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2009年09月30日

「コミュニティ・オブ・プラクティス」

「コミュニティ・オブ・プラクティス〜ナレッジ社会の新たな知識形態の実践」

  エティエンヌ・ウェンガー、リチャード・マクダーモット、
  ウィリアム・M・スナイダー著 野中郁次郎 解説

○知識創造コミュニティを創りたいと思ったときの実践的な手引き。

(・引用/要約 ○関根の独り言)

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●監修者序文


・実践コミュニティを発見、支援

○既に組織の中で動いている活動を見つける。新たに植え込むのではなく。

・情報システム主導のKM(ナレッジマネジメント)に失敗。
 KMは、情報を集めることではない。人と人をつなぐこと。


・実践コミュニティとは「非公式に結びついた人々の集まり」

・実践コミュニティでの、コミュニティ意識は、専門家同士の仲間への
 忠誠心を意味する。

・本業が忙しい人ほど、複数のコミュニティで活躍することになる。

○これはあるんだろうなー。忙しい人のところに仕事が集まる。


・「想いをもって人と人をつなげるコーディネーター役を果たす社員」の存在

○日経のHさんは、まさにそうだよなー。
 

・日本企業は、一刻も早くナレッジワーカーのための、もうひとつの組織図を
 描かなければならない。

○ゼロックスさん関連で、Com of Pr を、推進しようとしているのかな。
 (総合教育研究所さんとか)


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●序章

・実践コミュニティは、学習する組織を作るという夢を実現させるための、
 具体的な組織基盤を提供するのである。

・実践者向けの手引きを書きたいと考えた。

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●実践コミュニティについて

・クライスラーでは、新興の知識集団を、新しい組織として正式に組み入れるの
 ではなく、非公式な要素をもつ機構のままで認可し、支援を与えることにした。

・知識経済の最前線に立つ組織が成功するためには、実践コミュニティの力を
 借りなければならない。

・実践コミュニティとは、あるテーマに関する関心や問題、熱意などを共有し、
 その分野の知識や技能を、持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団。

・実践コミュニティは、どこにでもある。
 この古来の仕組みに、ビジネスで新しく中枢的な役割を担わせることが
 組織にとって必要になっている。

・最先端の問題を探求する一流のコミュニティに属する従業員は、企業に
 とどまる確率が高い。

○リテンションの手段として。

 確かにそうだろうなー。
 魅力的なコミュニティの一員であれば、居続けたくなるのかも。

 そこを出てしまうと、人とのつながりや、情報が手に入りにくくなる。


・知識は「知る」という人間の行為の中に存在する

・専門家の知識とは、経験、つまり彼らの行動や思考や会話のいわば「残留物」が
 蓄積したものである。


・最も利用頻度が高く有益な知識ベースは、コミュニティに組み込まれたもの

・実践コミュニティは、暗黙知と形式知を結び合わせることができる

○そのコミュニティに入れないと(アクセスできないと)
 知識が得られなくなるのかも。

 ウェブや書籍ではなく、生身の人間がやりとりをするコミュニティに属する


・組織自身のためにも、実践コミュニティを積極的かつ体系的に育成して
 いかなければならない


・実践コミュニティが、組織にもたらす利益は、短期的には「事業成果の改善」
 長期的には「組織能力の開発」

 コミュニティメンバーにとっての利益は、短期的には「仕事のあり方の改善」
 長期的には「専門的能力の開発」

○短期的には「改善」長期的には「開発」


・メンバーはコミュニティの実践者であり、業務チームの一員でもあるという
 二重の役割を果たす。二重編みの知識組織。

・この多重成員性が、学習のループを生み出している。

・実践コミュニティは、専門家が現場の業務に関与することなく知識を開発する
 研究拠点とは大きく異なる。

○業務チームそのもの(職場)は、実践コミュニティになりえない?

 職場外のメンバーで、同じテーマに興味関心をもつ人達が集まること?


・頻繁に配置転換がある。唯一のよりどころは、実践コミュニティ。

・公式の組織構造が変化する市場に対応するため形を変える一方、
 非公式で自発的な組織、実践コミュニティが、安定的な形を保つ。


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●実践コミュニティとその構成要素

○俺が関わっている「カンファ学び8」も実践コミュニティになるかな。

 企業内教育、人材育成に興味関心を持つ、様々な会社のメンバー
 (人事、教育だけでなく、営業、コンサル、サービスなど)
 が集まる。

 あるいは、より実践コミュニティとなるような働きかけが、
 今後必要になってくるのかも。

 2009年10月から参加させて頂く、中原ゼミは、
 やはり実践コミュニティなのかな。


・実践コミュニティには、多様な形態があるが、基本的構造は同じ。

 1)一連の問題を定義する知識の領域(ドメイン)
 2)この領域に関心をもつ人々のコミュニティ
 3)この領域内で効果的に仕事をするために生み出す共通の実践(プラクティス)


・領域こそが、コミュニティの存在理由である。1つにまとめ、学習を導くのは領域。

○人が関心あるもの。そこに絞られていれば、人はその場に集ってくれる?


・実践コミュニティを築くためには、メンバーが領域の重要な問題について、
 定期的に情報交換する必要がある。

○ただ、飲んでいるだけだと、イマイチなんだろうなー。
 やっぱり素面のうちに、少し話ができるといいんだろうな。その上で飲む。

○あるいは、飲み屋に、円形のテーブルで、ホワイトボードとかあると、
 話し合いがより盛り上がるのかも。

 
・コミュ二ティにどれだけ関与するのかを決めるのは個人。

・コミュニティの参加者にとって「互恵主義」が重要。

・いつかは恩恵を被ることを信じて、コミュ二ティに貢献するのは、善意のプール
 つまり「社会関係資本 social capital」があるから。

○OJT担当者による新人育成を手助けする周囲の人々の協力行動も、
 この「ソーシャルキャピタル」の考え方で説明できないか?

 
・コミュニティ開発の指針

 1)領域 本当に大切なのはどのテーマや問題なのか自問自答する
 2)コミュニティ どのくらいの頻度、連絡方法、どのような活動
 3)実践  記録やアクセスへの配慮 コミュニティを有効な知識源に


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●実践コミュニティ育成の7原則

・コミュニティは自発的で有機的なものではあるが、優れた設計によって
 活気を誘引したり引き起こすことができる。

・育成の7原則

1)進化を前提とした設計を行う
2)内部と外部それぞれの視点を取り入れる
3)さまざまなレベルの参加を奨励する
4)公と私それぞれのコミュニティ空間を作る
5)価値に焦点をあてる
6)親近感と刺激を組み合わせる
7)コミュニティのリズムを生み出す

・コミュニティメンバーの集合的な経験を活用する。そのためには、
 部内者の目線が必要。

・活発なコミュニティにはイベントを計画し、メンバーを結びつける
 コーディネーターがいる。

○「最高の居場所」は、活発なコミュニティの好例だよな。

http://blog.livedoor.jp/saikouno_ibasyo/


・コミュニティへの参加の度合い

 コアグループ→アクティブグループ→周辺グループ→アウトサイダー


・傍観者は、みかけほど消極的でないことが多い。

○確かに、MLでROMであったとしても「読もうとする」こと自体が、
 積極的な参加だよな。


・コミュニティの活動のなかで最も有用なのは日常のちょっとしたやりとりで
 あることが多い。

○これが、独立してIC的に仕事をしていると得られないんだよな。
 だからこそ、人と一緒に仕事をしたり、勉強会等に参加するのが大事なのかも。

 今後、大学院の研究室では、こうしたちょっとしたやりとりから得られるものが
 大きいのかも。


・実践コミュニティは、日常の仕事のプレッシャーから離れた「中立的な場」と
 呼ぶものにあたる。

・コミュニティ開発で鍵になるのは、発展の各段階にふさわしいリズムを見つける
 ことなのである。


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●発展の初期段階

・コミュニティでの議論は、非常に自発的なようにみえるが、この自発性は
 見かけよりもずっと手がこんでいるのだ。

・コミュニティの発展には、5つの段階がある。

 1)潜在 2)結託 3)成熟 4)維持・向上 5)変容


・1)潜在

・コミュニティの発展はすでに存在する社会的ネットワークから始まる。

 これらのネットワークを土台とし、すでに人々がもっている共通点を
 正しく認識することがカギである。

○そう考えると、これはやはり従業員数30名以下の
 中小企業の中だと難しいのかも。

 やっぱり従業員数が多い大企業向けかな。

 従業員数が多いからこそ、実践コミュニティが散在しているともいえるか。


・コミュニティではコーディネーターと思考リーダーが成功のカギを握る。

 思考リーダーは、領域の最先端の問題を明確に示すことができる人。

○思考リーダーを、実践コミュニティにひきつけることがまず必要なのかも。
 コーディネーターはいても、思考リーダーは少ない。

・コーディネーターは、対人能力に優れる。
 主な役割は人と人とを結びつけることであり、質問に答えることではないので、
 一流の専門家であることはハンデとなりうる。


・2)結託

・コミュニティに加入すべきという根拠を示すことが必要。それはコミュニティに
 貢献することの価値と、他の人々の経験から学ぶことの価値だ。

○カンファでこういう試みをしてもよいのかも。

 自分が困っていること、メンバーに手助けしてほしいこと、
 自分が貢献できること、手助けできること をカードに書く。

 それを全員で共有するとか。

・一連の定期的な催しの予定を立てることで、リズムが生まれ、メンバーの
 日常生活の一部となる。

・コミュニティの価値を早い段階で実証することがカギ。


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●発展の成熟段階

・新参者は、自分たちが発言することにより、議論の質を低めてしまうと考え、
 積極的な関与を遠慮していた。

○これはあるだろうなー。俺も研究室に入った初期段階はこうなるかも。

 まずは議論を理解し、ついていこうとするので精一杯になるかも。


・3)成熟

・集中と拡大 新しいメンバーを受け入れることと、最先端の問題や専門家同士の
 相互交流という関心ごとに集中することとの間に、強いせめぎ合いを感じる。

・コミュニティは成熟するにつれ「同業者の親密感」とでもいうべきものが育つ。

・新参者たちを引き付けるのは、コアメンバーの名声や活動であることが多い。
 彼らが時間と労力をコミュニティから引き揚げてしまえば、コミュニティ自体の
 魅力も低下してしまう。


