「リフレクティブ・マネジャー」

お薦めの本

「リフレクティブ・マネジャー」
  中原淳  金井 壽宏

○内省が人の成長を促す。教育学と経営学の橋渡し。
 集合研修の意義も見えてくる。

(・引用/要約 ○関根の独り言)
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●はじめに
・リフレクティブマネジャーとは、節目の内省が上手くできて、対話を重ね、
 節目だからこそ深い内省に支えられたアクションができて、その動きを
 部下たちと連動させることができるマネジャー
○うちの奥さんにとって「リフレクション?」は聞きなれない言葉だったようだ。
 確かに、一般にはあまり知られていない言葉かも。
・リフレクションしているからこそ、いっそう上手に
 プラクティスできる人こそ尊い。
・節目だけはしっかり考え、考え抜いて、自分の歩むべき方向を選んだら、
 あとはアクションに傾くこと。勢いに乗って進むことが大切。
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●「上司拒否。」という前に
・モティベーション、リーダーシップ、コーチングなどのソフトスキルは、
 20年ちょっと前までは管理職が学ぶべきものとは見られていなかった
・現在の課長は、あらゆる問題に対処すべき存在=「場当たり的な問題解決者」
 として位置づけられることが多くなっている。
・課長やマネジャーのやるべきことは限りなく広がり始めた。
 あらゆる問題は現場のマネジャーのせいにしておけばいいという
 「マネジャー落ち」
○これは研修の世界ではよくあるなー。
 現場の長であるマネジャーの責任。そこに全てが集約されてしまう。
・論文「学びの場から働きの場へ」の引用
 新人の適応感には、直属の上司の影響が大きいと結論づけ。
・今のマネジャーは、部下に組織に適応してもらうこと、部下をその気にさせる
 ことが求められ、カウンセラーとしての役割が重要性を増している。
○こうやって言われると、改めてマネジャーの仕事の大変さが伝わる。
・教育学者フィリップ・ジャクソンは、教える側が無意識かつ暗黙のうちに
 学習者に伝達してしまう価値観、行動様式、知識のことを
 「ヒドゥンカリキュラム hidden curriculum」と呼んだ。
・どういうマネジャーを育てたいのかをはっきりさせないまま
 研修を企画するのも奇妙
・教育ベンダーによるマネジャー研修があふれている
 「場当たり的な問題解決者」に位置づけられたマネジャーに、これらが
 短期的処方箋として提供されている。
・金井先生への問いかけ
○この流れは面白いなー。中原先生、金井先生による往復書簡のようなやりとり。
 いわゆる対談集とちがって、お1人の考えがまとまった範囲で話されてから、
 違う見方からの話がでるから、分かりやすく、ついていきやすい。
・H.ミンツバーグは、マネジャーの仕事の特徴を「断片化」と表現
 マネジャーは洋の東西を問わず多忙なもの。
・ジョンP.コッターは、マネジャーは忙しいから大きな絵が描けないのではなく、 
 絵が描けていないからひたすら振り回され忙しく感じるという。
○これはあるだろうなー。
 零細企業の経営者として、それなりにやっていっているのは、
 -将来の姿 
 -現在やること、やらないこと
 をある程度、絵に描けているからかもしれない。
 だから、それほど振り回されてはいないのかも。
 ただ、今後大学院にはいって慣れて行くまでは、振り回されるだろうなー。
 ま、仕方ない。
・有能なミドルは、以前より少ない人数で、以前の倍くらいの量の仕事をしている。
・ミドルに対する否定的な物言いが目立つようになったのは、ミドル達自身では 
 なく、やはり経営者は人事部門から。
・ミドルにイノベーションを期待するのは大事だが、その担い手になるには、
 エネルギーがいる。いつも飛び上がってばかりでは疲れてしまう。
・管理職になりたくない症候群
 1)まだここで一皮むけたくない 大変そう、担当者が気楽
 2)損をする 時間的、金銭的 
 3)現場にもっといたい 
 4)管理という言葉が  憂鬱
 5)仕事のできばえを他者に依存するのが不安 
・このような諸症状はどれも正当、ノーマルなこと
・部下の育成は、「世代継承性 generativity」という中年の発達課題を
 クリアするための実践となる。それによって次世代のケアという強みが加わる。
・プロジェクトXで取り上げられたヤマト運輸の事例
・ソロプレイヤーとして偉大な人だからこそ「自分1人が良ければいい」と
 閉じこもるのではなく、誰かに何かを伝授したいといつしか願うようになり、
 世代継承性に目覚めるのだと思いたい。
・人は「自分が援助しているか」「他者から援助されているか」のどちらかの
 立場しかない。
・2つの課題
 1)今のマネジャーに必要とされる行動特性は、いまだによくわかっていない。
   よくわかっていないのに「マネジャー研修」が存在しているのはおかしい。
   「今を生きるマネジャー」を対象とした実証研究が必要。
 
 2)現在のマネジャーを襲っている諸問題が、本当に「個人」がひとりで
   乗り越えられるものなのか、今一度考えることが必要。
・問題には「個人」の力で乗り越えられるものと、そうでないものがある。
 
