
 還元することはできないと主張。

・ZPD(zone of proximal development)最近接発達領域という
 アイデア。これは子供だけで解決できるものと、大人などの支援があれば
 活動できるものと、人間の発達における水準が違うものがあると提唱。


・ホールの「エンコーディング/デコーディング」という考え方

 エンコーディングは、送り手がメッセージを構成し、
 記号化していくプロセス

 デコーディングは、受け手が送り出されたメッセージを読み解き、
 意味を生成する作業。

 この時に、読み手により3つの立場がとられる
 1)支配的ーヘゲモニックな位置
 2)折衝的ーネゴシエーティブな位置
 3)対抗的

○この説明、分かりやすかったなー。
 この考え方がふれられている本を4冊読んで、やっと少し意味が分かった。


・ソシオメディア論は、現在のメディアの姿は過渡的な状況にすぎないとし、
 それは姿を変えていく存在であると考える。別の形がありうることを
 常に念頭においた上で現在のメディア状況に向き合う。


・批評的な読解は、きわめて複雑な活動である。
 一人でこもって本を読んでいても習得できない。

 ヴィゴッキーのZZPDのように批評的な読解ができる大人がいる
 集団において、多様な対話が行われる中で徐々に内化されていくものである。

○一人で学んだ方がいいものと、大人や他者と一緒に学んだ方がいいものがある。
 この区別がつけられると、子供達の教育にもいいだろうな。

○批評的読解、これは俺が大学院に期待することの一つかも。
 そういう読み方ができる仲間と一緒に学ぶ。


・21世紀は、市民の映像の世紀になる。レポートと同じような感覚で
 映像を制作し批評しあうという文化。

○俺ももっと映像を活用できるようになりたい。

 そういえば、昔「さんまのからくりTV」で
 素人のビデオ投稿があったおもしろかったなー。

 今だとユーチューブかな。

 自分も撮る側に回ろう。


・我々が「現実」と認識しているもののほとんどが、
 情報やメディアを媒介としたコミュニケーションからもたらされている。

 情報は社会的に人間が作り上げた構成物なのだ。

・情報のルート(テレビ、新聞、ウェブなど)によって、
 現実だと感じることが変わってくる。


●「学びのコミュニティー」をデザインする

・国語は文字だけでなく、映像や音楽などほかの記号体系にも
 懐を開く必要がある。

・現在の社会科では、内容知の習得が重視され、分析的活動にまで
 手が回っていない。

 「調べ学習」のスキル向上に関しては、個別の教師に任されている。

・デジタル社会のリテラシーに必要な教育を、単独でカバーできる教科、
 領域は存在しない。

 各教科の横の連携をはかる(合科)が大事だが、それもなしにくい。
 調整が難しい。

・学びに必要な情報を探し出すことは、ほぼ全教科で必要になるスキル。

・ワークショップというスタイルを活用することで、
 リテラシーに関してもより多様で深い学びを実現することが可能になる。

・「友達の絵本」というワークショップ
 
 編集における「意図」を意識化する。

 今の大学生は、記憶する訓練は受けてきているが、
 人から話を聞いて構成する経験をほとんどもっていない。

○俺は「営業活動」を通してこの力を身につけてきたのかも。
 お客様が言った内容を復唱し、確認する。


・「友達の絵本」というワークショップを成功させるための鍵は
 「仮想編集長」という支援者にある。

 このような実践をサポートする仕組み(編集に関する知を伝えるNPO)が
 必要になってくるだろう。

○これは、日経のHさんが、興味を示しそう。
 「編集に関する知」を活かす「ワークショップ」の案


・「湯けむりワークショップ」を通して、参加者は同じ事件を
 同じ形式で取材したにも関わらず、各メディアによって違う表現に
 なることに驚く。

 メディアはなにを載せないかという選択権も持っているのである。


・メディアはそれ自体遊具性をもっており、学習の強い動機になりうるが、
 この遊びと学びの両面を含み込んだ社会的実践への参加が必要になってくる。

 表現活動はみたり聞いたりしてくれる人がいて初めて成立する活動。

○メディアを使って遊び、学ぶことが、
 そのまま社会参加になるような活動。

 地域の役に立つような情報発信を行い、
 それが地域の大人からほめられるような活動なら。


・学校で教師が教えるのは、評価が安定した「枯れた内容」が中心になる。

 学校教育で教える内容は、10年に1回改訂される学習指導要領に
 よって決められている。

・実際の研究者が行っているのは、科学的な問題解決活動であるが、
 学校で学ばれているのは発見された知識の記憶活動になっている。

・学校を解放し、常に社会から風が吹き込んでくる状態にしておく必要がある。

○寄居の小中学校で、地域のおせっかいやとして、
 キャリア教育にからませてもらった。

 それでも外の人間が学校に入るのは、やっぱり大変だった。

 しかも1度やった後も、こちらから継続的に働きかけないと、
 向こうから外に対する働きかけはほとんどない。

 遠慮しているのもあるだろうが。校長先生が替わったり、
 熱心だった先生が異動になると、とたんに音沙汰がなくなる。

 今いる地域でも、少しずつ学校にからんでいきたい。
 外側からおせっかいかもしれないが、風穴をあける。

 ただ、自分の娘がいっている学校で、娘がいやがる可能性は
 将来的にはでてくるかもな。

・学びの場である学校と、コーディネーターである教育プロジェクトや
 NPOだけでなく、パートナーになる企業の意識も重要になる。

 一時的な寄付に終わらせず、企業側にもメリットがあるという
 構造を作らないと、この仕組みは長続きしない。

・民放連プロジェクトでは、送り手側の研修プログラムの一部として
 このプロジェクトを位置づけることを試みている。

○そうなんだよなー。企業の従業員が、学校に行って子供達に自分の仕事に
 ついて説明したり、ワークショップを行うというのは、とても大きな
 教育効果がある。

 教えることで学ぶ。しかも大人が子供に。子供から学ぶこと、
 目を開かされることも多い。


・二つのコミュニティーの境界での活動。葛藤を上手にコントロールする。

○神田正典さんの本「全脳思考」の物語のパートでも、
 この葛藤のマネジメントの話がでていたな。

 
 

○この本を含め何冊か「メディアリテラシー」関連の本を読んでいた。


 隣の家に、大分の妻の実家から戻った挨拶でおみやげをもっていったら
 「関根さん、実はうち今日パソコン買って」ということで、
 ネット接続を手伝った。

 小6の夏休みの宿題で、自分の好きなものを調べてまとめるというものが
 あるらしい。クラスの2/3は、PCをもっているということで、
 お隣さんも買ったそうだ。

 ネット設定まで手伝い、ネットにつなげる環境まで作ってあげた。

 小6の男の子は、「城」について調べたいということで、
 検索エンジンの使い方を簡単に教えた。

 ちょうど「メディアリテラシー」関連の本を読んでいるときに、
 隣の家がPCを買って、ネットにつなげた。シンクロニシティーかも。

 ネットにつながる楽しさと怖さ、PCの使い方、も
 教えてあげた方がいいのかもしれない。

 まず「親がいる場でネットを使わせる」「時間を決める」の二つは、
 親が押さえておいた方がよいかも。

「メディア論」


「メディア論」

  吉見 俊哉, 水越 伸


○メディアリテラシーについて、色々考えさせてくれる本。
 「メディア文化論」とあわせて読むとよりいいのかも。


(・引用/要約 ○関根の独り言)

●メディアの歴史

・メディアとは、社会的な場

・社会的に構成されたもの

○「こういうもの」と皆が思うこと=社会的に構成?