・4)維持向上

・いかにして勢いを持続させるか

○具体的なワークプランが提示されていて参考になる。


・5)変容

・どんなに健全なコミュニティでも寿命を迎える


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●分散型コミュニティという挑戦


・自分たちのコミュニティがもたらし得る価値に気づくまでに時間がかかった。

○これはあるだろうなー。既に存在しているコミュニティが、その価値に
 気づくことを手助けする。「発見・発掘」の手助けができる人が必要なのかも。


・対面での会合や相互交流ができないすべての実践コミュニティを
 「分散型コミュニティ」と呼ぶ。

・グローバルコミュニティだと、助けを求めるのに躊躇する人がいる
 「知らない何百もの人に向かって、ありのままを打ち明けるのはちょっと難しい」

・分散型コミュニティを作る為には、特別の努力がいる。
 だが、その障害を克服できれば、報いもまた大きい。

・コーディネーターは、人を結びつけるが情報を伝達するわけではない。
 仲介するのは「関係」であって、情報ではない。

○これは面白いなー。人とと人が結びつくこと自体に価値がある。


・コミュニティコーディネーターは、時には興味をそそる質問や挑発的な
 発言で「鍋をかき回す」ことで議論を促さなくてはならない。

○これはあるよなー。

 俺も「田舎起業」で、メルマガを出していたとき、やっていたかも。

 会ったことがないメンバーと、メルマガを通してコミュニティを作っていた。
 あれも一つの「分散型コミュニティ」と言えるのかも。


・真にグローバルな存在になるためには、コミュニティが必要。

・ITによってユニット間の相互依存が深まっている今でさえ、グローバルな
 統合を遂げるために必要な人間関係を生み出すのは、実践コミュニティ。

・コミュニティが単なる情報システムと違うのは、メンバーがものの見方や
 枠組みを共有している点。

・実践コミュニティは、グローバル化の要請に応えることのできる
 人材プールを生み出す。

・実践コミュニティは、人間関係がはかなく希薄なこの世界での安定的な場所となる。

・真にグローバルになろうとする知識集約型の組織にとって益々不可欠。


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●実践コミュニティのマイナス面


・実践コミュニティのマイナス面として、知識をためこみ、技術革新を阻み、
 人を専門知識のとらわれの身にすることがある。

・実践コミュニティは問題解決の特効薬ではない。
 
 実践コミュニティは、昔から組織の中にあったのだから、問題の一部に
 なっていることも多い。

・コミュニティが生み出す親密感は、新参者を締め出す垣根となり、新しい
 アイデアに目をつむらせ、批評し合う意欲をそいでしまう。

○これはあるだろうなー。批評し合えるコミュニティというのはなかなか無いのかも。


・傲慢なコミュニティは、知識に対する独占的な所有権を要求し、知識を
 他のコミュニティや組織全体から隠してため込むようになる。

・コミュニティは用心しなければ馴れ合いを生み出してメンバーを新しい世界の
 探求や外部からのインプットから閉ざしてしまうことになる。

・コミュニティがコーディネーターの活動やリーダーのカリスマに依存すると、
 他のメンバーの発言が封じられ、考え方の多様性が損なわれる。
 
 リーダーシップと責任の分担が肝要。


・専門家同士は、用語や経験を共有しているため、すぐに問題の核心に集中する
 ことができる。しかしこの効率性のおかげで新参者にはついていけない。

○これはあるだろうなー。十全的参加を果たしている人たちの会話は、
 周辺参加者には良くわからない。でも、そのわからなさが、いずれは
 十全的参加を果たしたいという欲求に火をつけているのかも。


・似たような問題の蒸し返しは、コミュニティにとって命取りになりかねない。
 参加しても意味がないとメンバーに思わせてしまう。

 コーディネーターは、洞察や質問が記録され、コミュニティの活動が蓄積
 されていくよう配慮する必要がある。

○「最高の居場所」は、上手に役割分担をして、この「活動内容の記録」を
 行っているよなー。


・知識の移転を阻む要因は、コミュニケーション上の問題と、実践者と社内の
 ビジネスリーダーとの結びつきの弱さである。

○これは、研修も一緒かも。社内のビジネスリーダー(主に職場の上司)と、
 教育担当者や研修講師との結びつきが弱いから、参加者が得た知識の移転が難しい。

 「あの教育担当者が企画したことなら、講師から学んだことなら、
  職場でも役に立つ」と上司から認められていれば、また違うのかも。


・知識は、実践に粘着している。


・コミュニティの自発性が、組織の複雑さを増す。

・コミュニティ内部のリーダーシップ、境界でのリーダーシップ、組織の
 リーダーシップが必要。

○「リーダーシップ」に期待、依存することが大きいのか。
 なんでもリーダーシップで解決できるものなのか。それは個人頼み?

 ただ、リーダーシップを発揮する人を分散させることは大事。
 たった一人のスーパーマンのリーダーシップでは解決できない。


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●価値創造の評価と管理


・社内の実践リーダーに、自由度を与えることの大切さ。

・コミュニティの評価管理が成功しているのは、企業文化の御蔭。
 知識と業績との間に強い因果関係があると認める文化。


・実践コミュニティの価値を評価する最高の方法は、物語の収集である。

 物語(ストーリーテリング)によって知識がどのように用いられたのかが語れる。

・物語を語るというプロセスを正当化すれば、人々は自分の夢を実現して、
 いつの日か物語として語ろうと思うようになる。

・コミュニティメンバーにインタビューして物語を収集するにあたっては、
 質問を掘り下げる必要がある。

○どんなものが「物語」なのか? 俺の理解不足だけど。


・コミュニティへの参加意欲を最も引き出すのは、金銭的な報酬ではなく、
 同僚に功績を認められること。


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●コミュニティを核とした知識促進活動


・コミュニティに本来備わっている活気にテコ入れするような、組織の
 知識推進活動を設計する。

・学習したい、関係を築きたいというメンバーの「非公式」な願望と、
 成果を求める組織の「公式」な要求との間の緊張関係はさけられない

○確かにそうだろうなー。

 組織に属しているからこそ、実践コミュニティに属せる恩恵が得られているなら。


・推進活動の5段階

 1)準備 2)立ち上げ 3)拡大 4)統合 5)変容


・1)準備

・この時期に推進活動と事業戦略とを強く結び付ける


・2)立ち上げ

・目立つ VS 目立たない 両方のやり方がある


・3)拡大

・ナレッジシステムに統合させることが不可欠


・4)統合

・コミュニティが知識世話人として果たす役割を正当化すること


・5)変容

・持続的に変容させる

○教育工学会の発表で「変容」させることで「サスティナビリティー」を保って
 きたという話があったなー。


・コミュニティ開発を側面から支援する「支援チーム」を作ることと、
 教育を行うこと。

・コミュニティコーディネーターの訓練、指導は特に大切。


・コミュニティが組織を変容させる力は、非公式の組織を従来のように「管理」する 
 のではなく、「育成」するというパラドクスをいかに実現するかにかかっている。


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●世界の再構築


・コミュニティは、拡張型ナレッジシステムとなる。

 企業の境界の内外の関係や交流によって作られる、より広範は「価値の網」
 の編成をうながす。

・コミュニティには、メンバーの参加を促し、一つにまとめる強力な要素が
 欠かせない。つまり有用な知識を分かち合い、メンバーにとって貴重な
 アイデンティティを生み出す、本物の機会だ。

・コミュニティに基づくアプローチをより広範に適用すれば「市民セクター」の
 能力を構築できる。

○地域での活動、保育園の支援にも適用できるのかも。


・壮大な構想というよりも、一歩一歩一つ一つのコミュニティで進められていく。

○「日本の教育を変える」という構想も、地域で一つ一つやっていく。


・学習や知識に適した組織の設計について現在企業で学んでいることは、今後の
 市場の進化について、そして社会や世界の統治にまつわる挑戦や機会について
 重要な示唆を与えてくれる。

○これは勇気がでるなー。今、企業内教育に関わっているが、ここでの知見は
 他の分野でも役に立つ可能性があるということ。


・企業は優れた学習研究所である。


・仕事関連の実践コミュニティで経験を積んだ人々は、仕事を離れた生活でも
 率先して同じような機構を生み出すはずである。


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●解説 野中郁次郎 一橋大学教授


・経営資源としての知識

・「知識創造こそが、組織活動の本質」

○組織(人と人が一緒になって)活動(動く)ことの本質は、
 知識を作りだすことにある。

 個人だけだと、知識創造は難しい?


・人と人との間で文脈を共有しなければ、暗黙知は移転されない。


・コミュニティが「共有された文脈」であるのに対して、
 場は「常に変化する、共有された文脈」である。

・「場」と「コミュニティ」は、相互補完的な概念。


・根本的な議論ができる「よい場」あるいは「よい実践コミュニティ」を
 創り続けること。

○こういう場を作りたいなーと思うのは、知的欲求なのかな。


・弁証法的対話ができない実践コミュニティは、単なる派閥。

・守(learn)破(break)離(create)


○野中先生の「知識創造企業」改めて読んでみよう!

「状況に埋め込まれた学習〜正統的周辺参加」

「状況に埋め込まれた学習〜正統的周辺参加」

  ジーン・レイブ エティエンヌ・ウェンガー 著
  佐伯 胖 訳


○職場での新人指導や学校教育に対して、
 今までとは違ったものの見方を与えてくれる本。

(・引用/要約 ○関根の独り言)

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●序文

・学習を、個人の頭の中にではなく、共同参加の過程に位置つけている。

・人間の理解とコミュニケーションが状況に埋め込まれているという性質を
 研究する人間科学。

・著者は、学習を命題的知識の獲得と定義するのではなく、学習を特定の
 タイプの社会的共同参加という状況の中におく。

・個々の学習者は、ひとまとまりの抽象的な知識の断片を獲得し、
 それを後に別の文脈にあてはめるといったことはしない。

○これは、研修でやっていることかもなー。職場での実践という別の文脈への
 あてはめは、参加者個々人に期待されている。

・学習者は、正統的周辺参加というゆるやかな条件のもとで実際に仕事の
 過程に従事することによって業務を遂行する技能を獲得していくのである。

○新入社員が職場で学んでいく際には、まさにこの正統的周辺参加が
 起こっていると言える。ただ、「正統的」と新人が受け止める活動と
 なっているかという点はあるかも。

 LPPは、新人の学習という点では説明ができる。ただ、教える側の
 OJT指導員が「教え方を学ぶ」という点では、LPPは考えにくい。

 教える人のコミュニティーに参加し、
 他者に教えている先輩を見る機会が少ない?

 業務ができるようになるのが「正統的」だとすれば、
 他者に教えるというのは「付随的」と言えるのでは。

 OJT指導員が教え方を学ぶ際には、LPPという考え方は適用できないかも。

 
 他者への教え方を人はどうやって学ぶのか?

 自分が教わってきた経験、書籍からの知識、研修、
 試行錯誤(やりながら)、同じ経験をしている同僚との意見交換、

 他者への教え方を、人がどう学んでいるのか・・・


・学習は、いわば参加という枠組みで生じる「過程」であり、
 個人の頭の中ではないのである。この定義では、学ぶのは「共同体」である。
 
 学習はいわば共同参加者間に分かちもたれているのであり、
 ひとりの人間の行為ではない。


・技能的に優れた学習者は、多様な参加領域でさまざまな役割を
 演じる能力のようなものを獲得していると見なされる。

・習熟とは、変化している状況に応じた行為のタイミングを含む、
 すなわち即興的行為の能力である。

○これはおもしろいなー。


・学習が、業務へのアクセスを増大させることに関連しているとすると、
 学習を最大限に生じさせるのは、その業務を遂行してみせることであって、
 それについてしゃべることではない。

○やってみせて、やらせてみて。言って聞かせる、よりも。


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●正統的周辺参加


・学習者はいやおうなく実践者の共同体に参加するのであり、
 知識や技能の修得には、新参者が共同体の社会文化的実践の
 十全的参加(full participation)へと移行していくことが必要だということ。

・徒弟制を通した学習は、正統的周辺参加の問題。

・徒弟たちは、日常作業の中で、ことさら教え込まれたり、試験を受けたり、
 機械的なまねごとに終始するといったことがないまま、どうやって技能を
 修得するのか。

・「抽象性の力」は全く状況に埋め込まれたものであり、人々の生活の中にあり
 それを可能ならしめる文化の中にある。

○「状況に埋め込まれた学習」「状況的学習」の「状況」とは? 
 何となくわかるけど、他者に説明できるほど、俺自身が理解できていない。

 学習者自身がいる環境の中? 仕事を行う場所そのもの? 周囲との関係?