 往々にして組織は「組織として取り組まなければならない課題」を 
 「個人が乗り越えなければならない課題」にすりかえがち。
○この辺りは、中原先生の「怒り」が見えてくるなー。
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●内省するマネジャー~持論を持つ・持論を棄てる
・富士ゼロックス総合教育研究所との調査
・「他者とのかかわり」の成果は、本人の「成長感」で測った
 客観的な成長ではなく、主観である「成長感」としたのは、人が経験を通じて
 学習し、自己のキャリアを自律的に考えるには、成長しているかどうかを
 自分自身で確認できることが大事だから。
・教育の世界でいう「Learning by teaching」(教えることで学ぶ)
 できない部下、後輩の存在は、教える側の内省を引き出すきっかけになる。
 世阿弥の「上手は下手の手本、下手は上手の手本なり」
・若手中堅社員にとっては、職場における360度のかかわりが大切。
 上司1人が無理して担う必要はない。
 若手中堅の周りに、異なる人々が異なる支援を担うつながりがあれば、
 支援は十全になされると考えるべきかも
 人材育成はネットワークによって達成しうる
○この辺りは、新入社員の育成にも通じる。
 OJT指導員が1人で、新人指導を抱え込むのではなく、
 周囲の人々にからんでもらうことが大切。
 「ネットワーク型OJT」と中原先生が呼んだもの。
 
 「ネットワーク」という概念についてより深く学ぶことが、
 新人への効果的なOJTを考える際のヒントになるかも。
 新人へのOJTを、ネットワークという観点から説明する。
・「仕事ができること」と「成長すること」は微妙に違う。
 成長には「内省」が大きく貢献している。
・大切にしている「かかわり先」が職場と社外の両方にある方が、
 本人にとってプラス。
・職場のメンバー内で対話が行われることが、3つの支援のいずれにも
 結びついている。
・この調査結果は「働く大人は、周囲の人々とのかかわりを通して学ぶ」
 「人はけっして1人で一人前になれるわけではない」ことを教えてくれる
・「人間の学習には他者が必要である」と初めて主張したのは、
 心理学者のヴィゴッキー
・同僚による「精神的支援」と上司による「精神的支援」は性質が異なるのでは。
・「内省支援」が成長感に寄与することは、大変重要な発見。
・部下との接し方や部下の評価の仕方など、管理職として最低限しっておくべきこと、
 やってはいけないことを教えるのであれば、現場よりも研修が向いている
○これは確かにあるよなー。
 
 参加者が知りたいことも「現場でやってはいけないこと、知っておくべきこと」
・コッターは、マネジメントは複雑性に、リーダーシップは変革に関わると主張
・「裏マネジメント」は、企業の正規教育である研修では教えられない
・甲南大学経営学部准教授の尾形さんは、組織に新人が入ってきた際には、
 上司や先輩の働きかけが新人に影響を与えるだけでなく、新人も上司や先輩に
 対して影響を与えていることを明らかにした。
○この論文読もう!
 CiNiiで見つけた「新人の参入が、組織、職場、個人に与える影響」これかな?
・プレイングマネジャーこそ部下を育てられる。
 プレイしていなければ教えられない。
・社会学習理論のアルバート・バンデューラは、自分は直接経験しなくても、
 他人の行動や振舞(モデル)を間接的に見ることで成立する学習を
 「観察学習 observational learning」と呼び、それによって行動変容が起こる
 ことを「モデリング」と呼んだ。
・上司が部下に経験を語る際には、以下の4つを注意する
 1)タイミング
 2)失敗経験も
 3)プロセス(出来事の連鎖)を示す
 4)吟味や反論の可能性も
・MITで組織学習の研究をしていたドナルド・ショーンは
「行為の中の内省 reflection in action 」も重要だが
「行為の後の内省 reflection on action 」も重要と主張
・行為の後の内省は、時に痛みも伴う。
 葛藤を引き起こしたり、当たり前と信じてきた前提を問い直すこともある
 Unlearn(学びほぐし)
・大人の学びは、痛みを伴う
○これは、ショッキングな一言だよなー。言われてみればそうだけど。
 大人には経験がある。自分がよってたつ信念もある。
 それが学ぶことで崩される可能性があるわけだから。
 変に経験を積んでいない子供だと、そういう「痛み」はないのかなー。
 自分はどうだったろう。
 新しいことを積み重ねて行くだけ。
 知識を頭に入れて行く、覚える苦しみはあったとしても痛みはなかったかなー。
・二重ループ学習では、やり方はこれでいいのかという内省につながる
 フィードバックをする。
・過去のやり方を意図せず固守し続ける人達の態度を、クリス・アージリスは、
 「防衛的ルーチン」と呼んだ。
・「とにかく俺の言うとおりやれ」というベテランは、単一ループ学習を
 押し付けている。
 二重ループ学習の大切さがわかるベテラン、教育者として一流な人、は、
 このやり方で本当によいのかを内省しながら教えている。
・EQのダニエル・ゴールドマンが警告したように、人がえらくなっていくのは、
 フィードバックが減っていくプロセスである。
○これは本当にそうだよなー。
 経営者が特に気をつけないと。小さなお山の大将になりやすい。
・ディビッド・コルブが概念化した「行為の後の内省」は、80年代後半に
 ビジネス界で注目を集めた。
 学習とは「自らの経験から独自の知見(マイセオリー)を紡ぎだすこと」
・教育学者ジョン・デューイも「真実の教育はすべて経験を通して生じる」と
 述べる一方「何よりも重要なことは、もたれる経験の質にかかっている」という
 デューイは、リフレクションが確保されて初めて、経験の質を向上させることが
 できると説いた。
・リーダーシップ研究のモーガン・マッコールは「成人の能力開発の70%は、
 現場での経験による」と述べている。
・大切なのは「現場の経験」をしっかりとリフレクションする機会をもつこと、
 内省によって経験を知恵に結実させること。
 それらを現場で行うことが難しければ、研修室で行えばよい。
○ここに、集合研修の意義があるのかも!
 現場での経験を、現場を離れて(Off-JT)しっかりと内省する機会、
 しかもそれを他メンバーと対話しながら共有する機会、
 それが、集合研修のあるべき姿なのかも。
・日本の学校教育の歴史一覧
・1977年、学習指導要領改訂「ゆとりと充実」
○1972年生まれの自分が、6歳(1978年)になった時から、
 「経験重視」の「ゆとり教育」が始まっていたということか?
 