・人が世界を構造化する仕方そのものに、メディアは影響を与える

・メディアの歴史的発展は、近代の欲望にかたちが与えられることで進んだ

・メディアは媒介的であり、基底的である。

・メディアは決して技術的な発明によって社会にもたらされるものではない

○第2章〜5章は、吉見先生の「メディア文化論」内容と
 重なる。新聞→映画→電話→テレビ という流れで紹介。


・マスメディアは、司法、立法、行政とならぶ
 「第4の権力」と呼ばれるようになった。

・メディアは、歴史社会的に生成されてきたものであり、
 たえず変容していくもの。

・今の日本の新聞のあり方は、戦争時の言論統制政策に
 よって深く枠づけられている。「全国紙」「ブロック紙」「県紙」

・日本は世界でもっとも新聞が発達した国

・社会的な次元から個人の認知の次元まで、
 深くマスメディアの影響を受けてきた。

・日本のマスメディアの問題点

 1)新聞とテレビが圧倒的な力をもったことにより、
   多様なメディアのバランスのよい発達が阻まれた。
 2)世界に向けてひらかれていない。 
 3)送り手と受け手と判然と分けられてしまった。


○「メディア論の系譜」も、吉見先生の「メディア文化論」に
 詳細がでているので、ここでは割愛。


●メディアリテラシー

・コンピューターもまた歴史社会的に生成展開してきたメディア

・パーソナルコンピューターは、若者の共同作業と
 カウンターカルチャーの一連の動きの中から生み出されてきた。

・コンピューターは、常に国家権力や巨大メディア資本の
 動向と不可分のかたちで技術的に更新されていく

・コンピューターの社会的展開は、人間としてのあり方
 そのもに根本的な影響を与えつつある

・人々の日常生活は、巨大メディア資本の市場と化している。

・公共文化的な役割を果たしてきたメディア事業が、
 マネーゲームの取引対象となっていく。

○この本が書かれたのは、2001年。

 ライブドアによるフジテレビの買収さわぎや、
 楽天によるTBSの買収という話が起こったのが、この後だっけ。


・私たちは自分がそれまで気に入っていたソフトウェアの環境から
 無理矢理引き離され、いわばメーカーの論理に従って
 新しいものを使わざるを得なくなるということが一般化している。

○これはほんとそうだよなー。ウィンドウズの切り替えなんかまさにそう。
 XPでなれてたのに、ビスタのPPTは使いづらい、とか。

 これも、消費者にそこまでの労力を強いていると
 いうのもどうなのか。ほかに選択肢がないから使っているが。

 そういえば、「富と未来」の中でも、A.トフラーが、
 消費者に様々な作業を強いる(ATM等)ことについてふれていたな。

 俺らにやらせておきながら、手数料もとる。ふざけているよな。


・オンライン雑誌は、大半がIT関連企業からの広告収入に頼っている。
 このため、記事と広告の垣根が低くなり、間連企業の批判を
 避けるようになってきている。

○これは、新聞でも同じような状況だろな。
 広告を出してくれる企業に対するような記事は載せにくい。
 (特に、T社など)


・マスメディアが錯綜した権力関係の中におかれて
 いることは、絶えず意識しておく必要がある。


・メディアリテラシーは「メディア使用活動」
 「メディア受容活動」「メディア表現活動」で構成されている。

○これは山内先生の「デジタル社会のリテラシー」で区分されている

 情報リテラシー=メディア表現活動 
 メディアリテラシー=メディア受容活動
 技術リテラシー=メディア使用活動

 と対応させて考えちゃってもいいのかな。


・マクルーハンは、テレビなどの電気メディアが、
 活字メディアに枠づけられた人間の思考様式をもみほぐして、
 口承メディア時代のバランスのとれた感覚世界へ回帰させるのだと主張。

○これは、本当にそうなったのかな?


・2002年から学習指導要領が大幅に変更され、
 小3以上高校まで「総合的な学習」が始まる。

 高校では「情報」という科目がもうけられる。

・学校では、テレビドラマやゲームなどのマスメディア、
 大衆文化を排除し、なるべく語らないでおこうとする傾向が強い。

・メディア機器の普及がもたらす影の部分に対応する
 ことは長い目でみて企業の利益ともなる。

○ビジネスチャンスにもなりうる。

 確かに、有害サイトを人がチェックして
 フィルタリングをする会社もできたもんな。


・メディアリテラシーの根本的な問題
1)啓蒙主義的イデオロギーの限界
2)特定の言語や文化の支配的地位と結びつく傾向

・「能動的な表現者であると同時に
  批判的な受容者であるような市民」

・「送り手対受け手」という2項対立図式を乗り越え、
 メディアの全体性、循環性を取り戻す。

○ネットができて、一般の人が、表現、発信できる
 ようになったのは大きいよな。

 俺自身、2003年にメルマガを発行し始めたことで、
 大げさではなく人生が変わった。

 2005年に独立し、2006年に本を出版。

 表現者の側に回ると、受容者になったときに、
 情報の見方が変わってくる。

 まずは表現者の側に立ち位置を変えることも一つかもな。
 週末起業支援の森さんたちがいうように。


・人間は本来、情報を送りもすれば、受けもする。
 循環的で全体的なコミュニケーションを行っている。


・メディアリテラシーを備えた新しいメディア表現者たちの台頭

○地域住民によるテレビ放送というのは面白いなー。
 田舎でこそ成り立つかも。

・彼らは、社会の「中心」からではなく、
 「周縁」から立ち現れてくる。

○日経ビジネスの特集記事でも
 「辺境からの経営者」というのがあったな。

 地域も「若者、馬鹿者、よそもの」が変えるという
 考え方がある。これもいわば「周縁」だよな。

 中心にいて、既得権益を持っている人たちからは、
 変化は起こりにくい。


・新しいメディアの展開は、社会の権力構造や
 システムを転換させる潜在力をもっているのである。

○これは勇気がでる言葉。ネットというメディアで、
 今までのシステムを変えられるかも。少なくとも、
 その舞台のとばくちには立てたと思っている


・「限界芸術」としてのメディア遊び

○これは確かにあるよなー。ネットでの情報発信は、
 人によっては「何でそんなことやるの。私にはわからない」
 といわれるときもある。

 俺の場合は、ビジネスに直結しているということもあるが、
 「面白い、楽しい」ということがある。

 なぜ面白いのか? 

 学びが深まるから。人から反応があるから。
 世の中に小さな影響を与えられるから。様々な人とのつながり
 (しばらくたったあとでの問い合わせや仕事、共同プロジェクトの種)
 書くことで、人生の記録になる

 いろいろあるけど「遊び」感覚というのは確かにあるのかも。


・メディアリテラシーは、人々のコミュニケーション活動の
 全体性、循環性を回復する。表現をすることで、
 メディアリテラシーを獲得していく。

○俺もそう思う。


・昨今の電子的な「ネットワーク」メディアは、
 脱場所化、非同期化、双方向的な自己編集性を促している。

・メディアが我々の身体にいかなる緩衝地帯もない
 状態で直結されている。我々の身体は、あらゆるタイプの
 メディアの作用にひどく無防備にさらされているのである。

○これは考えようによっては怖いよな。大人よりも子供。

 特に、自分というものができあがっていない時期に、
 メディアに直結させられる状況は、少し考えたほうがいいかも。

 身体感覚を大事にさせたい。

 そういえば、今日(8月20日)の埼玉新聞に
 「外遊びをして早寝をする子供は、自尊感情が高い」という
 記事がでていた。

 小学校に入ってから、長女は外遊びが減った気がする。
 早寝はしてくれているが。


●グローバル情報化

・東アジアのメディアの現状として
1)アメリカを中心として秩序立てられてきた
  メディアのあり方が、より重層的で複合的なあり方へ変化
2)混成的、雑種的なアイデンティティーと
  メディア活動が生まれてきている

・国家から相対的に独立した市民文化が
 日本ではうまく育っていない

・今日の変化は「IT革命」と呼ばれるような
 短期間なものではない。

 より持続的で広範囲に及ぶ変化である。


・メディア論は、混沌とした情報社会で生き、
 社会的なコミュニケーションをしていく上で、
 大切な指針やより所となる思想なのだ。


「メディア文化論」


「メディア文化論」

  吉見 俊哉


○メディアとは何なのか、メディアが人々に
 どんな影響を及ぼしてきたのかがわかる。


(・引用/要約 ○関根の独り言)


●方法としてのメディア

・メディア(media)は、ラテン語 medium mediation から
 派生した言葉。

・メディアは媒介する

・物質的、心的、宗教的な媒介までを内包するメディア

・19世紀の終わりごろまでには、現代につながるほとんどの
 メディアテクノロジーの原型がすでに登場し始めていた。

・19世紀に、日刊新聞が誕生。

・写真から映画に至る「複製技術」の発達が、芸術作品が
 帯びていた「いま ここに」しかないという1回性、
 すなわち作品の「アウラ」を消失させると、ベンヤミンは警告した。

・1920年代以降、我々は自分の身の回りに、メディアに
 媒介されていない「生の現実」があるなどとは考えることが
 できなくなっている。


・世論を組織化し、それに形態を与える中心的期間としての新聞

・新聞の言説は常に「他者」についての語り

・ジャーナリズムは、イデオロギーのひとつのエージェント


・1940年代あたりまでのマスコミ研究では、
 送り手がいかなるメッセージを送れば、受け手を説得できるのか
 といった「操作的なまなざし」が中心であった。

・1940代以降60年代までは、「限定効果モデル」
 マスメディアの影響は、意外と小さい)が主流。


・根底には、自律的な個人の水平的なコミュニケーションによって
 社会がなりたつという多元社会論的なモデルが横たわっている。

○理論を打ち出した人自身が前提としている
 「ものの見方」も考えないとなー。


・1970年代以降、限定効果モデルの批判がでてきた。
 「マスコミの議題設定機能」

 テレビや新聞は、人々が何について論争すべきなのか、
 いったい何が問題なのかを規定できる強力な力をもっている。

 ある問題を巡ってはすさまじい論争が巻き起こるが、
 ある問題は人々の視界をはずされてしまう。別の論点を舞台からはずす。

○これは確かにそうだよなー。特に、TVが取り上げる話題が、
 どの局も一緒になるとき、逆に言えばそこでとりあげられない話題、
 ふれられたくない話題が背後にあるってことかもしれないなー。