・学習は、この生きられた世界での生成的な社会的実践の欠くことのできない
 一部なのである。

・正統的周辺参加というのは、学習を必須の構成要素とする社会的実践への
 かかわりを記述する手段として提案されたものである。

・正統的周辺参加を「分析的視座」として記述

○「かかわりを記述する」かかわりを説明する手段としての
 「正統的周辺参加」という考え方

 世界をどう説明するか

・「周辺的参加」が向かっていくところは、「中心的参加」「完全参加」
 ではなく「十全的参加(full partcipation)」

・「周辺性」は積極的な言葉。反意語は「無関係性」「非関与性」


・学習に新鮮な目を向けたかった

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●実践、人、社会的世界


・すべての学習論は、人、世界、およびそれらの関係についての
 基本的な仮説に基づいている

・学習に関する従来の説明では、知識が「発見される」にせよ、他人から
 「伝達される」にせよ、あるいは他人との「相互作用の中で経験される」にせよ
 そのような知識が「内化」する過程を学習とみなしていた。

・知識とはおおむね頭の中(大脳)にあるものとし、個人を分析単位としてきた

・学習を内化とみなすことは、学習を与えられたもの(所与)の吸収であり
 あとはそれが伝達によるか同化によるかの問題になるものと解釈されてしまう

○こういう学習に対する今までの考え方とか、先行研究で言われてきたことを
 きちんと把握しておかないとなー。

 アカデミックな世界に参加できるレベル、スタートラインにたつためにも、
 相当量の文献を読まないと、追いつけない。

 ただ、あせらず今俺にできることを、一つずつこなしていこう。

 いつかは追いつける。そして、いつかは俺独自の視点も出せるはず。

・学習を内化として見るのとは対照的に、学習を実践共同体への
 「参加の度合の増加」と見ることは、世界に働きかけている
 全人格(whole person)を問題にすることである。

・社会的実践の一側面として、学習は全人格を巻き込む。それは、
 社会的共同体への関係付けを意味している。すなわち十全的参加者になること
 成員になること、なにがしかの一人前になることを意味している。

・学習を正統的周辺参加と見ることは、学習が単に成員性の条件であるだけでなく
 それ自体、成員性の発展的形態であることを意味する。


・新参者の参加の増大は、古参者の交替を意味している。この矛盾は、
 正統的周辺参加としての学習には本来的に含まれている。

・学習とは単なる転移や同化のプロセスではない。

・学習、変容、変化というものは、常にお互いに関係づけられている。


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●産婆、仕立屋、操舵手、肉屋、断酒中のアルコール依存者


・学校という土俵に無反省的に引きずり込まれたりしないような状況のもとでの
 実践内学習(learning-in-practice)を調べたり、教えこみによる
 構造化にもとづく教育ほど徹底的にはその構造が見えにくくなっていない
 「教育的」契機を探したりすることが有効であるように思われる。

○学校以外の教育機会

 無理に教え込もうとしない。教え込むことが目的でない場。
 でも自然に参加者が学んでいる。

 新人へのOJTが放置状態になっているとはいっても、
 それが一慨にだめとは言えないのかも。そこで自然に学べていたとしたら。

・ユカタンの産婆の徒弟制

・教えること(teaching)は、熟練者になる産婆のアイデンティティにも学習にも
 なんら中心的でないように見える。

・産婆の徒弟だとは認められずに、たんなる成長過程の中で、産婆術の実践の
 エッセンスを多くの手続き知識とともに吸収していく。

○うちの子供たちも、経営者的な考え方が、自然と身に付くといいなー。
 そのためには、ある程度の働きかけ(仕事を手伝わせる)とかは必要になるかな。

 身につけさせたい経営者的な考え方とは何か?

 ー自己責任、自分で決める、他人のせいにしない
 ー考える、未来について考える
 ー振り返る、
 ー人の話を素直に謙虚に聞く
 ーおそれずやってみる、挑戦
 ーリスクを予測する、考える
 ー上手に学べる
 ーあきらめない、ねばりづよく続ける
 ー勉強好き、
 ー前向き、楽観的
 ー他者の強みを知ろうとする、協調

 とかかなー。自分にできているとは言えないけど、
 こうありたいと思っているって感じかなー。


・ヴァイ族とゴラ族の仕立屋

・それぞれのステップが、いかに前段階が現在の段階に貢献しているかを
 考える無言の機会を提供している。この順序づけは重大な失敗経験を最小にする。

・学習は「入口 way-in」と「練習 practice」の2段階に分けられる。
 「入口」段階は、観察期間を指す。「練習」段階では、特別のやり方で実行される。

○観察期間の重要性。これは、新人へのOJTでも当てはまるのかも。

 放置ということではなく。


・海軍の操舵手の徒弟制

・限定された任務からはじめ、習熟するにつれて更に複雑な業務手順に進む


・肉加工職人の徒弟制

・徒弟制が実践の中の学習を不可避的に促進させるものだと主張している訳ではない。

・円熟した実践のアリーナ(本場)での活動に近づくことを拒否する
 ようなやり方で、徒弟たちを未熟練労働につかせてしまうこともある。

・熟練者(親方)たちが、教授的権威主義者として振舞、徒弟たちを
 「教え込まれるべき」新人どもとみなして、共同体のそれ自体の再生産の
 ための周辺的参加者とみなさない場合もある。

○「教え込まれるべき新人ども」こういう風に考える教え手はいるだろうなー。


・作業場のレイアウトも学習の重要な特質である。徒弟は他の人々を観察したり、
 自ら観察されたりして多くのことを学ぶからである。

○新人が入ってきた職場の「席の位置」とかも大事な学習の要素なんだろうなー。

「先輩と席が遠いので話しづらい」という意見が出ることが多いが、それ以外にも
 彼らが学ぶことを手助けするような、職場のレイアウトがあるのかもしれない。

 少なくとも、指導員のそばに席を設けるぐらいは必要なのかも。


・ひとたび自分の職にはまってしまったならば、作業の全領域を学ぶことは
 めったにない。

○新人のうちこそ、全体を学べるよいチャンスなのかも。


・断酒中のアルコール依存者の徒弟制

・複雑さと活動範囲が増大していく仕事の断片に部分的に参加する

・人々が変わるのは、行動が変わるだけのことではない。
 それはアイデンティティーの変容である。世界でもものごとの見方、振舞方が
 変容するということ。

 それを促進させる一つの重要な道具立ては、パーソナルストーリーである。

○その人自身の物語を、他者に語ることによって、語り手自身の変容を促す?

・徒弟制と状況的学習 あらたな検討課題

・学習者が学習の重要な資源に対してアクセスできるかどうかを問題視。

・十全的参加者は「ああいう人達になること」が具体化した到達点。


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●実践共同体における正統的周辺参加


・前章の5つのケースでは、観察できるような教える行為がほとんどない。

・共同体の実践は、最も広い意味での潜在的な「カリキュラム」−新参者が
 正統的周辺でのアクセスによって学習できることーを作り出す。

○「アクセス」というのがカギになるのかも。
 
 アクセスできる環境におかれているのか、そうでないのかが大きい?


・学習には強烈な目標がある。学習者は、周辺的な参加者として、全体の構図が
 どういうことについてなのか、またそこではどんなことを学ぶべきなのかに
 ついての自分の考えを発展させることができる。


・親方−徒弟関係を、「脱中心的」に見ることから、熟練というものが親方の中に
 あるわけではなく、親方がその一部となっている実践共同体の組織の中にある。


・伝統的な知見では、徒弟は「観察と模倣」により実践の「特技」を学ぶのだと
 された。しかし、この考え方は間違っている。

・正統的な周辺性に十分長くいることで、学習者は実践の文化を自分のものにする
 機会に恵まれる。

○「正統的な」周辺性に、新人が置かれているのかどうか。

 全体が見れる状況にアクセスできるのかどうか、が大事ということかな。


・学習のカリキュラムは、本質的に状況に埋め込まれたものである。それは勝手な
 教え込み的な言葉で操作されるものではない。


・正統的周辺参加へのカギは、実践共同体と、その成員性に伴う全てに対する
 新参者のアクセスにある。


・肉やの熟練者は、彼らの徒弟を活動に周辺的たらしめるのではなく、むしろ
 それれから遠ざける仕事に閉じ込めていた。

○これが、正統的周辺参加が上手くいかないケースなんだろうな。
 アクセスを拒否する。


・学校の子供たちは、正統的に周辺的である。しかし、社会的世界には
 参加しないようにされているのである。

○子供が、社会に「参加」できるようにする。

 −お手伝いをさせる −仕事を手伝わせる −地域活動に参加させる

 とかも必要なのかも。学校に閉じ込めておくだけでは、参加はできない?

・学校でうまく「やっていく」ことを学ぶことが、学校が教えることの主要な
 部分になっている。

○学校という閉じた世界

 −時間割通りに、生活が進んでいく(与えられたもの)
 −同年代の子供たちに囲まれ
 −大人は1人、指示する人

 この世界で「上手くやっていく」。これは特に友達関係であるかも。

 学校の外には、違う世界が広がっているのに、中にいると、この世界だけと
 思ってしまう。


・コピー機の修理工は「戦争物語」をお互いに話す。新参者は、このプロセスで
 どうやって修理をするかを学ぶと同時に「戦争物語」を話すスキルも学び、
 それで実践共同体での正統的参加者となる。

・語りから学ぶのではなく、正統的周辺参加への鍵として語ることを学ぶ。

○言葉で教えられて学ぶというよりも、参加するための手段として本人たちが語る?


・正統的に周辺的なやり方で参加できるということは、新参者が円熟した実践の
 本場に広くアクセスできることを意味している。
 
・参加の価値のもっと深い意味は、共同体の一部に「なる」ということにある。


・十全的参加者が「新参者はやがて古参者になること」によって、入れ替えられる。
 
 世代をまたがって連続性を達成する手段としての正統的周辺参加と、
 置き換えとの間には緊張関係、コンフリクトがある。これは根本的なものであり
 基本的矛盾である。

================================

●結論


・状況的学習を、意味を獲得する参加の軌道の中で捉える。この軌道はそれ自体が、
 社会的実践に埋め込まれていなければならない。

・状況的学習活動は、実践共同体における正統的周辺参加となった。
 
・新参者の十全的参加者になりたいという欲求によって動機づけられる。


================================

●解説 認知という実践 「状況的学習」への正統的で周辺的なコメンタール


・この書は、認知科学と社会科学といういままであまり交わることのなかった
 二つの領域に、極めて錯綜した形で橋渡しをし、それぞれの領域のジャーゴンを
 独特な形でずらすことにより、微妙な、しかし新しい理論的ゲシュタルトを構成。

・行動主義は、外的に観察可能が行動に関心を集中し、基本的に刺激−反応図式で
 全てを説明しようとする

・認知主義は、人間の内部構造の豊かさに注目し、それを特にコンピューターの
 情報処理に見立てて積極的にモデル化しようとする。

・意識派(現象学主義)は、人間の意識的経験、主観的な肌触り(qualia)や
 志向性といった観点を強調し、前者2つの双方を批判する。

・社会科学(特に文化人類学、社会学)の主張のかなりの部分が、行動主義に入る?

・ドレイファスのような反AI主義者は、認知研究が本当の熟練の極致のレベル
 までは分析するに到らず、むしろ彼の言う熟練の5段階のうちの「上級者レベル」
 (そこでは状況を全体的に判断することが可能になる)で止まっており、本当の
 エキスパートレベルに達すると、そうした「状況判断」といったものも
 必要なくなり、ほとんど自動的に状況の変化に対処すると主張している。

・ギブソンは、熟練の最も高いレベルに達すると、ある種の道具や状況との一体感
 のようなものを経験でき、そこでは「情報処理」といったものは必要ないと主張。

・プルデューとパスロンの「再生産」という本と、本書を比較するとよい。

 「再生産」では、徒弟的認知と学校のシステムの対立が、正統的文化の押し付けと
 それによる非支配階級の実践的な知の排除という形で露骨に論じられている。

○この本も読んでみよう。

・人間=コンピューターというメタファーの有効期限が切れつつある。
 認知科学のおかげで、我々はいかにコンピューターと異なるかがはっきりしてきた。

================================

●訳者あとがき


・学習と呼んできたことは、特定の「与えられた」教科内容を、特定の子供が
 いかにして理解に達するかということに焦点が置かれたものであった。

・教育の問題を本気で考えると「分かって何になる」「できたからって、それが
 どうした」という問題にぶつかる。

・本書は「考える糸口」を提供している。

1)LPPは、学習を教育とは独立の営みとみなしている。
 学習はまさしく学習者自身の営みであって、教師や教室や教材が、学習を
 「もたらしている」とか「方向づけている」のではない。

2)LPPでは学習を社会的実践の一部であるとする。つまり学習とは「学びとる」
 とか「身につける」というよりも「世の中のためになること、いわば仕事をやる」
 ことなのだという。しかも個人の営みではなく、当人が属したいと願う共同体が
 想定されているということである。

3)LPPでは学習を「参加」と捉える。学習によって人は何かに貢献する。

 学校や教室は、子供が社会や文化の中にある学びの実践共同体にアクセスしていく
 「橋渡し」の場とみなすべき。

4)LPPでは学習はアイデンティティー形成過程であるとする。
  学習とは「何者かになっていく」という自分づくり。

 追及していくべき「世界」のひろがりの実感とそれへの参加意識が芽生えている。

5)LPPでは学習とは、共同体の再生産、変容、変化のサイクルの中にあるとする。
 全ての人は、つねに「将来の共同体」に向けての新参者である。

 「古顔」に安住している人は、可能性を自ら断っているにすぎない。

6)LPPでは学習をコントロールするのは、実践へのアクセスであるとする。

 教材や教師の役割がここにあるとすれば、学習者にいかに本物の円熟した
 実践の本場(アリーナ)を当初から垣間見せて、そこへ「行ける」実感をもたせ、
 またたとえ周辺的であっても、そこにつながっているということが分かるような
 実践の手立てを講じるということである。

○佐伯先生の話は、やっぱり刺激的。

 「学びのドーナッツ論」とLPPのつながり。

「デザインド・リアリティー 〜半径300mの文化心理学」

「デザインド・リアリティー 〜半径300mの文化心理学」

  有元 典文, 岡部 大介

○人の主体性や自律性に対する考え方が、ガラリと崩される本。


(・引用/要約 ○関根の独り言)


●はじめに

・「誰として誰に」は、学問の領域において問われることが少ない。
 客観的で中立的な「研究者」という超越的な視点から、対象を描いてしまう。

・本書では「現実」があるがままにただ与えられたものではなく、
 我々自身の長い歴史をかけた文化的洗練で「作られ」作り替えられつつ
 あるものであることを示したい。


・あるものに別の意味や役割や機能や見えを与えることを、
 「デザイン」という言葉で表したい。

・「なぜ勉強するの?」と問われたら、世界を維持し、デザインする仕事を
 一緒に受け持ってもらうためだ伝えていきたい。

○こういう答えをできたら、壮大だよなー。日本人の文化を受け取り、
 日本人になっていく。かつそこから自分たちで世界を作り出していく。
 
 そのために勉強が必要。何の勉強が? その社会で重視されていること
 (規範、立ち居振る舞い)いずれは必要になるとその社会で思われていること
 (授業)、その社会に参加していくために必要な知識、技術、態度とかかなー。


●社会文化的サイボーグ 人工物とともに (コーヒーショップ)

・行為遂行を、徒手空拳ではなく、人工物(道具)を最大限活用することで行う。
 学校では、人工物を与えず自力で記憶させたり、計算させたりと、
 かえって学校の方が時代に逆行し、人間の本質に背いているともいえる。

○確かにそうかも。人間は道具を使う動物だとするならば、
 道具を使わせずに勉強をさせるのは酷なのかも。教科書、ノート、筆記用具
 ぐらいの道具しか使っていない。計算機、辞書、PC(ネット・文書記録)等
 の道具を使った方がより学びやすいのかも。

 学校だと、基礎的な計算や漢字の書取は、子供たちに暗算や暗記でさせるなー。
 でもある程度は、道具なしでできないと、実際の生活では不便だよな。

 暗記力が高いと、学校では評価されるし。


・自分の頭の中の記憶だけを頼るのではなく、頭の外の道具を頼った
 社会文化的サイボーグとして、コーヒーショップの店員は機能し、
 多様な注文に対応する。

・道具に頼ることで、頭にかかる認知的負荷を軽減する。

・人工物との組み合わせの中に記憶が保持される。こういう当たり前の工夫が
 学校では停止させられている。そのことで、学校は何を試しているのか?


・心理学では、人の行為遂行能力を、人の「こころの中」に探してきた。
 一方でロシアの心理学者ヴィゴッキーを始祖とする状況的認知研究では、
 人の行為遂行能力を「人と人工物のセット」としてとらえた。


・学校では、個人のひとりぼっちの能力にスポットライトをあてるが、
 そのことは社会的動物としてのやり方とは異なった、つまり人間としての
 特質を十分に活用することのない偏った認知のあり方といってよい。


●デザインされた水 (焼き肉屋のオーダーコール)

・人工物を媒介して世界をみる。

・社会を引き継ぐことは世界の見え方を引き継ぐことである。

・多くの人工物を用いて仕事を行っている

○現場でのOJTを上手く行うために、人工物を使えないか?
 調査→開発


●フィールドに向かう (ケータイ)

・新しい技術=人工物は、生活の慣習を根底から変えてしまう場合がある。
 (携帯やプリクラ)

・友達であることを示すための手続きを実践する
(ケータイメールを行うことで)

・短いつぶやきの連鎖によって生み出される「ケータイ空間」とも呼ぶべき場では
 常に一緒にいるかのような感覚(場の共有感)を経験している。

○この辺は、30代後半の俺には分からないところだな。

 きっと娘たちが年頃になったら、ケータイにずっと向かっている姿を見ることに
 なるのだろう。心理的に抵抗感はあるが。

 あるいは、その頃(10年後)には、また違った人工物を介して、彼女たちは
 友達関係作りをしているのかもしれない。


 そういえば、なんで心理的抵抗感を感じるのだろう。

 きっと「目の前にいるあなたより、ケータイの向こうの相手の方が
 大事ですよ」ということを、まざまざと見せつけられるからかも。
 
 部屋にこもって電話をしてくれているなら、諦めもつくのかも。


・ケータイカメラをもったことで、フォトジャーナリストの欲望が喚起される
 道具が新しい欲求を生み出した例。


●デザインされた動機 (プリクラ)

・活動理論 activity theory は、ロシアのヴィゴッキーに端を発するソビエト
 心理学の流れをくむ。この理論の基本的前提は、人間が道具を用いて環境と
 向き合うということである。

・現実は、具体的なモノ、コトによってデザインされている。そこでデザイン
 されているのは、世界の見えの理解(sense-making)そのものである。

・プリクラによって、社会関係(特に友人関係)や、自分の社会的ステイタスを
 可視化しようとしている。友人関係をマネジメントするツール。

・ケータイもプリクラも、設計者の意図を越えた独特の意味が構築されて
 きている。

・高校生は、未成熟な存在であることを前提に語られることが多いが、彼らは、
 社会関係の構築や維持に関して、道具を用いた洗練された緻密な特有の
 「スキル」を使用しているのである。

・友人との遊びの記憶が、プリクラを介して保管されている

・プリクラの撮影、共有という実践は、友人関係の深度を示す装置ともなる。
 
・友情を実践する手続きをとらなければ、友情を示すことができない。

○その社会で認められている手続き(一緒に遊ぶ、プリクラを共有する)を
 踏まなければ、どんなに友情を感じていたとしても、相手にそれを示せない。


●空っぽの世界を意味で満たす (コスプレ)

・フィールドとは、意味の交渉のプロセスである。

・佐伯による「文化的実践」の定義。人間は自分たちの生活を
 「より良くしたい」と願うものと前提。そのために4つの活動を行う。

1)「よい」とは本来どういうことなのか探る(価値の発見)
2)「よい」とする価値を共有しようとする(価値の共有)
3)「よい」とされるものごとを作り出す(価値の生産)
4)「よい」とされるものごとを多く残したり広めたりする技術を開発する
  (価値の普及)

・人間の文化は後戻りしない。今まで築き上げたものの上に次代を築いている。

・実践をする人々に仲間入りし「初心者」になること。

○まさに今の俺だな。アカデミックな世界に参加し、初心者にまずなる。


・調査対象者にどのようにアクセス可能かということは、同時にその人が参与する
 コミュニティーがどのような特徴をもったコミュニティーであるかを
 不可避に示す

○これは佐藤先生の「フィールドワーク」でもふれられていたなー。


・正統的周辺参加論により、学習に必須だと思われていたテキスト、
 明確な教授行為、評価ツールがなくても、実践の中で誰もが一人前の
 メンバーになれることが分かった。

・全体の中の一部(正統的)観察(周辺参加)


・新参者単独では困難なコミュニティーの参加であるが、それも適切な熟達者や
 仲間の存在があれば実現される。新参者は、熟達者の多少強引な導きに、
 ある意味服従しながらも、その熟達者ごしにコミュニティーの実践の特徴を
 みることができる。

○こういうコミュニティーにいざなってくれる熟達者や仲間は、
 なぜ、こうした行動をとってくれるのか? 
 「いざなう人」になるメリットは?