 新聞も一緒だな。

 マスコミが大騒ぎしているとき、それでも良心的に
 小さく報じられている内容の方が、実は大事だったりするんだろうなー。


・マスメディアの特定のメッセージが人々の態度を
 一変させないとしても、徐々に一定の社会認識を
 「培養」している可能性は否定できない。

・メディアの効果を条件づけているのは、受け手のメディアへ
 の依存度であり、それはさらに社会の不安定性、安定性と関係している。


・メディアは、伝達の中立的な媒体ではないとした
 マクルーハンの「メディアはメッセージ」


・幾何学的な図形の理解、形式論理的な推論、事象の定義、自己分析
 などは「書く」という技術によって初めて可能になった思考の地平。

○「書く」ことがなかったら、こういうものの考え方そのものが
 なかったっていうことかー。面白いなー。


・メディアの変容は、世界を思考する技術の変容にほかならない。

・ポスターは、電子の文化を、文字の文化とも口承の文化とも
 決定的に異なるものとしてとらえた。

・電子の会話は、独白的で自己言及的。

○BBSでの学びを「文字の文化」を前提として考えると、
 見誤るのかも。

 電子の文化にせよ、そこに学びがあるのならいいのかな。

 BBSは単純に「書く」ものとしてはとらえられないのかも。


・自動車やテレビは、「移動する私的空間」mobile privatization を実現した。

○これは、今のケータイがもろにそうだろうなー。
 移動する私的空間。


・メディアは、「現実」を生産していく仕掛け。


●歴史としてのメディア

・コーヒーハウスが新聞閲覧所という以上に、
 近代ジャーナリズムが形作られる基盤であった。

 公共的な議論の世界が形成されていた

・ジャーナリズムの2つの水脈 
 文字の文化「大新聞」 口承の文化「小新聞」

・私的な親密圏と電話による会話を重ね合わせていく
 イメージが社会的に形成されていった

・テレビを視聴する1日あたりの平均時間は、
 今日でも3時間を超えている。

 「テレビがうちに来る」擬人化されていた

 テレビの最大の作用は、国民的な時間割の役割を果たしてきたこと。

○確かにそうだよなー。番組表に基づく時間割。
 サザエさんを見ると、月曜日の朝のことを考えてしまうような。

 そう考えると、画一的で操作しやすいという面はあったかもなー。


●実践としてのメディア

・20世紀のメディアの基本的な体制が
 確立するのは、1920年代。

・放送と通信のすみ分けが、1980年代を
 境に急速に溶解していく。

 「公」と「私」の区分も曖昧に

・以前、電話は家庭の外の社会と交わる出入り口であった。
 そのため、玄関先に電話がおかれていた。

○これはサザエさんの家でもそうだなー。
 寄居のアパートもそういう作りになっていたな。

・電子的な単位としての家庭は「お茶の間のテレビ」から
 「私の部屋の電話」への移行の過程で、
 多数の個室の集合体へと変容しつつあった。

○今は子供たちが小さいから、家において家族の一体感が
 あるのかもしれないけど、もう少し大きくなってきたら、
 変わってくるんだろうなー。

・ウォークマンから始まり、現在のケータイにより、
 公的空間と私的空間の境界の混乱がはじまった


・閉鎖性の高い公共空間においては「不関与の規範」が
 成立しているが、ケータイを使う人はそれを無視して、
 異質のリアリティーを持ち込むから嫌われる。

・メディア変容の3つの特徴
 1)メディアの身体化、脱場所化
 2)社会的な同期性の弱体化
 3)自己編集性の拡大

・コンピューターが、メディアの宇宙の基本構造を
 根底から変容させていく

・1945年以降、コンピューターを計算機(刺激→反応)と
 いうよりもコミュニケーションのメディアととらえる考え方が
 生み出されてきた。

・1990年代以降、インターネットが爆発的に広がっていった。

 1995年のウィンドウズ95の発売も大きい。

・インターネットによるコミュニケーションの特徴
 1)横断して情報を共有できる
 2)迅速かつ的確に状況の変化に対応できる
 3)強固な組織をもたない個人によるネットワーク
 4)ローカルとグローバルなレベルの間の距離を縮める

・メッセージがインパクトのあるものである限り、
 それはコピーされ転送され、短期間に世界に広がる

○ゆずの木保育園の園舎立て替えも、もう少しネット活用を
 考えてみよう。より物語の側面を出す?


・メディアをナショナルな空間に閉じられたものとして考えることはできない


・メディアリテラシーとは、メディアで語られている言説やイメージが、
 いったいどのような文脈のもとで、いかなる意図や方法によって
 編集されたものであるのかを批判的に読み、
 そこから対話的なコミュニケーションを創り出していく能力。

 あらゆる情報は編集されているということを念頭において、
 メディアと接する。

 メディアが何を伝え、何を伝えなかったのか。

・メディアはどのような形態をとるかが非決定であり、
 未来に向けて変革できる可能性をもっていると、ウィリアムズはみた。

「総合情報学」

「総合情報学」

  中島 尚正, 原島 博, 佐倉 統


○文化・人間情報学を目指す自分にとって必読の本。
 情報に関する領域を幅広く知れる。
 特に、eラーニングの事例(i-player i-tree)が興味深い。

(・引用/要約 ○関根の独り言)


●総合情報学

・情報化が知の営みに及ぼしている現象の見方や理解の仕方を学ぶ

・知の営みと情報の関係を正しく理解する

・文系と理系の垣根を取り払って

・情報化は、人々の営みを大きく変容させている

・総合情報学は、情報環境とその中で営まれる人間、社会の活動の
両者を深く理解することによって、人間、社会、ひいては生命の
理解を深め、合わせて情報環境や情報のあり方を考究するものである。

○東大大学院の「文化・人間情報学コース」は、これにあたるのかな。
コース長の佐倉先生も執筆者だし。


・情報とは「知る」ということの実体化である。

「知る」ことは何かしらを得たこと、何かを頭の中に
取り込んだことである。
 
 その「何かしら」を「情報」と呼ぶのである。

・情報とは「区別」である。

・J.ギブソンは、知覚者にとって価値のある情報はすでに
 環境の中に実在しているという理論を唱え、それを
 「アフォーダンス affordance」と名付けた。


・総合情報学は、学際科学である。総合知が要求される。

・専門を異にする個人が手をむすめば、
 集団で一人のダビンチになれる。

●情報技術

・コンピューターは、1980年代から「脳をめざす」ものから
 「メディアを目指す」ものへとパラダイムシフトが起きた。

 これがアメリカが世界のコンピュータ業界を
 リードしてきた理由である。

・メディアを目指すコンピューターとは、社会のインフラとして
 情報を流通させるメディアとしての機能のことである。

・「メディアはメッセージである」という言葉を残したマクルーハンは
 メディアを人間の五感、身体、感覚を拡張する可能性のあるもの
 すべてのものであるとも定義している。

・クロスメディア(多様なメディアの連携)が重要なのは、消費者の
 行動パターンが変化(AIDMA→AISAS)するところにある。


・バーチャルリアリティーは「事実上の現実感覚」と
 訳すほうが正しい。

●情報化

・情報化が進むと、製造業において、企画、設計、販売を
 担当する企業と、製造を担当する企業に分極化していく可能性もある。

・インターネットの普及は、直接的に消費者の意向を
 企画や設計に反映する状況を作り出すであろう。


・経験や熟練による生産の知識を
 共有できるようにするにはどうすればよいか。

○これは教育テーマとしても考えがいがある。


・グローバリゼーションとは、アメリカナイゼーションであり
 情報技術の発展と金融の拡大を伴う
 地球規模の単一自由市場化にほかならない。

・グローバリゼーションを生み出したのは、
 市場やインターネットである。

・インターネットは、個人の交流とコミュニケーションの
 可能性を全世界に広げ、企業や政府といった組織を分解し、
 非集団化しつつある。

○確かに、今組織を離れて、個人で働けるのは、
 インターネットの影響が大きい。

 ネットがなければ、今持っているような「力」はもてなかったと思う。

 特に大きいのは、自分の考えを発信し、
 それに共感してくださる方との接点を作る力だ。

 これはネットがなければ無理だった。

・フリーソフトウェアの考え方は「コピーレフト」とも表現される。

○「copyleft」 これは面白いなー。

 研修教材だと何気なく「copyright」と入れてしまっているが
 別に公共のものとしてもいいんだろうしな。


・貨幣は、経済環境の複雑性を縮減して、
 商品の経済的価値を一元的に表現する情報媒体(メディア)なのである。

・貨幣のおかげで、市場はインターネットと
 同様の自律分散型のネットワークになりうるのだ。

・地域通貨は、経済的、文化的、倫理的活動を
 媒介するメディアである。


●メディア

・もともとアートとテクノロジーは、近い存在であった。
 ルネッサンス以降の近代科学がこれを引き離した。

 Art には、芸術と同時に技術という意味もあった。

・メディアとは、ものごととものごと媒介する働きである。
 情報を載せる乗り物。


・生物の直線的進歩観が、近代社会が工業化、産業化、都市化、
 さらには情報化によってよりよい社会へ推移していくという
 社会的進歩観を下支えしている。

 これは現代社会が抱えている広い言説的な問題の一つであろう。

・メディアとメッセージは不可分である。同じメッセージでも
 メディアが異なれば異なった意味内容をもつことがある。


●教育

・eラーニングは、1990年代後半に現れたインターネット
 を基盤とした情報通信技術を利用した教育を指すことが多い。

・アメリカにおいて、eラーニングが普及している要因は、
 成人高等教育人口の増加にある。

・時間をずらして学習を行う「非同期型」には3種ある。
「映像配信系」「WBT(テキストとテスト)」「CSCL」

○弊社が某メーカーでお手伝いしたのは「WBT」だな。
 電子書籍を読み、そのテストを4択問題で行う。


・東大のeラーニング iii-online では様々な工夫が施されている。

・学習者が反応をi-playerで示すことにより、
 eラーニングにおいても「共同体意識」を醸成できる。

・i-treeでは、掲示板の状況をケータイの
 待ち受け画面で一目瞭然に見ることができる。

○面白いなー。こういう工夫があれば、
 eラーニングでも授業についていけそう。


●人間

・従来のコンピューターをベースとして人間の知能を
 理解しようと言う立場(情報処理アナロジー)から、
 生体が実際に行っている情報処理の観点から、
 知能の実現や解明を行っていくことが大事だと
 考えられるようになってきた。

・人間は汎用的なルールを論理学的に適用しようとはしない。
 人が用いているルールは、領域やその問題が与えられた
 文脈に依存するのである。

・領域や文脈に依存し、記憶に関連ある具体的な知識は、
 領域固有の知識(domain-specific knowledge)と呼ばれる。

・領域固有の知識は、推論や問題解決を容易にしてくれる一方
 新たな状況には対処するのが難しいというパラドクスを生じさせる。

・この問題を解決するのが、実用的推論スキーマ説である。
 人はたとえ直接経験したことがなくても、抽象的知識である
 スキーマがあることで、推論ができる。

 スキーマは異なる状況をブリッジするメカニズムとなりうる。

 ここから人間の思考の柔軟性を説明するキーの一つとして
 「類推 analogical reasoning」が注目されるようになった。

 人は直接経験したことのない状況にあっても、既知の知識と
 類似してさえいれば、その既知の知識を柔軟に用いることで
 新規な状況に対処できるようになる。

○このあたりは、軍隊の訓練でシミュレーション体験を
 させることともつながるのかも。

 様々な状況を事前に考えさせることで、現場で似たような
 状況に当たったときに、対処できるようにする。

 これは「新人導入研修」や「OJT直前研修」の
 背景となる考え方かも。


・計算機に思考の柔軟性はない。これこそ人間の知能の特徴。

・ロボットは決められたことを愚直に繰り返す。
 しかし、これからのロボットは、人間や環境と相互作用を
 行えるようになる。そうすることで、ロボットは人間に
 とって意味のあるインタラクティブメディアとなりうる。

・将来の少子高齢化社会において、ロボットは介護などの
 物理的な支援を行うことを期待されている。

○一挙に、未来社会が現実感を増すなー。確かに介護の世界では、
 ロボットによる手助けは必要になるだろうなー。

 ちょっと異様で不気味な感じもするけど。


・ジェスチャーの重要性

 身体の同調的動作(お互いのジェスチャー)
 →関係(共有視点)の構築→円滑な情報伝達

・人間は身体も使ってコミュニケーションをとっている。
 人間と自然に相互作用を行うロボットを開発するには、
 身体性に根ざしたコミュニケーション技術にも留意する必要がある。

・脳地図(脳の機能局在)は、後天的に身体からの情報に
 よって形成される可能性がある。

 計算機にはない身体を、人間はもっている。

○空手をやっていたときに、身体を動かすことで、
 脳の機能が強化されるような話を聞いた。

 以前はできなかった動きが、訓練でできるようになる、
 ということは、その機能が脳で作られたということという意味のようだ。

 足のつま先だけをあげて、蹴りのこしを作るときに、特に感じた。


・速読訓練は単純な視覚訓練の繰り返しであるが、
 それによって脳内の処理メカニズムに変化が生じ、
 読書速度があがる可能性がある。

・ゲノム情報は、一人一人で少しずつ異なる。

・生命を物質レベルではなく、情報システムとして見る。


・情報化社会においては「選択」選んで探すがキーワードとなる。

・近年マスメディアが提供してきた「同じ時間に同じ内容を皆が見る」
 という「メディアを介した同時代体験」が減少しつつある。

○これはあるなー。俺らぐらいの世代であれば、
 まだ同時代体験はあるが、もっと下になってくると少ないかも。

・ケータイは、選択的な関係性を推進している。

・インターネット上でも、成立するのは、
 同じ趣味嗜好を共有する同質的な人間関係が多い。

・選ばれなかった情報に目がいく機会が少ない。
 新聞であれば、無意識に興味の範囲外の情報も目に入る。


・最近の情報化は、一過性のブームではない。
 時代の要請に基づいたもの。

・物質に依存する文明の終焉を洞察して、
 来るべき文明のために情報技術を発展させたのかもしれない。


Learning Bar@東大「脱 研修屋 宣言!?」に参加してきました。

09年7月31日(金)18時〜21時

Learning Bar @ 東大「脱 研修屋 宣言!?」

に参加してきました。


とても刺激的なテーマで、帰り道の電車の中で、色々発想が浮かびました。

(それについては「脱 研修屋 しない宣言」で)

(・講演内容 ○関根の独り言)


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●テーマ

 脱「研修屋」宣言!?

 研修内製化時代、みんなで「人材育成の仕事」を考える
 分析、企画、交渉、そして教育評価まで。

(中原先生のブログ

 http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/08/learning_bar_24.html )

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●横浜ゴム グローバル人事部人材開発G 若林真知江氏

 「ニーズの明確化から始める 超具体的 人材育成施策について」


・まず最初に「演繹法」的に、経営とコミュニケーションをとり、
 人材育成ビジョンの策定から始めた

 これは、社風にあわなかった。OJTをメインでやってきた会社。
 現場で人は鍛えられ、成長する。

・次に「帰納法」的に、社員とコミュニケーションをとりながら、
 社内現状分析(ニーズ調査)を行った。
 
 100人ヒアリングからスタート。

・人材育成施策として

 1)階層別「キャリアスタンス開発」
 2)役割別「スキル・知識開発」
 3)職場別「コンサルティング支援」

   職場別は、事業部長から依頼を受けて実施。
   手間暇かかるが、職場に入り込んで行っている。

・自分がやってきたことは「人材育成という課題をもった社内営業」

・人を育成することに対する社内意識の醸成につながった

 「新人への質問(入社1年後フォロー面談):
  上司、ブラザーから十分な指導、フィードバックがあったか?」

 06年度 Yes3割 07年度 Yes5割 08年度 Yes7割

○こういう結果の示しかたもいいなー。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

●日本ベーリンガーインゲルハイム 早川勝夫氏

 「企業の人材育成をコンサルティング視点で見直す
   〜戦略系コンサルティングになりませんか?〜」


・「研修屋」のプロセスと「コンサルティング型人材育成」のプロセス

・何が課題なのかを調査する。他部門への調査。経営者に確認。

 表在する課題は何か。その真因の仮説を立案。(ここが難しい)

 KPIを設定。

○ビジネスパーソンは、ストレートに結果に結びつくものを求める。


・MRの訪問が、Drに認知されていないという課題が明らかになった。
 その真因(Route Cause)は何か?