 仲間を増やしたいという欲求? 
 仲間を連れてこられることで得られるコミュニティーからの評価?
 困っている新参者を助けたいという欲求?


・スティグマ(負のレッテル)回避のための文化的実践を、
 コスプレイヤーは志向。


・学校での学習とは違い「参加」による学習は、

1)ほぼ間違いなく習得する
2)しかも苦労を伴わない 当たり前に達成されている

・新参者は共同体に「正統的」に、そして「周辺的」に参加している。
 そうした「参加」が学習の決定的な条件。

○「その場にいさせてもらえる」ことが大きい。

 「参加」させてもらえるかどうか。共同体に受け入れてもらえるかどうか。
 そこが大事なのかも。


・状況の中での学習においては「誰」として「何のために」その技能を用いるかが
 明示するまでもなく極めて明確。
 その実践の学びは何より「幸せな学び」といえる

 ここが学校での学びとの違い。

○自分が属すべき共同体を早くに知り、そこに早い段階から
 参加させてもらえれば、確かに幸せなのかも。

 ただ、それ以外の世界を知れないという面はあるかもしれないが。

 学校は、まだ属すべき共同体を分かっていない、
 決め切れていない人達が集う場?

 だから、学びがつらい?


●文化と衝動 (ヤオイ)

・腐女子が、原作のアニメや漫画を「ヤオイ読み」として再構築することも
 またデザインと考えることができる。

・初めて同人誌を手にした年齢は、11〜12歳が大半。この時期が一つの
 臨界期(学習に重要な時期)と見える。

○うちの娘たちが、同人誌をもっていることが分かったら、
 しかもホモの話だったら、やっぱりショックを受けるかも。

 でも、そういうもの、と思っておけば、ショックは和らぐかな。

 あとは、やっぱり11〜12歳ごろには、
 プライベートな空間をほしがるかもな。


・腐女子は、単に原作を消費していない。そこでは意図されていない
 物語を再構築している。


●作られた「童貞」を生きる (童貞)

・私たちの行為は、私たちがこれまで作り上げてきた様々な人工物とともに
 成立している。


1920年代の童貞は、学生や知識人の間で「尊い」ものとされていた。
 童貞が「恥ずかしい」と認識されるようになったのは最近のこと。

・童貞が発達課題のように認識された。

・心理学者のハヴィガーストによって提唱された発達課題の理論によれば、
 誕生から死までの過程は、人がある発達段階から次の発達段階へ、各段階で
 出会った問題を解決しながら進んでいくことから成立しているとする。

○未解決の問題があれば、段階を進めないということ?


●現実をデザインする

・デザインすることは、まわりの世界を「人工物化」すること。

・授業とは極端に言えば授業にのれる子だけを集めている仲間作りみたい
 なものといえる。最大多数の最大幸福のジレンマの教育バージョンと言ってよい。
 つまり同時に、最小少数の最大不幸が発生することを意味する。

・授業のデザインは、好みの仲間作りの側面が強くある。ふるい落としているもの
 の上に成り立つことを意識し続けるしかない。

○これは、集合研修でもあるよなー。100%全員の満足を得ることはできない。

 80%で十分という発言を、以前講師向けセミナーで行ったら、反発を受けた。
 「自分は100%全員を目指す」という講師がいた。

 それも考え方だろう。

 俺の力不足かもしれないが、俺はあえて「100%は目指さない」と考える。

 おこがましいし、やはり人間(他者)に対する働きかけが、
 こちらの思うどおり進むとは考えられない。


・こうして教師は問い続けるようになる。結局、教師は教師らしく、
 学生は学生らしくきめられた役割をふるまうのがよいのかと。

○研修も一緒かも。時間内、それらしい振る舞い(教育企画者から
 期待されている言動)を講師と受講者がお互いしあって、終わるケース。


・私たちは、デザインされた現実を生きている。


●ふり返りガイデッド・ツアー

・生物によって持てるセンサーの種類と性能は異なる。

・世界は、生物のセンサーの種類と性能に相対的に顕現する。
 いわば主体的環境、環世界と呼べるもの。

・犬になって匂いで構成される世界を想像する。

・知覚とは、解釈すること。

・現実世界は、社会文化的にデザインされている。
 生の現実というのはない。

○主観、センサーをもつ人間がいるから、世界は存在する?

 作られた世界に、作られてきた人間?


・私たちが目にし経験する事実は、社会文化の反映である。
 ナチュラリゼーションという態度は、自然を過大視しすぎ、同時に人間の
 現実をデザインする力を過小に見積もりすぎている。


・ネット上のテキストでのやりとりでは、性別という区別は
 なくなる可能性がある。

○確かに、「ネカマ」とか、なりすましもあるしなー。

 メールのやりとりだと、署名欄の名前で判断しようとすることもある。


・世界の見え方を伝承するための特別な実践を教育と呼ぶ。

・なぜ学ばなければならないのか、それは人間を維持するためである。

・コミュニティーが私たちを教え導く。学校や教科書とは違うやり方で
 私たちを教化する。アドバイスのような直接教授だけでなく、無視、
 無関心、議論、混乱、停止、失敗、ためいき、失跡などなどをもとに。

○ため息は確かにあるよなー。


・日本人らしさは、遺伝ではなく後天的な実践

・実践の動機は、社会の中に埋め込まれている。
 では、私たちの主体性はどこにあるのか?

○その社会に受け入れてもらいたいという動機で、
 私たちは日々の実践を行う?

 としたら、私たちの主体性は、私たちの中にはない? 外にある?

 

●こころのありか 〜中枢コントロールと世界コントロール

・17世紀、デカルトは、精神と肉体を異なるカテゴリとして峻別し、
 現代の心理学の系譜につらなる物心二元論を提唱した。

 19世紀後半、心理学が成立し、精神こそが私たちの行為をコントロールする
 中枢であるという考え方が、現代心理学の大前提となった。

・17世紀、スピノザは、精神と肉体の不可分性、合一性を主張し、
 汎神論を前提とした。

 人間は知的で複雑な作業をするが、それも実は必然的。

 スピノザは、世界を必然性のカタマリである「神」として設定する。

 精神の自由な決意で行為すると信じているものは
 「目をあけながら夢を見ている」と結論付けている。

 人間の自由意思がコントロールしているのは誤認だと断定。

○これはショッキングな考え方だよなー。この本、刺激的。

 自分で決めるというよりも、いつの間にか決めさせられているということか。

 でも確かに、周囲との関係、そのタイミング、出来事、とか
 自分ではどうしようもない外部要因で、決断している時もあるなー。

 俺が独立した時もそうだった。


・人間の行為の原因を、皮膚の内側にある主体性に基づくものと記述する
 流儀を「中枢コントロール説」と呼べば、

 スピノザの必然性と衝動にもとづく行為、行為者の外部が行為を
 コントロールすると記述する流儀を「世界コントロール説」と呼ぶのがふさわしい。

・スピノザの理論は、社会文化的アプローチ研究、状況的学習論や活動理論と
 ぴったり添う。それらは、私たちの主体性や自律性を、社会や文化の諸要素との
 相互作用の表れとして記述するから。

○企業内教育で「自律型人材の育成」「主体性の発揮」などが言われるが、
 これらは、主に、その個人の内面から「自律性」「主体性」を絞り出
 してほしい、というイメージがある。

 自律性、主体性を発揮できないのは「依存的」「消極的」な本人の問題と
 捉えられている?

 だが、自律性や主体性が、周囲との相互作用の結果であるならば、
 また違ったものの見方が必要になるのかも。

 その人個人のやる気をうんぬんすれば、すむ問題ではないのかも。


・AIは例外なく、フォン・ノイマン型、つまり外界の情報を知覚し(入力)、
 外界の表象を作り推論し(処理)、行為に移る(出力)ように設計されてきた。

・ブルックスは、中枢がコントロールする構造をあえて捨てることで、ロボットに
 知性を与えられると主張し、実際に多くの自律的なロボットを生み出してきた。

 センサーとモーターでごみを拾う行為に徹したおかげで、主体の悩み
 (フォン・ノイマン問題)がないロボット。

 ブルックスのロボットによって、外部世界はロボットのセンサーとモーターに
 よって知覚されるだけの単純なもの。

○これもショッキング。

 考えないことによって、外部環境に対して反応することで、自律的になれる
 ということ?


・私たちの向き合っている世界は、無秩序な混乱ではなく、人為的な秩序。
 つまり私たちも、ブルックスのロボットと同じ。

・スポーツの達人たちは、世界を単純にするために猛特訓をしている。
 主体性の悩みをなくし、イマジネールな自我をなくし、フォンノイマン問題を
 回避して、スポーツ世界を単純化するために。

・人間にとっての世界、現実は実は社会文化的なナラティブ、
 物語である可能性がある。

○これもショック。

 人にとって、生の、手を加えられていない世界、現実はない、ということか。

 そこに既に属している人たちが作った、彼らが語る世界の中にいるということか。

 全く、人がいない環境で生まれ育った子供にとって世界は、どう見えるのか?

 人間のセンサーを使いながら、動物と同じように世界をとらえるのか?


・ブルーナーらは、スキャフォールディング(足場かけ)を、学習者単独では
 できない課題を、親や先生、仲間など、より能力のある他者が援助し、実行可能
 にする工夫と定義した。

 
・世界の必然性を自分の自由意志と誤認することを、スピノザは「目を開けてみる夢」
 だといった。では、夢から覚めると何が見えるのか?そこに何があるのか?