 「人間関係構築力」「情報収集力」どの部分が弱いのか、必要なのか
 再度、現場にアンケート調査を実施。その結果を受けてトレーニングを実施。

○弱い部分を解消するために、トレーニングを行う。これが研修の前提なのかも。
 強い部分(評価されている部分)を伸ばすという考え方だと、非現実的なのかな。

 戦略系コンサルティングは、足りないところを補うというアプローチかな。
 課題解決だから、そうなるか。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

●日立総合経営研修所 QCマネージャー 
 NPO 人材育成マネジメント研究会 代表 堤宇一氏

 「人材育成担当者の過去・現在・未来 〜自分の業務をメタファーする」


・人材育成とは「手配師」のような仕事
 「手配」はとても重要で、高い能力が必要とされる。

・手配師の発達過程 初級者(モノ)→中級者(方法・空間)→上級者(内容)

・学習の特徴(過去)

 教育テーマ:短期的、単純な学習目標
 学習の狙い:タスクを解決する(道具としての知識を獲得する)
 対象者:労働力としてのリソース
 学習の特徴:単純、短期的、成果確認が容易

・学習の特徴(現代)

 教育テーマ:抽象的、複雑な学習目標
 学習の狙い:パースペクティブ変容(Transformative Learning)
 対象者:ナレッジワーカー
 学習の特徴:体験をしかけ、解釈は相手にゆだねられる。
       他者とのやりとりや知識経験の共有が不可欠。 
       内面の変化がじわじわと起こる

・「ID」が抱える問題

−Analyzeが弱い −単純で短期的な課題を扱う
−何を学習目標として立てるかというWhatを探る知見や技術を蓄積させてこなかった

・「教育効果測定」が抱える問題

−行動主義を背景として体系づけられた評価モデル
−批判的考察によって獲得した「準拠枠の変容やその兆し」を効果として
 位置づけられない

○何を課題として認識し、何を学んでもらうか、

 その学びとは、参加者の「ものの見方」の変容。
 それがなされたかの評価が、現状のIDおよび効果測定では難しいということか。


・学習目標の分化が必要では。

 到達目標だけでなく、向上目標や体験目標も対象とする。

・研修後の「事後オリエンテーション」で「これからスタートすることを意識付け」

○これは面白いかも。すぐに取り組めそう。研修の最後に時間をかける。


・プログラム設計から、学習環境のデザインに、職務範囲を広げる。
 そのためにも、ステークホルダーと現実場を二人三脚で歩む。
 「学習」の仕掛けを、文脈(現場?)の中に自然に埋め込む

 人材育成は「庭師」になる。


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●近くの参加者とのディスカッション


 私の席のそばには、

 熊本大学大学院の北村志郎准教授や、アクセンチュアのコンサルタントの方、
 教育担当者の方、慶應義塾大学の方などがいらっしゃったので、
 そのメンバーで話し合いをしました。


◆メタファーの共有
 
 今回のラーニングBarの宿題である

>  なお、今回のLearning barには宿題があります。
>
>  1.人材育成の仕事とは○○○のようなものである:
>  2.なぜなら〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜であるから
>
>  という問いに対する、自分なりの考えを考えてく
> ださい。○○○には「喩え:メタファ」をいれてく
> ださい。〜〜〜には理由を入れてください。

 メタファーについて、まずは共有しました。


「猛獣使い」〜個性的なメンバーを、適切な仕事に配置する

「粋ないたずら」〜仕掛ける、将来を想像して楽しむ、すぐに結果は見えない

「大海原を船で」〜色々な状況に出会うが、いつかはたどり着く

「林業」〜地道な下草刈り

「コンサルティング」〜課題を見つけ出す、周囲への説得力

「筋トレ」

 私は「自然農法」に喩えました。


 人材育成の仕事とは
    ( 自然農法 )のようなものである:

 なぜなら( 野菜が育つかどうかは土次第であり、
         その土を整えることぐらいしか他者にはできないから)

 今、家の小さな畑で無農薬野菜を作って感じていることです。

 野菜に対する働きかけ(肥料や農薬)よりも、
 いかに良い土を作るかが自然農法の鍵だそうです。
 
 その為に、落ち葉をまき、ミミズが住んでくれるような環境を作っています。

 畑仕事を始めたばかりの素人ですが、野菜作りと人材育成の仕事は
 似ているかもと感じています。

・メタファーには、その人の背後仮説が出てくる。


◆内製化について

・北村先生から「内製化は難しい。そんなに簡単にできることではない」

 教育に対するExpertiseが必要。経営陣は簡単に考える。

 物件費が人件費に変わるだけ。

・短期に異動する教育担当だと、まずは事務局的仕事に注力し全体像がつかめ
 これから自分色を出していこうとするときに、異動となるケースもある。

 内製化するためには、長期に仕事に取り組める体制も必要では(関根)

・早いループの異動と長いループの異動があると良い。

 ただ、長いループの人選を間違えると大変

 教育担当を長くやると、現場から離れてしまう。だからこそ現場の人が
 早いループで教育担当になることも必要。(北村先生)


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●質疑応答

・IDは、教育担当には必要?

 →教育担当は、IDと効果測定は知っていないといけない

・どんな教育ベンダーと付き合いたいか?

 →良いコンテンツをもっている会社

・教育担当者が勉強すべきことは? よいサービスを提供するために

 →理論(ID、効果測定、成人教育)と技術(調査:アンケートやインタビュー)

 →人材育成の専門家の世界を作りたい


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●中原先生によるラップアップ(まとめ)


・人材育成担当は、経営からも現場からも遠い「教師」「事務局」

・研修屋にとって、問題は「誰かが与えてくれるもの」

  問題定式化<問題解決

 「やるべきことを教えてほしい」これは導管モデルの考え方、IDもそう。

・今は「ふわふわ感」のあるような問題。誰も問題が分からない。

  問題定式化>問題解決

 自らデータを収集し、問題を明確化する。

 重要なのは「学んでもらう何か」を明確にすること。

・今後、外部ベンダーはどうすべきか?
 
 ビジネスモデル、営業スタイル、商品パッケージ、講師の専門性は?


○帰り道の電車の中で、色々な考えが浮かんできた。

 こういう状態を作ってくれるのが、Learning Barのすごさなのかも。

 そして、それが自分の研修には無い部分なのかも。


(中原先生、研究室の皆さん、ディスカッションさせて頂いた皆さん、
 ありがとうございました!)

2009年07月30日

長岡健教授「ダイアローグチェンジ〜対話による人材育成の可能性と課題」を受講しました。

09年7月30日(木)18時30分〜21時30分

慶應MCC「ラーニングイノベーション論」セッション8 

産業能率大学 長岡健教授

「ダイアローグチェンジ〜対話による人材育成の可能性と課題」を受講しました。

セッション内では、正直「モヤモヤ感」が残ったのですが、
あとからボディーブローのように効いてきています。

(・講演内容  ○関根の独り言)

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●コミュニケーション

・2つのコミュニケーション観がある

 1)情報伝達としてのコミュニケーション
 2)相互理解としてのコミュニケーション

・その場にいなくてもコミュニケーションがとれる

 例)セッションを欠席したのは、講師が嫌いだからと、考えてしまう

・We cannot not communication. コミュニケーションしないでいることはできない。


・対話は、おしゃべりではなく、議論でもなく、合意形成でもない

・対話についての素朴な疑問(書籍「ダイアローグ」を読んだ経営学者から)

1)対話は「人材育成にどう関係するのか?」

2)対話は「生産性向上に貢献するのか?」

3)対話は「何をチェンジするのか?」


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●対話は「人材育成にどう関係するのか?」


・その人が、学習を「何」と捉えるかが、対話の異なる側面を映し出す。

・4つの意味での「学習」

1)「知識習得」としての学習 2)「熟達化」としての学習
3)「学習棄却」としての学習 4)「組織学習」としての学習

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1)「知識習得」としての学習


・人がものごとを理解しようとする際の、2つの思考形式がある

「論理実証モード」 paradigmatic mode
「物語モード」 narrative mode

・対話は、物語という形式の知に注目したもの。

○対話をすると、その相手の「物語」が見えてくる?


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2)「熟達化」としての学習


・熟達者の二類型
 「定型的熟達者 routine expert」「適応的熟達者 adaptive expert」

・ビジネスで求められているのは、適応的熟達者

・適応的熟達者を考える際に役立つのが、
 Reflective Practitioner(省察的実務家)という考え方。

・「行為の中での省察 reflection in action」
 解決すべき問題を適切に設定し、即興で対応ができる人

・対話を通じ、その場にふさわしい問題設定を共同で意味づけていく

○周囲と対話をしながら「今解決すべき問題は、これだよね」と合意をとっていく?


・省察的実務家は「突貫工事のエキスパート」になる危険性もある
 長い視点で考えることが苦手。今目の前の問題をさばいていく。

 「行為についての省察 reflection on action」が苦手。

 自分がやったことが正しかったのかふり返れない。

○日々仕事に追われると、こういう状態になるのかも。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

3)「学習棄却」としての学習


・「経験学習」における「省察」は、1人で考えても難しい。
 そこで、対話が役に立つ。

・ただ、Managerialism(経営主義的)が生み出す問題もある

 いくらふり返っても、省察しても意味がない。

 対話が「慣習の強化」につながる可能性もある。

 「俺たち、がんばったよねー」とお互いを肯定しあうのみ。

・「強制される自由な対話」のジレンマ →「燃え尽き症候群」

○N社での「対話集会」は?


・対話的な省察のモードは、3つある

(1)手段探求モード(instrumental mode)〜上手く出来たか?
(2)目的合意モード(consensual mode)〜問題設定そのものが正しかったのか?
(3)背景批判モード(critical mode)〜何故そう考えたのか?

背景批判モードを実現しないと、省察の意味がない。

・批判的思考による「学習棄却」

 普段無意識にとっている自分の行動、考え方を自覚し、自らの置かれた状況を
 無批判に“当たり前”とみなす自分自身を“批判的”にふり返る。

・批判的思考による学習の意味

 自分自身の状況を“批判的”に省察することを通じて、硬直化した
 思考様式、行動様式を解きほぐす

 学習棄却(Unlearn 学びほぐし)としての「学習」

○他者ではなく、自分を批判的にみることで、学習棄却ができる。


○今回「脱研修屋しない宣言」を通して、研修講師としての自分を
 批判的にふり返ってみようとした。

 

 でも「学習棄却」はできていないのかも。
 
 講師としての自分を否定せずに、結局、講師としての自分に戻ってきた。

 自己防衛しただけなのか?

 俺は、学べているのか?

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

4)「組織学習」としての学習


・文化の操作可能性

(1)情報工学的な文化観〜組織文化はトップダウン式で操作可能である。

○「理念浸透」という考え方の前提かな?

(2)社会構成主義的な文化感〜組織文化は1人1人の日常に根差す

   トップダウンで、組織文化を操作できない。対話による地道な意味づけ


==================================

●「対話」という多面体

・「知識習得」を意識した対話 〜論理から物語へ

・「熟達化」を意識した対話 〜問題解決から問題発見へ

・「学習棄却」を意識した対話 〜合意形成から異質表出へ

・「組織学習」を意識した対話 〜受動的反応から主体的参画へ


○自分なりの言葉でまとめると・・・

 対話を通して

  −その人の物語がわかる(物語という形式の知識を習得できる)

  −やったことそのものをふり返る(行為についての省察)ことで
   「突貫工事のエキスパート」にならずにすむ

  −批判的思考で、凝り固まったものの見方を、学びほぐす
 
  −暗黙知である「わかちもたれた知」を獲得できる

 対話により「物語という知識習得」「問題発見」「異質表出」「主体的参画」を
 促せる。それが「人材育成」につながってくる。

 ・・・という理解でいいのか?

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●対話は「生産性向上に貢献するのか?」


・「そもそも“自立した個人”なんか増えたら、企業はかえってやりにくいのでは

・経営学の視座=企業の視座に立って、要は儲かるかを考える

 経済学の視座=市場を介した企業と家計の交換および
        政府による再分配をマクロにみる

 家政学の視座=家計の視座

・人的資源管理は、経営学の視座
 
 経営者は、学習者に、OJT&Off-JTを提供
 学習者は、経営者に、生産性の向上を提供

・人材育成=生産性向上に資する学び

 つまり、企業にとって望ましい方向への学び・成長=人材育成である
 
 企業にとって望ましくない方向への学び・成長は=人材育成ではない。

 人材育成は、「大人の」学び・成長とは、イコールではない


○企業にとって望ましくない方向への学び・成長とは何か?


 例えば、「独立起業」や「手抜き?」

 企業にいて、仕事を学び、何らかのきっかけで独立し、起業する。

 それは、本人にとっては「学び・成長」であるが、
 多くの場合、人員が減ることから、企業にとっては「損失」となる。


 俺が、前いた研修会社を辞め、研修業界で独立したのも、同じだ。

 会社から見れば、正直「裏切り者」だろう。
 俺個人は、学び、成長できたとしても。

 
 独立起業できる人材は「(その企業から)自立した個人」と考えることができる

 そういう独立起業予備軍のような「自立した個人」ばかりだと、
 特定企業(リクルート、外資系企業、コンサル会社)以外の一般的な日本企業だと
 確かにやりづらいかも。

 あるコンサルタントの方が言っていた「猛獣使い」という様相を呈すだろうな。


・「大人の学び・成長」を生産性向上へ誘導する必要性がある

○本人の学び・成長と、企業側が提供してくれる機会(仕事、職場、環境)
 との折り合いになるのかも。


○「大人の学び」とは? 


 「企業にとって望ましい方向への学び」

 これは、他者(企業)が評価する。
 その人が学んでいることが、望ましいものなのかどうか。

 「大人の学び」は、本人が評価する。

 他者から見て(ある基準に照らし合わせて)学んでいないように見える人でも、
 本人の基準から見れば学んでいることもあるかもしれない。

 (何の努力もしていない人は、別かもしれないが)


・学びのサードプレース

 1)フォーマル(形式だった)でパブリックな「学び」=経験を通じた熟達化
 2)フォーマルでプライベートな「学び」=企業内研修
 3)インフォーマルでプライベートな「学び」=自己啓発
 4)インフォーマルでパブリックな「学び」=対話を通じた学びほぐし(3rd place)

○3)4)はなんとなくわかるけど、1)2)が何故その位置なのか、
 自分自身の理解不足で、よくわかっていない。1)2)が逆? 

 より深く理解しないと。

○学びのサードプレースは、企業外の場が多いのか。

 リクルートエージェントの「ちえや」のような活動は?

http://japan.zdnet.com/sp/feature/09company/story/0,3800092607,20395872,00.htm


・ゆったりリラックスした状態で、リフレクション(省察)を行うのが、
 サードプレース。この場だと「いい対話」は、10回に1回しか起こらないかも。

 その冗長性に耐えられるか。

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●対話は「何をチェンジするのか?」


・Learning-shapeのチェンジへ

 社会構成主義的学習論 対話による学び・成長


・人を成長させる、育成するという視座ではなく、自分が学んでいるかという視座


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●グループ討議

・競合会社が集まる場(衣料業界における原宿)も対話が生まれるのかも

・対話は、若い世代が求めているのかも。

・相手を信じていないと、対話はできない

・営業会社は、人に知識がたまる


○忙しい相手と、対話の時間をとることが大変。

 相手にも対話するメリットがないと、本人としては、語らせられるだけ?
 それだと、そもそも対話ではないかな?

 そう考えると、対話ができるのは、ある程度「レベル」が近い方がいいのか?


・対話そのものが楽しい。企業から強制的に対話を促されるのは違和感。

・対話しづらい職場もある。

・「節目研修」で、対話する場を作っている。


・「モヤモヤ感」が嫌いな人は、突貫工事のエキスパートになる。
 これを楽しめるのが研究者。(長岡先生)

 研究者は、常にモヤモヤしている。


○考え続ける状態を作る。これが「モヤモヤ感」の意義なのかも。

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(長岡先生、中原先生、
 参加者の皆さん、事務局の皆さん、ありがとうございました!)


2009年07月27日

大学院願書提出

09年7月23日(木)東京大学 大学院への願書提出を行いました。

・願書

・研究計画書

 ↑ 院試塾の畑中先生にチェックして頂きながら、書き上げました。

   まだまだ不完全ですが、今の自分に書ける精一杯のものだと判断し、
   提出しました。

   ご指導くださった畑中先生、ありがとうございました。

    http://homepage1.nifty.com/inshi/


・推薦書(自己、他者)

 ↑ 勿体ないお言葉を下さったYさん、ありがとうございます!


・留学していた大学の成績証明書、卒業証明書

 ↑ 10年以上ぶりに、在籍していた大学に連絡をとりました。
   思っていた以上に、迅速に対応してくれて嬉しかったです。

    http://www.usm.edu/index.php


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7月は、仕事的には大変でした。


・7月9日 慶應MCC 中原先生とのセッション

・7月10日 ヒューマンキャピタル ミニ講演

・7月14日 日経 人事就職 シンポ

・各社様での研修

そして、この願書提出。

そろえなければならない資料も多く、準備に時間がかかりました。


(5年前からパーソナルコーチをお願いしている多賀さんにご協力頂き、
 一緒になって準備を進めてきました。

 http://liensbleu.com/index.html 

 多賀さん、ありがとうございます!)