 夢から覚めても、現実の世界は無い。混乱、無秩序そのものである。

○マトリックスの世界観みたいな感じなのかなー。


・私たちは動物とは違い与えられた現実をそのまま生きてこなかった。
 世界を自分の好みに合わせてあつらえてきた。つまり世界の見え方をデザインして
 きたのである。

・私たちは、動物たちのように安定した世界に住み損ねてしまった。

○だから、人は不必要に悩むのかな。不安を感じてしまうのか。

 その一方、世界をデザインしなおす、作りかえることができるということか。
 
 しかし、世界をデザインしなおしたいという欲求も、個人の内面というよりも、
 外部からの指示?なのかな。


○この本、面白いなー。一番最後の章に向けて、一気に来た感じ。


(東大 中原先生のレビュー

  http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/12/post_1393.html )

「やればできる!の研究 能力を開花させるマインドセットの力」

「やればできる!の研究 能力を開花させるマインドセットの力」

  キャロル・S・ドゥエック 今西康子訳

○親として、研修講師として、
 気をつけるべき点がいっぱい見えてくる本。

(●目次項目 ・引用/要約 ○関根の独り言)

●マインドセットとは何か

・心のありかた=マインドセット

・どちらの説を信じるかによって、人の未来は大きく変わる

 A:こちこちマインドセット (固定的知能観)
 
   −能力は固定的で変わらない

 B:しなやかマインドセット (増大的知能観)

   −人間の基本的資質は努力次第で伸ばすことができる

・マインドセットは自分で変えることができる

●マインドセットが違うとこんなに違う

・学ばざる人に成り下がる

○これは気をつけないとな。経営者になるとごう慢になりやすい。


・「これは難しくて、面白い」という言葉がでるのはしなやかマインドセット

・コツコツ学んでいく贅沢

・1回のテストで、子供の力はわからない

 時間軸上の1点だけでは、その子の傾向も、進歩の具合も、
 努力する子かどうかも、才能の有無もわからない。

○確かにそうだよなー。


・能力を固定したものと思っている人は、しくじってはならないという
 切迫感にいつも駆られている。

○失敗したら、能力が疑われる、と思ってしまうのか。


・失敗を何かのせいにしない限り、その人は失敗者ではない。
 自分が間違いを犯したことを認めることができれば、そこから教訓を得て、
 まだまだ成長していける。

○この言葉は励まされるなー。


・Mグラッドウェルは「我々の社会では、骨をおって何かをなしとげるよりも、
 苦もなくあっさりやってみせるほうが高く評価される」という。

○さりげなく、何気ない感じで、上手くやることが、スマート、クールという
 印象なのかな。

・努力は欠陥人間のすることと考えるのが、こちこちマインドセット

○日本だと、こういう考えは少ないかも。

 「努力が美徳」という考え方がある。

 ただ、努力したことを評価し、結果がでなくてもよしとするところはあるかもな。


・日々新たな、より手ごわいドラゴンが現れる。

・マインドセットは、性格の重要な一部分だが、自分の意思で変えることも可能。


・能力は伸ばせると信じている分野の能力は、実際に伸びていく。

○これは、子供たちに対しても、大事にしてあげないと。

 本人が「自分の能力は伸ばせる」と信じることができるような働きかけを
 親がしてやりたい。


・しなやかマインドセットの人は、自分がやっていることを愛していて、
 困難にぶつかっても嫌になったりしない。

・ある実験。コンピュータの訓練コースを受講する半数に「上達するかどうかは、
 生まれつきの能力によります」と告げ、こちこちマインドセットを植え付ける。

 残りの半数には「練習次第でどんどん上達します」といってしなやかマインド
 セットを植え付けた。それぞれのマインドセットが定着したところで訓練に入った。

○こんなに簡単に「マインドセット」が定着するものなのか?

●能力と実績のウソホント

・「努力しない病」は、こちこちマインドセットの子供たちによる自己防衛の手段

・「やればできる」という信念をもって指導にあたった教師のもとでは、
 生徒の学力差がなくなっていった。

○これは素晴らしい。だが、そうでない教師、こちこちマインドセットの教師も
 多いのが実態では。

 自分の子供たちが、どんな教師の下につくかを、コントロールすることができない。
 運任せの現状。

 どんな教師と共に時間を過ごすことになっても、本人のしなやかマインドセットが
 維持されるようにしていきたい。そのためにも家庭での接し方が大事なのかも。


・能力をほめると生徒の知能が下がり、努力をほめると生徒の知能が上がる。

・「頭がよい」とほめると、その子は自分を賢く見せようとする。

・子供にレッテル貼りをしていないだろうか。この子には芸術的才能がある。
 この子には科学の素質がある、などと。

○これは気をつけないとなー。子供の良さを見つけようと、その子の良い点、
 才能を伸ばせる点を見つけようと、ついしてしまうかも。

・子供のマインドセットをしなやかにするようなほめ方を考えよう。

○努力したことをほめる。学んでいること、学ぼうとしていることをほめる。
 プロセスをほめる。

 そのためにも、努力の過程、プロセスを見ておいてあげないと。


●人間関係のマインドセット

・我々の社会では、すべてのことが人間関係に左右されるにも関わらず、
 対人スキルの重要性がきちんと理解されていない。

・人間関係は育む努力をしない限り、だめになる一方でけっして良くなりはしない。

○これは確かにそうかもなー。


・相手が自分より劣っているほど気分がいいと思う人。
 一緒にいると、自分がダメ人間に思えてくるような人。

 そういう人たちは、自分がいかに優れているかを見せつけるために、
 あなたを踏み台にしているのだ。

○これは怖いなー。以前は、そう感じさせる相手と出会ってきた気がする。

 独立して5年たった今だと、あまりそう感じる機会が少ない。

 もしかすると、俺が相手にそういう感じを抱かせてしまっていることもあるかも。
 自分が気づいていないだけで。

 ある程度上手くいっているからこそ、気をつけないとな。


・苦手な場面に挑む姿勢が、こちこちとしなやかでは、まるで異なっていた。
 しなやかは前向きにチャレンジするが、こちこちは失敗を恐れて尻込みする。


・人をいじめるという行為は、こちこちマインドセットと大いに関係がある。
 いじめの根っこにあるのは、人間には優れた者と劣った者がいるという考え方。

・しなやかマインドセットの生徒たちは、いじめを自分に対する評価と受け止める
 よりもむしろ、いじめる側の心の問題としてとらえる傾向がある。

○こうやって考えられるのはすごいなー。いじめられて、自尊心が傷つけられる中、
 しかも周りの誰も助けてくれない、人に言えない状況で、それでも
 「相手の心の問題だ」と思えるのはすごい。


・学校全体のマインドセットを変えていくことによって、いじめをなくすことができる。
 学校の文化がこちこちマインドセットを助長、容認している場合が少なくない。

・いじめっこの良い変化、その努力をほめることで、しなやかマインドセットに導く。

 自分は今、努力してどんどん良くなっていると感じるように仕向ける。

○いじめをなくせる。これは勇気がでるなー。


●親と教師 マインドセットを培う

・ほめるときは、子供自身の特性をではなく、努力して成し遂げたことをほめるべきだ。

・「すばやく完璧にできれば賢いと思われるのなら、難しいことには手を出すまい」
 と子供は考える。

○これは、長女(小1)が夏休みのドリルで、簡単にすぐできる算数は好きで、
 少し考えないといけない面倒くさそうな国語を嫌がるところで、
 出てしまっているのかも。気をつけないと。

・こちこちマインドセットの子供たちは親からひっきりなしに、自分の優劣を
 評価するメッセージを受け取っている。

○怖いなー。親がそのつもりがなくても、無意識にやってしまっているのかも。


・「ドゥエックさんの研究を思い出しては」

○こうやって言われるのは嬉しいだろうなー。
 まさに自分の研究が世の中の役に立っていると実感できる。

 自分もこう言われるような研究をし、世に発信したい。


・しなやかマインドセットの親たちは、高い基準を設け、どうすればそこに到達
 できるのかを教えようとする。そしてあくまで子供を尊重しつつ、公正で思慮に
 富んだ判断にたって、だめなときはだめという。

○感情で怒っていてはだめだよなー。まだまだだべ。


・父は隠そうとしたけれど、声の調子、言葉遣い、沈黙といったちょっとした
 ところに、しょっちゅう現れた。

○怖いよなー。子供にはわかっちゃうんだろうなー。


・しなやかマインドセットの教師は、生徒に真実を伝えて、さらにそのへだたりを
 縮める方法を教える

・教えることを通して、学び続ける。

○これは勇気づけられるよなー。俺も研修講師として人に何かを伝えることを
 通して、学んでいる。学び続けられれば、他者にとっても役立てるのでは。


・子供に対して「あなたはこれからどんどん伸びていく人間。私はその成長ぶりに
 関心がある」というメッセージを送る。

・プロセスをほめよう。


●マインドセットをしなやかにしよう

・しなやかマインドセットの根底にあるのは「人は変われる」という信念である。

・身に起こる体験から何を学びとることができるか、どうすれば自分を向上させる
 ことができるか。それがしなやかの関心の中心。


・批判を受けたら「それがあの人達の仕事なのだから」と思うようにする。

○これは助けになる考え方。
 
 これから大学院でアカデミックの波にもまれる中で、
 きっと色々嫌な思いもするだろう。
 

・親みずからがしなやかマインドセットのお手本を示す。

 会話の中で自分たち自身が「何を学んだか」「どんな勉強になる失敗をしたか」
 「どんな努力をしたか」を話す。

○これは大事だし、すぐにできることだな。早速やろう。


・マインドセットが変化するということは、ものごとの見方が根底から変化すること。
 人間関係のあり方が、学ぶ者と学びを助ける者とという関係に変わる。

・自分も学びつつ、学ぶ人を応援する。

「認知過程研究〜知識の獲得とその利用」


「認知過程研究〜知識の獲得とその利用」

  稲垣 佳世子, 鈴木 宏昭, 亀田 達也

○人がどのようにものごとを知ろうとするのか。
 認知心理学の考え方がわかる。

(・引用/要約 ○関根の独り言)


●認知過程を研究するとは

・外界から与えられる情報に従って、その都度適切な行動を選択している。
このような働きを心理学では「認知」と呼ぶ。cognition, cognitive

・外界についての情報を利用して、適応に役立てる。認知の本質。

・外界→入力系→中央系→出力系→外界

・特定領域に関する既有知識をどれほど多く持っているかが
「能力」を決定している。

・年齢が同じであれば同じような考え方をするはずだとはいえない。
認知過程の違いは、年齢の差によるよりも、その領域に関する
既有知識の量の違いによって生じる。


●子供が世界を理解する仕方

・幼児が素朴理論をもつということは、幼児はピアジェが描いていたよりも
ずっと有能な存在であるといえる。

・2〜6歳児でも、物理的因果性を理解している。

○次女(3歳)もだいたいわかっているような気がする。

最近では「昨日、今日、明日」という時間感覚をわかり、
かつ言葉で表現できるようになってきたように見える。
前はごっちゃだったけど。


・子供が誤信念課題に成功し「裏をかく」方略が使えるようになるのは、
4歳以降である。


・幼児は、生物現象に対して、生気論的因果(体内の臓器の働きによって
現象が引き起こされる)による説明をしていると考えられる。

○臓器にも何らかの意志があって、動かしていると考える方が、
子供には分かりやすいからかな。

 胃に目がついていたり、心臓がバックンバックン自分で動くような
 絵があったりするし。

・幼児は人間についての知識を使って推論していく「擬人的」であり、
 かつ活力の働きに訴えるという意味で「生気論的」である。


●概念変化:知識の大幅な組み替え

・特定の領域での経験を積むにつれ、その領域での知識量が増大してくるが、
 同時に累積された知識の間で大幅な組み替えが生じることがある。
 これを「知識の再構造化」「概念変化」と呼ぶ。

・「自発的概念変化」「教授に基づく概念変化」

・「自発的概念変化」は、素朴理論の改訂によって起こる。
 幼児が「生気論的因果説明」から「機械的因果説明」に変わる過程。


・新しい情報の提示によって学習者に自分のこれまでの理解が不十分で
 あることを自覚させる。自分の知識に不整合のあることに気づかせる
 (認知的葛藤)方法が「教授に基づく概念変化」である。