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実は、この願書提出が、重たくて、精神的にもきつかったようです。


(5月ごろから、疲れがたまると、
 左目周辺に赤いかぶれのようなものが出て、困りました。)


でも、御蔭さまで、願書が提出でき、週末2日間、子供たちとも遊べたので、
今は心身ともにすっきり感があります。(かぶれもひきました。)

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大学院入学に向けて、次の難関は、8月です。


・8月10日(月)TOEFL試験

・8月24日(月)一次試験(小論文3つ)

・8月31日(月)〜9月1日(火) 二次試験(口頭面接)

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ただ、ここでは言えないある出来事もあり、実は受かるか、かなり不安があります。


正直「2010年の入学は難しいのでは・・・」と

弱気になってしまうこともあります。

(不況の影響で、大学院の入学希望者が、例年以上に多いそうです。)


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でも、8月は大学院入試に、絞ります。

(企業様での研修も、8月は、一つも入れていません。)


受かろうと受かるまいと、やるだけのことはやります。

やるからには、後から言い訳する必要がないくらい、

「やるだけやった」と言えるくらい、準備に尽力します。

2009年07月21日

雑誌「到知」09年7月号

月刊誌「到知」を購読しています。

http://www.chichi.co.jp/


読むといくつもの学びがあり、また何故か涼やかな気持ちにさせてくれます。


日本には素晴らしい人たちがたくさんいる。

自分には学ぶべきことが多い。

そういうことを感じさせてくれるからでしょうか。

良い言葉が多いので、印象に残った言葉を、記録しておこうと思います。


(・引用/要約 ○関根の独り言)


●社会教育家 田中真澄さん

・心構えというのは、どんなに磨いても毎日ゼロになる能力である。
 毎朝歯を磨くように、心構えを毎朝磨きなおさなければならない。

○本当にそうだよな。気をつけないと、
 「うぬぼれ」とか「おごり」がすぐに顔を出す。


●岩手県葛巻町前町長 中村哲雄さん

・情報の量が仕事の質を決定する

・情報は、一番思いの強い人のところに、一番熱くなっている人のところに
 集まってくるもの。

○確かに! その思いを発信することが大事なんだろうな。
 そうすれば、情報がどんどん集まってくる。

●長野県川上村長 藤原忠彦さん

・世の中には循環の法則がある

・文明が成熟しきって、目指すべきものが無くなった時に、すべてのものが
 再び農村に帰ってくると思うのです。

 これからは本当に地方の時代、農山村の時代がやってくると考えています。

○ときがわ町に移住したのも、この流れなのかも。

●口ぐせ理論 佐藤富雄さん

・性格が暗い人で運のいい人はいないし、運がいいなと思う人は大体明るい。

・大体1分間に120歩。そういう一定のリズムで歩いていると、

 15分たったあたりから脳内にB-エンドルフィンが分泌され気持良くなってくる。

 30分ごろには、ドーパミンが出て、色々なアイデアが湧き出す。

 40分ぐらい歩くと、セロトニンが出てきて、アイデアを実現可能な
 形に整えていく役目がある。

○研修の案や文章の案、会社の方向性を考える際に、歩いているのは、
 やっぱり正しかった! これからも考える際は、歩こう!

・今苦境にあるならば、ただ黙って歩き続けなさい。そうすれば必ず道は開ける。

●メンタルトレーナー 西田文朗さん

・お釈迦さんの六法拝

 東に向かって先祖に、西に向かって家族に、南に向かって恩師に、
 北に向かって友人に、そして天地に向かって自然に感謝して下さいと。

・あなたの感謝すべき10人の名前を挙げなさい。そして1年以内に感謝を
 伝えに行きなさい。

 これを「10人の法則」と呼んでいます。

・コーチや周囲の人の助言を素直に聞き入れる「素直な負けず嫌い」でなければ
 なりません。

 人間は本気になったら「素直な負けず嫌い」にならざるを得ないはず。

・「志の高さとは、自分の努力によって幸せにできる人の数」

 本当に志の高い人は、社会的な成功を収めながらも多くの人を幸せにできるはず。

○自分に必要なのはこの部分。家族以外にも、自分の努力によって
 幸せにできる人の数を増やせるはず。


●夜間中学 見城慶和さん

・教わった大事なことは「記録する」ということ

 どんな天才の記憶力も一行の記録にはかなわない。
 だからその日の出来事は必ずメモをとりなさい。

 記録をとることで、一日一日が単なる時間の経過ではなく、
 体験として積み重なっていく。

 記録なしに成長はしない。

○この言葉で、今回ブログに記録しようと思った。

 ブログを「検索できる第二の脳」にする。


・学校とは、優劣を競ったりする場所であってはならない。

 「私はこんなことができるんだ。こんなことがしたいんだ。」

 という自分に対する自信や自負や誇りを植え付ける場所が学校であり、
 その手助けをするのが、教員の仕事である。

●大分県大山町農協 矢羽田正豪さん

・農村に若い人が残らない一番の原因は、農村経済が成り立たないこと。
 環境のいい田舎に住んで、都会並みの収入が入れば一番楽しいわけでしょう。

・若い人がサラリーマンになりたがるのは、生活が安定するから。
 農業で決まった収入が入るようにする。

●東レ経営研究所 佐々木常夫さん

・自閉症の長男を襲ういじめ

 担任の若い女性の先生は、クラスで親が話すことを許可しない。

 近所の生徒一人に、帰りにクラスの生徒たちに声をかけて、私の家に
 寄るように頼んでみた。

 20人ほどの生徒が集まってくれ、自閉症について説明した。

 いろいろと質問もでて、2時間ほどのやりとりとなった。

 次の日からいじめは潮が引くように消えて行った。

○教員の姿勢・・・

 自分は親として同じような行動がとれるだろうか・・・

●脳外科医 篠浦伸禎さん 

・「私」にこだわりすぎ 

 動物脳は、保身のために動く「私」の脳と言い換えることができる

・ストレスによって右脳の働きが弱まり、左脳の働きが上回っている

・日本人は共同体を重視する右脳型の要素が強い。
 グローバル化する社会の中で、否応なしに左脳主体にせざるを得なく
 なっている。

・左脳というのは、合理的で冷酷、質にこだわる脳。
 左脳型の社会は競争も激しく、一定の条件を満たしていないと
 生き残れない社会。

・「何か人の役に立つことを目標にもったらいかがですか」と患者さんに
 アドバイスする。

 自分のことにこだわり過ぎて行き詰っているわけですから、
 そういう脳の使い方を転換して、公のほうに重点を移さなければ、
 根本的な解決にならない。


○右脳を意識して使う。仕事柄、左脳を多く使っている気がする。

 「公」「人のため」をより意識していこう。


●「人間学」作家 神渡良平さん

・「天に棄物なし」

 自分の取り組み方次第で、益となって働く

・宇宙の仕組みというのは、欠けたものがあれば、それを補うものが育つ。

・左脳が私的な働き、右脳が公的な働き。
 公的な生き方が、生きがいを見出す。


●日本M&Aセンター 分林保弘さん

・ホームステイ先 養子が二人いた

 利他の心に強烈に感動。

 人に対して貢献し、恩返しをしたい。


○自分たち家族だけが幸せでいいのか。

 養子とまではいかなくても、私も何らかの形で人に貢献したい。

 本業での貢献だけでなく、そこで得た収益を生かして、他の貢献もしたい。

 それが、今のCSR事業につながっている。

●エーデルワイス会長 比屋根毅さん

・本は自分を育ててくれるし、問題意識をもって読むと、不思議と
 答えを与えてくれる。

・「今日あなたは一日なにかいいことをしたか」を報告する

・私はものすごく運がよい。こんなに運がよくていいのかと思うほど
 いい方向にものごとが進んでいくのですが、その分、全部自分が
 背負わなければならない。

・百段の階段があるとすると、100人いたら99人までが、99段まで
 上がることができると思います。

 しかしあと1段上るのに、99段上ってきたそのエネルギーと
 同じくらいの力がないと最後の1段は越えられない。

 だから何かにぶつかった時「いまがエネルギーを使う時だ」と
 とらえています。


●筑波大教授 村上和雄さん

・学歴はあるけど、教養がない人。本を読まないから。

○言葉は勇気をくれる。


 

2009年07月14日

「日経 人事就職シンポ」分科会,謀价

09年7月14日(火)14時〜18時

日本経済新聞社主催「日経 人事就職シンポ」分科会,

担当させて頂きました。


基調講演は、リクルートワークスの大久保幸夫さんです。

講師控え室に行くと、すでに大久保さんが来ていらっしゃいます。

以前、別の分科会で高橋俊介さんとご一緒した時もそう感じたのですが、
講師控室には、微妙な間が流れます。


かといって、あまり話しかけると、基調講演者の集中感をそぐかもしれません。


私もそうですが、本当なら、講演直前はあまり話さず、静かにしていたい
という講師も多いかもしれませんね。


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14時、大久保さんによる基調講演が始まりました。

 「問題発見型人材  大学教育と企業教育の連係プレー」


私たち、分科会担当の講師は、一番前の「関係者席」で基調講演を聞きます。


後ろを見ると、650名は入るという、日経ホールがほぼ満席状態です。

会場をじっくり見るのは、この時が初めてです。

日経さんから、私の分科会に対して、こんな注文が出されていました。


「関根さん、なるべく参加型で、参加者同士が話し合える感じにして下さいよ。

 もう少し話したいという雰囲気で交流会になだれ込んで頂けるとありがたいです。」

・椅子は固定されている。椅子の間の隙間も少ない

・時間は、50分間

・参加者は、400名強

この状態で、どうやって参加者に話し合ってもらうか・・・


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15時30分


分科会,僚猗を始めます。


壇上で、パソコン画面の確認をしながら、会場の様子を眺めます。


分科会△忙臆辰気譴詈々が、会場を出て別会場に向かいます。


残った方は、400名強だそうです。


パラパラとあいている椅子も見えますが、
それでも400名以上いると、人は多いです。

ステージ横の裏方さんに、

「ステージを動き回ると思うので、ライトの調整をお願いします」


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15時45分


分科会,始まりました。


「ネットワーク型OJTの現場構築

 〜“業務との両立”に苦労するOJT担当者と
  “放置されがち”な新入社員をバックアップするために〜」


講演では、

・現場の状況 

  新入社員の声 OJT担当者の声

・ネットワーク型OJTとは? 

  マンツーマン型OJTとの比較

  利点と注意点 現場展開の難しさ

・バックアップの方法

  制度 ツール 研修


についてお話ししました。

DSCN67350001.JPG


時間をみると、終了まで、あと15分です。

「それでは、ここからは皆さんに考えて頂いた上で、

 お近くの方と意見交換をして頂きます。」


まずは、参加者に個人作業で、アイデアを書き出してもらいます。


その上で、近くの方との意見交換のやり方を説明します。


「座ったままだと、話しづらいでしょうから、恐れ入りますが

 全員立った状態で、近くの方と話し合って頂きます。


 それでは、全員立って下さい。」


「え〜。面倒くさい。立ってやるのか。」

といった表情の方もいらっしゃいますが、まずは全員立たせます。


「それでは、お近くの方、2〜3名と組んで、約10分間

 意見交換してみてください。」

参加者同士の話し合いが始まりました。

DSCN67420001_1.JPG

壇上を降りて、会場内を歩きながら、一人で座っている参加者を

他の参加者のグループに混ぜてもらうよう話かけます。

最後、全体での意見共有は、少ししかできませんでしたが、

なんとか時間内で終わらせることができました。


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16時35分

分科会講演が終了し、講師控室に戻ります。


もう結構、ぐったりしています。

この後は、交流会で質疑応答があるそうです。


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16時45分


交流会会場に行ってみると・・・


人があふれています。


皆さん、歓談が盛り上がっているようです。

日経のご担当者からアンケートを複数枚手渡されました。

参加者からの質問をピックアップしたそうです。


参加者からの質問として

・現場支援の方法をより詳しく知りたい

・内定者フォローとからめるには?

・評価制度についてはどう考えれば?

などが挙がっていました。

いくつかを選び、答えました。


日経のご担当者からは


「あの最後の立っての話し合いは良かったですよ。

 日経ホールでああいうのは、初めてでした。

 参加者もかなり打ち解けてくれたみたいですね。」


と嬉しいお言葉を頂戴しました。


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18時30分

聴講して下さっていたお客様と、講師仲間、日経さんのご担当者

と共に飲みに行きました。


今日のお酒は美味しそうです。


(ご参加下さった皆さん

 そして、お声掛け下さった原科さん、日経の皆さん、ありがとうございました!)


2009年07月10日

ヒューマンキャピタル2009 ミニ講演の実施

09年7月10日(金)10時40分〜11時

ヒューマンキャピタル2009 シアターA で、

日本経済新聞社特別講演として、ミニセミナーを実施させて頂きました。


テーマは「新入社員フォローアップ研修〜すぐに使える企画ネタ」

ヒューマンキャピタルでのミニセミナーは、今年で4回目となります。


毎回そうなのですが、ここでの20分間の講演は、けっこう大変です。

座って聞いてくださっている方はもちろんのこと、

立ち見の方や、歩いている方にも立ち止まって聞いてもらえるよう

話をする必要があるからです。


しかも、周囲展示ブースでは、各種の呼び込みをされています。

20分終わると、汗がどっと出ます。喉もちょっといがっとします。


私にとっては、良い修行です。


(原科さん、いつもありがとうございます!)

来週は、日経さん主催のシンポジウムがあります。(7月14日)

私は、分科会を担当させて頂く予定です。


「ネットワーク型OJTの現場構築」というテーマで小1時間ほど

お話をさせて頂きます。

定員は、650名のところ、900名以上のお申込みがあり、
抽選での参加となったそうです。

(さすが、日経さんですね。)


来て下さった参加者の方にお役にたつ情報提供となるよう
準備に尽力します。

2009年07月09日

「ラーニングイノベーション論 ネットワーク型OJTのすすめ」登壇


09年7月9日(木)18時30分〜21時30分

東京大学 中原先生がコーディネーターを務める

慶應MCC「ラーニングイノベーション論」

セッション6「ネットワーク型OJTのすすめ」のゲスト講師として

登壇させて頂きました。

今回は、事前の準備、先生との打ち合わせ、口頭リハーサル練習と

かなり時間をかけました。


(それでも時間を少し超過してしまいました。
 参加者の皆さん、すみませんでした。)


1時間10分の持ち時間内で、

・現場の状況
・ネットワーク型OJTとは?
・各社の取り組み事例

という点について情報提供させて頂きました。


そのあとの参加者同士のグループディスカッションで

話し合って頂く材料、考えるネタを提供させて頂くことが狙いです。

参加者は少人数で話し合った結果を、ポスターに整理します。


「どんなポスターができるのか」

「どんなコメント、突っ込みが入るのか」


ハラハラドキドキしながら待っていました。

出来上がったポスターを張り出し「ギャラリートーク」という

中原先生の進行で、参加者同士が発表しあっています。

参加者の皆さんの発表の中で、


・OJT担当者という言い方に違和感を感じる

 その人しかOJTをしないように聞こえる。

 うちの会社では○○という言い方をしている。


・そもそもOJTって何?


・OJT担当者を任命しない方が、かえって良いのでは?

 いや、やっぱり任命した方がいい。

 ただ、その人を孤立させないように支援することが大事。


・やっぱり部門トップ、現場マネジャーがカギを握っている


という話が出ました。


DSCN66490001.JPG

中原先生のラップアップ(まとめ)では、


●OJTの再定義が必要なのでは?

 「個人が仕事を教え、権限を移譲する(面倒を見る人)」から

 「みんなで仕事を教え、みんなで任せるを
  コーディネートする人(職場へ誘う人)」へ

 職場のネットワーク参入を支援する人としてOJTを捉えられないか

●どうやったら職場の協力行動を引き出せるか

この「職場の協力行動」に関しては、事前打ち合わせで、中原先生から

「ネットワーク型OJTで、絡んでくれる周囲の人にとって、
 
 そういう協力行動をとるメリットって何なんですか?」

と聞かれました。

「いや、メリットって言っても、皆教えたいからなんじゃないですかね。

 新人が入ってきて嬉しいとか。」

といった答えしか、私には思い浮かびませんでした。

私自身は、性善説なのかもしれませんが、

「新人に頼られたり、教えたりすること自体が、周囲の人にも心地よいのでは」

と考えています。


ですから、特にメリットがあると明確に認識していなくても、

周囲は、頼まれれば協力してくれているのではないかと思います。

ただ、協力が得にくい職場も確かにあります。

更に、中原先生の言葉が続きます。

●問い直すべきことが結構多い

 OJTとはそもそも何か? うちの会社ではどういう意味か?

 OJTという手あかのついたラベルで育成をすること、
 職場の人々の協力行動を得ようとすることは、本当に妥当なのか?

●もし新たに作らなければならないとしたら、なんというワンワードなのか?

これは、私自身、これから考え続けたい問いです。

ある参加者の方は

「OJTって言うと、現場の人間はひくけど、

 次世代の育成って言うと、乗り気になってくれる」

今回のセッションを担当させて頂いて、改めて感じたのは、

「OJT」という言葉についてです。

・そもそも、OJTという言葉そのものを知らなかった

・うちの会社では、OJTは〜を意味している

私自身も含めて、何気なく使っているこの言葉を、もう少し

考えて使った方がよいのかもしれませんね。


OJT・・・やっぱり追及し甲斐のあるテーマかも。

(ぜひ!東大大学院に入って、研究したい!)


改めて、そう感じさせてくれたセッションでした。

(中原先生、参加者の皆さん、事務局の皆さん、
 ありがとうございました!)