 しかし、これは容易には生じない。

・討論は、概念変化を促しやすい。

○やはり他者と話すことは、その人の考え方に何らかの変化を与える上で有効。

・教師が特定の類推を使うよう勧めることで、子供の科学的概念の理解を
 容易にしようとする。


●熟達者と初心者の違い

・熟達者の技能は高度に自動化されている。

・近年の熟達者研究の端緒となったのはサイモンらの研究。

・一つの分野での経験を通して、豊かな知識を獲得した人は、
 そのうちの一部をほかの分野に転用できることも少なくない。

・練習の目的が変化する。初級者は「正確な遂行」上級者は「より適切な問題解決」

○これはあるだろうなー。初級者は「言われたことをきちんとやる」
 上級者は「言われたこと以上をやる」ということかな。

 上級者は、自分が今何をすべきか、なぜやるのか、それならば、
 どうやるのか、など一歩下がって踏み込んで考えられるんだろうな。

 初級者は、とりあえず与えられたことをやることに精一杯。


●熟達化の社会・文化的基盤

・熟達は優れて社会、文化的な達成といえる。熟達の所産は社会に還元され、
 それが社会的、文化的基盤となって、次の世代の学習者を育てていく。

・「道具の身体化」道具が身体の延長のように感じられてくる。


●問題解決の基本図式

・認知科学的には、問題とは現在の状態と望んでいる状態が一致しない
 状況を指す。問題の解決とは、様々な行為や操作によって、この2つの
 状態の差をゼロにすること、すなわち望ましい状態に達成することを指す。

・問題解決とは問題空間(problem space)を探索し、ゴールに至る
 適切な経路(オペレータの系列)を見つけだすことである。

・2種類の問題:良定義問題(well-defined problem)
 不良定義問題(ill-defined problem)

○ビジネスの世界で出会うのは、やっぱり不良定義問題が多いんだろうな。


●教科学習における問題解決と転移

・文章題「今日、太郎君は3時におやつとして、あめを5つもらいました。
 夕方にはまたあめを3つもらいました。今、太郎君はあめをいくつ
 もっているでしょうか?」

○長女(6歳)だと、「3時にもらって、すぐ食べちゃうから
 (夕方までもたない)今はもらった3つだけ」と答えそう。


●外的資源を用いた問題解決と学習

・認知的に負荷のかかることがらを外的表彰に配置させることは、
 教育において本質的な重要性をもっている。

○全部自分で覚えておこうとせずに、外に記憶を出しておく。
 俺のこのブログもそうだよな。


・人はもし外部にすぐ利用可能な資源がある場合、これを利用して
 問題解決をする強い傾向がある。

○無理して頭の中で考えようとせずに、外的道具を使って問題解決を
 しようとするということ?


・ペアで問題解決を行うと、片方が課題実行者(task doer)となり、
 もう片方がモニター(monitor)となることが多い。ペアの場合には、
 実行と観察評価が自然な認知的分業によって円滑に行われ、
 より生産的な別の可能性に気づく可能性が高まる。


・外的資源と人間との関係については、近年問題解決以外の様々な
 分野においてもトピックになっている。ギブソンに端を発する
 生態心理学は、全く新しい観点から理論化しようとしている。

○アフォーダンス理論


●創造的問題解決

・自力で解決できる人は、そうでない人に比べて多様な試行を
 はじめから行っている。標準的な型にとらわれずに、様々なやり方を
 試すことで、問題解決が促進されている。

・到達すべき状態が言語的には示されているが、具体的なイメージは
 与えられていない。そのイメージを作り出すこと自体が解決なのである。

○これはビジネスの世界でもそうだろうなー。あいまいもことした言葉を、
 具体的なイメージとして描き、形にしていく。


・グループの多様性が高く、かつ類似性も高いと、より創造的な
 アイデアが生み出される。

○多様性があって、かつ類似性があるメンバーの組み合わせが難しそう。


・創造的な問題解決の鍵は「多様性」と「適切な評価」である。
 多様な試行を促しながらも、ゴールに向けたものであるかを適切に評価する。


●推論の諸相

・類似性と差異の発見としての推論

○そういえば「論理は対の理解」ということを言っていた
 論理学の先生がいたなー。


・血液型と性格の間に関係は見いだされていない。


●判断・推論におけるバイアス

・人は複雑な情報に対して素早くおおまかな認知的処理をする
 ヒューリスティック(発見法)を用いる。

・最適な手がかりに基づくヒューリスティックによる決定とすべての
 手がかりを用いた重回帰分析に基づくシミュレーションの結果を比較すると、
 その成績は同等の正確さをもつことがある。

○直観は案外正しいってこと?


●批判的思考とメタファ的思考

・批判的思考(critical thinking)とは、自分の推論過程を意識的に
 吟味する反省的思考のこと。

・これまでの学校教育では、領域知識を教えることが中心であった。
 批判的思考力を高める教育をするということは、学習者をよき思考者
 (good thinker)や市民に育てることを意味する。

・批判的思考力を高める教育として、

1)メディアの批判的読解、視聴
2)討論
3)レポート作成
4)グループ活動

・メタファ的思考には、ヒューリスティックと共通する側面があり、
 過剰な一般化や実体化の危険性があるために、そのアウトプットを
 批判的思考の評価基準を通して見ることが重要である。


●認知と社会的相互作用

・ペアで話し合いながら進めるとアイデアの独創性が高まった。

・発言せずにいるメンバーも理解の深まりが見られた。うちなる対話を通して、
 能動的に授業に参加している。

○これは集合研修でもよく見られるよな。グループ討議で、積極的に
 発言していなくても、自分の中でよく考え理解を深めている人。
 SPでいうと「クラブ」タイプに多いかな。


・知識の少ない人がモニター役になって共同認知過程を促している。

○これは新人にも当てはまるかも。彼らの素朴な質問によって、
 熟達者が「そういえば何でだろう」と考えるきっかけになる。


・討論において、攻撃側と防御側の立場に分かれる、つまり
 「仕事の分業」が行われると、理解活動のいっそうの活性化を促す。

○確かにそうだよなー。一人で主張し、それに対する反論と、
 さらにそれに対する反論を考えるのは、きついもんな。

 人が分業することで、理解を深めることができる。

 これは面白いなー。


・社会的相互作用が効果をあげるのは、
1)共有可能性と局所的な正誤判断の困難性がある
2)ねばり強い吟味ができる
3)メンバー間の役割分化がある
4)話しやすい雰囲気がある


●談話理解

・認知心理学において、日常生活の様々な活動の中で実際に
 生成されたひとまとまりの意味を構成する言語テキストや
 その言語を生み出す状況や文脈を含む活動を「談話(discourse)」と呼ぶ。

○よく意味がわからないな。


●教室における談話

・測定可能な量的時間(クロノスの時間)と主観的感覚を伴う
 質的な時間(カイロスの時間)

○楽しい時間はあっという間。つまんない授業は時間のたつのが遅い。
 こういう呼び名があったんだー。


・教室内で活発な議論が起こるためには、教師があらかじめ答えが
 わかっていないような真正な質問(authentic question)を行ったり、
 ほかの生徒の発言をふまえた質問(uptake)をし、また生徒の回答に
 コメントするような評価や質問が必要である。

○これは集合研修でも同じだなー。自分に足りない部分でもあるが。

2009年09月21日

教育工学会 全国大会2日目に参加してきました。

09年9月20日(日)午前9時30分〜午後6時

東大本郷キャンパスで開催された 日本教育工学会 第25回全国大会

http://www.jset.gr.jp/taikai25/

の2日目に参加してきました。

(・引用/要約 ○関根の独り言)

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●ポスターセッション


模造紙1枚にまとめられた研究内容

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みていたら「説明しましょうか?」と声をかけられ、説明してもらった。

看護士の新人育成を、キャラクターとストーリーに基づいて
「あなたならどうする?」と考えさせる教育内容だった。

IDにおけるGBS理論を元にしたものだそうだ。


他にも、荒木淳子先生の「ピアディスカッションの効果」という
ポスター提示がされていた。

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●一般研究発表


別の建物(工学部2号館)では、15分ほどで発表と質疑応答が行われる
「一般研究発表」が実施されていた。

「ワークショップ」というテーマに面白そうなものがいくつかあったので、
行ってみることにした。


工学部2号館の入り口に、中原先生がいた。

案内係りをされているそうだ。

http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/09/post_1579.html

(中原先生が、案内係というのも、すごいですね。)


遅ればせながら「何かお手伝いできることは?」と聞いたら、
「勉強してきてください」と、笑顔と共に送り出された。


一般研究発表は、9時30分から行われている。今は10時すぎ。

「ワークショップ」の会場である243号室は、ドアがあいており、
入りやすい雰囲気。

後ろのドアから入り、少し狭い席に座る。


(以下は、発表内容。「講演論文集」に概要が2pgで掲載されている。
 6000円で購入)

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03 世田谷美術館におけるワークショップ実践報告

・美術館閉館後に、参加者が「自分と似た美術作品」について
 議論するワークショップ


04 美術教育における創発的な学び

・「参加者のレベルの差には」という質問に
 「上級者は、初心者を教えることに回ってくれた」と回答

○これは企業内研修でもいえるかも。上級者が、初心者や未熟な人に
 教えてくれる。あるいはそういう役割を担ってくれるよう講師側も配慮する。

・「創発的な学びとは?」という質問に「作り出す学び」と回答。

○言葉の定義を問う質問を、学会では好むのかも。

・「今までの美術教育との違いは?」

○こういう質問も今後多そう。

「あなたがやっている研究は、他となにが違うのか?オリジナリティーは? 
 先行研究でわかっていること、わかっていないことは?」

・フロー理論の話

○「理論」の話になると、皆反応するような気がする


05 ワークショップで生起する学びについて多角的に考察する

・ワークショップという仮想の実践共同体

・Collinsの認知的徒弟制理論に基づくワークショップデザイン

1)Modeling 2)Coaching 3)Scaffolding(& Fading) 4)Articulation 5)Reflection

・「楽しかったね」で終わらせず、学びの後で送り出す際に
 工夫していることは?という質問があり

○大学教育では、ワークショップ形式が取り入れられたのは最近? 
 企業教育の方が早くとりこんでいる?


06 アイデア創発型ワークショップのデザインと評価方法の検討

・多様な参加者

・「リフレクションでは何をした?」
 「こちらが意図した目的を達成させるために、すごいノウハウがあるのでは?
  学んだことを、次に生かさせるための」という質問が出た。

 そこまでのものはない、皆で話すことが重要なよう。

○「学んだことを、現場でどう実践してもらうのか」
 「短期的な成果だけでなく、教えたことが長期的成果につながるために、
  どうしたらよいのか」という問いなのかな。


07 ワークショップファシリテーター研修における参加者の学習過程

・ファシリテーターをやりたい人材は多様。

・ファシリテーターができる人材の育成が課題。

・研修受講後「子供経験がある人は、研修がプラス」に働き、
 「教師経験がある人には、研修がマイナス」に働く。

○あまり学びがないということ?

・教職とワークショップの専門性に差異があるのでは
 ワークショップといってもいろいろな違いがあるのでは

・教員経験があれば、ファシリテーターになるのは容易と考えられてきたが、
 そうでもないのかも。

○これは面白いし、確かにそうなのかも。

 ファシリテーターは、引き出す場作りが中心。
 教師にそれは難しいという場合も多いのでは。
 彼らは、時間内に項目を終わらせることに主眼?


08 ワークショップ実践家はその専門性をどのように認識しているのか

・ベテランと新人では、重視している点に違いがある

○この研究で対象にされているワークショップ実践家が「専門職の意識」と
 して答えている内容の詳細が知りたい。これはきっと研修講師にも参考になる

 企業研修講師の専門性とは何か?

 何を知っていて、何ができなければならないのか?
 大事な点は?


09 「ワークショップデザイナー育成プログラム」の構想に関する研究

・08年度から青山学院大学や大阪大学を中心に、文科省の委託事業として
 「ワークショップデザイナー育成プログラム」がうごいている。

○民間では講師経験者が「ファシリテーター養成講座」とかやっているなー。
 FAJとかアクションラーニング、コーチ


10 「ワークショップデザイナー育成プログラム」の実際

・学習者(主婦、ビジネスパーソン、アーティスト、教員)によって、
 求める学習成果に違いがあった。

 それで食べていこうという人と、企業で活用できるスキルの一つとして
 考えている人と。

 
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11 ドキュメンティング ドキュメンティング3

・デジカメ写真やビデオカメラで、ワークショップの内容を記録し、
 リフレクションツールとして使う

・ビデオは「鏡」と「缶詰」の機能を期待された

○これは面白そう。自分の研修でもうまく取り入れられないか。

 今はロープレの様子をビデオをにとり、参加者に見てもらって
 コメントする際に使うぐらい。

 でも正直、手間がかかって大変。何かうまい方法が今ならあるのかも。


○「ワークショップ」という集団学習に対する関心が高まっている? 
 ワークショップの効果は? 他の教育手段とのちがいは? など?


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●シンポジウム

14時45分〜17時40分 @ 安田講堂

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空席もある。企業関係者も集まるWPLフォーラムとは違った雰囲気。
顔見知りの方がいる可能性が少ないのもある。

ところが「関根さん」と声をかけてくださった方がいた。

HRDMの堤さんだった。

今日は、堤さんが大学院生として属している熊本大学の一員として
こられているそうだ。


シンポジウムが始まった。

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1)中原先生によるイントロダクション

・教育工学は「実践」重視を標榜している

・6〜70年代は、RDDモデル(Research-Development-Diffusion)
 90年代以降は、ARモデル(Action-Research)

・現場は変わった!でも一瞬。
 現場は変わった!でもその一カ所だけ。

・Sustainability(持続性)Scalability(普及性)の問題

・持続させるために何を? 普及させるために何を?

○これは企業研修に関わる自分にとっても大きな課題。

 新人へのOJTのやり方を研修で教えました。

 では、それを現場で実践してください。と送り出す。
 実践するかどうか、できるかどうかは、参加者任せ。

 少しでも現場で実践しやすくするために、周囲の理解(マネージャーが
 同一研修を受ける。マネージャーに対する事前課題を通した依頼。
 職場の他のメンバーも研修を受ける。他のメンバーへの研修報告)を得る努力は
 しているが、足りない。

 研修の目的は、参加者の行動変容。そして、その持続。

 研修で学んだことを少しは実践してくれても、続かない。

 そもそも人の行動を短期間の研修(働きかけ)で
 変えようという試みそのものが、不遜とも言える。

 理想とする行動をとりやすくする手伝いができれば。
 それは現場で、理想とする行動をとりやすくする環境を作ることかも。
 その鍵はやはり職場の責任者であるマネジャーにあるのかも。

 サステイナビリティーという問題に、教育工学会としては、
 どんな取り組みをしているのか? ぜひ学びたい!


2)カリキュラムリーダーシップに関する理論的・実践的研究
   〜語りと探求のコミュニティーの可能性と課題

   木原先生 大阪教育大学

・子供もカリキュラム開発には重要
・実践的リーダーと共に手引きにまとめている
・概念モデルをもって、学校現場に関わっている

・実践的リーダーによる語りと探求のコミュニティーを作ることが、
 サステイナビリティーとスケーラビリティーに対する答え


3)学校現場・企業・研究者による共同研究のサスティナブルなデザイン

   堀田先生 玉川大学

・ICTの活用 現場教員にとって使いやすく、
 子供たちにとって学びやすいツールとして

・学校現場を支援する
・企業と学校現場をつなぐコーディネーター的役割を、研究者が担う
 コーディネートコストは増大する。

○これってビジネスチャンスがあるかも。コーディネート。

・完成型を作ってからフェードアウトする。
・16%、キャズムは、普及に関して確かにある。


3)コメント

(松尾先生 神戸大学 組織心理学の観点から)

・共有型リーダーシップであれば普及させやすい
・初等教育の場合、人事異動でキーパーソンが異動することへの対応が課題

○確かに、俺が寄居の中学校でボランティアをやっても、
 教務主任が異動になった後は、音沙汰がなくなったもんな。


(長岡先生 産能大学 組織社会学の観点から)

・経営学は、企業の利益を代弁している
 教育工学は、どの利害関係者の利益を代弁しているのか?

・自分のためにならない研究者を、なぜ現場は受け入れる気になるのか?
・実践者と研究者の関係は? 教育工学者のスタンスは?

○相変わらず切れ味鋭い刺激的な問い
 これは周囲に座っている教育工学の先生方の話を聞いてみたい。


4)京都大学センターにおけるFDの組織化

    松下先生 @ 京都大学

・メタモルフォーゼによるサステイナビリティー
 変容しながら持続していく

・一人の教員の工夫(OSCE−R)により学生が変わり、
 そこから他教員に広まっていった。

・内部にコミュニティーを作る。キーパーソンを見つける。
 それがサステイナビリティーの鍵。


5)FDは研究か、実践か?

   佐藤先生 @ 愛媛大学

・最終的には関与の度合いを減らしたい

○これは研修講師の考え方と近いかも

・研究者、普及者、実践者、教育工学者としてのたち位置は? 自分は、普及者。

○俺は、どこを目指すのか? 

 今までは実践者、大学院に入り研究者を目指す。その後は普及者か?


6)コメント

松尾先生

・現場教員のモチベーションをどう高めるか?
・協力してくれる現場教員のメリットは何か?

長岡先生

・文脈依存性の問題
・経営学者は、実務家による戦略立案と意志決定を論理で後押しする。
 自ら戦略立案には関わらない。


7)ペアディスカッション

 私の席のそばには、

・大阪国際大学 
・徳島大学 大学開放実践センター 
・京都大学 高等教育研究開発推進センター

の教授の方々がいました。名刺交換をした上で、お互いの意見交換をしました。

・徳島大学でもFDリーダーの育成を行っている。
・FDは一般教員にはなかなか普及しない。
・「FDをしないと査定にひびくよ」と言われる
・現場教員のよい活動を掘り起こすことが重要。
・他の先生の講義をみたいけど、自分からは言い出さない。


8)質疑応答

◆キーパーソンの見抜き方

・ICT活用に文句を言いそうな女性ベテラン教員を最初から巻き込んでしまう
・FDに興味を持ちそうな教育熱心な先生
・飲み会で探す

◆組織学習を促進する要因

・危機感と安心感、ストレッチとエンジョイメント
・教育工学では組織学習についてはあまりふれない

◆利害関係 自分は誰の利益を代弁しているのか?

・実践的リーダー
・子供たち
・教員
・(上司である)担当理事、(クライアントである)教員、そしてすべては学生のため

・学校はマルチステークホルダーになりやすい。

・一番弱いステークホルダーである子供たちの利益を代弁してほしい(長岡先生)


◆失敗事例

・一般教員は、FDに対する反感がある。


◆ネットワークの必要性

・逆に、なぜ自分の大学だけなのか
・大学間の競争があおられたその反省もある。共同連携。
・京都大学 教育センターは億単位の予算をもらっている。その再分配の意味もある。
・FDスタッフは、各大学で孤独になる。

・「他大学では〜をやっている」というと、学長が動きやすい。
 同調性、危機感を利用する。


◆コーディネート能力をどう身につけるか

・この能力は大学、大学院では身に付かない
 大事なのはホスピタリティー
・自分に足りなくても他スタッフでカバーしてもらえる
 (コミュニティーとしてその能力をもつ)
・自分で授業はしない。最後に決めるのは相手。相手を支援するための
 「整理枠」「豊富な事例」「分かりやすい説明」をもつ。

・利他的利己主義 自分の好きなことをやって、他者にとっても役立つ

9)中原先生からのラップアップ

・中原先生から、3つめのSとして「サバイバビリティー」という言葉がでた


 
 (どうもありがとうございました!)

2009年09月04日

東大大学院 二次試験 合格発表

09年9月4日(金)

東大大学院 二次試験 合格発表の日です。

約1年前「東大の大学院に行こう!」と決めて、準備をしてきました。

http://learn-well.com/blogsekine/2008/09/post_115.html

・コーチの多賀さん
・院試塾の畑中先生
・推薦書を書いてくれたYさん
・院生のNさん

・色々と気遣ってくれた奥さん

をはじめとする、様々な方々の手助けや応援を受けながら、
受験準備を進めてきました。


「落ちていたら・・・」


本郷三丁目駅から、キャンパスに向かう途中、胸がドキドキしてきます。


「考えまい、考えまい」

いよいよ、合格発表の掲示板が出ている建物のそばにきました。

CAQ08Y1R.jpg

目の前の建物では、弓道部が練習をしている声が聞こえてきます。


階段の前で、一瞬、足が止まります。


(少し先に延ばすか・・・)


(弓道部の練習でも見に行くふりをするか・・・)

(・・・どうする・・・)

(よし!)


覚悟を決めて、階段を昇ります。


掲示板を見ます。


一次試験の合格発表時に比べて、受験番号が少なくなっているように感じます。

(実際、少なくなっていました。 45名→30名 合格)

「文化・人間情報学コース・・・ 25・・・」


自分の受験番号を探します。


(あってくれ!・・・)


「25・・・」


(・・・あった! あるぞ! 間違ってないよな)


嬉しさをかみ殺しながら、冷静なふりをします。


ほかの受験生も来たようなので、いったん階段を下ります。


しばらくして、また見に戻ります。


(確かに、あるよな。)


携帯電話で写真をとり、掲示板を後にします。

歩きながら、だんだん嬉しさがこみ上げてきます。


口元がにやけてしまいます。


(こらえて、こらえて)


ガッツポーズをしたくなる気持ちをおさえて、キャンパスを歩きまわります。


(そうだ、奥さんの誕生日カードを買わないと・・・)


今日、9月4日は、奥さんの誕生日です。

良い知らせと共に、誕生日を祝えそうです。

東大の生協により、誕生日カードを探します。

ちょうど良いのがあったので、買いました。


お店をのぞいていると、こんなものがありました。

CANGTNXA.jpg

東大グッズです。

嬉しくて、思わず買ってしまいました。


2010年4月から、東大大学院に通います。

それもこれも応援してくださった皆さんのおかげです。

本当にありがとうございます。