・持論や主観を語れる場所があるか
○これは確かにあまりなかったかも。2社勤めたけど。
 あえて言えば、飲みの席? 熱く語る。
・社員が高い心理的安全を感じながら「主観」を語れる場所が確保されている必要。
 
 研修を実施する本質的な意義は、そういう場所の確保にあるのかも。
○これも勇気がでる言葉だなー。
 逆に、研修が主観を語れる場であるように、人事教育担当者や講師が配慮しないと。
・リーダーシップ研修のロミンガー社が、経営幹部にリーダーシップを発揮できる
 ようになる上で有益だったことを尋ねると、7割が「仕事上の経験」
 2割が「上司や顧客など他者による薫陶」1割が「研修やセミナー」と出た。
・アメリカ企業は「7・2・1」の経験則を重視
・インパクトで言うと、経験が大、関係もしくは薫陶が中、研修が小と考える。
・日本では、他者からの薫陶の割合が、2割より多いように感じられる。
・経験がもたらした意味を内省するには、やはりオフ・ザ・ジョブの研修の場が
 ふさわしい。
○やはりここに研修の意義があるのかも。
・受講者それぞれの「一皮むけた経験」からグループ討議での対話を経て
 持論作りを進めていけば、自己陶酔的な持論はかなり修正される。
・会社の方で、良質な経験を系統立てて、社員にくぐらせることができれば、
 人材育成の上でも有意義。
・「学びほぐし」の無い持論は、ややもすれば「陳腐な格言」「おやじの説教」と化す
・30代は常に「終わりのない修羅場」に置かれている。
 「日常としての修羅場」を抜け出し、成長を遂げる可能性は
 「越境することによる学習」に見出せるのではないか。
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●働く大人の学び~導管から対話へ
・キャロル・S・ドゥエックは、教育心理学で「固定的知能観」「拡張的知能観」
 の研究で知られる。
○この人の本「やればできる!の研究」には色々な気づきがあったなー。
 https://www.learn-well.com/blog/2009/09/post_275.html
・マインドセット(心のありかた)
・人間を学ぼうとする人と、しない人に分ける。
○ドゥエックさんは、心理学だから個人を重視。
 構成主義やネットワーク分析だとそういう個人を作るのは周囲と考えるのかな。
・上田信行教授(プレイフルシンキング著者)は、「マインドセットを変えるなど、
 教育ではできない。変えたいと願う人たちの場を作ることぐらいでは」と。
○これは確かにそうなんだろうなー。教育の限界かも。
・「生涯発達」「成人教育」は、産業界のボキャブラリーとして
 市民権を得ていない。
・「正統的周辺参加」モデルにおいては、新人にとっての学習は、仕事の中の
 日常行為に埋め込まれたものであり「学習-仕事」という対立概念はない。
・宮大工の弟子は、先輩のかんなくずを見ながら、削りたくてたまらなくなる。
 その一瞬まで待つ。
○そっ啄同機なんだろうなー。
 これが教育の理想形かも。本人の必要なときに、必要な支援を行う。
 企業における集合研修だと、
 このタイミングが合っていないケースの方が多いのでは。
 現場で仕事を教える際もやっぱり新人を良く見ていないとできないことだよな。
・近年の学習研究者は、人々が効果的に学んでいる場では、あらゆるところで
 徒弟制が作動していると看破している。
・正統的周辺参加は、職人やブルーカラーの世界だけでなくホワイトカラーの
 世界でも見られる。
 人が良く育つと言われる組織では、1人の課長がぐいぐい引っ張るというよりは
 メンバーそれぞれの成長度合いに合うように仕事が上手く配列されていて、
 相互に助け合いの関係がある。
 そういう職場を作ることも「教育者」としてのマネジャーの役割。
○これは、新人の育成においても言える。
 やっぱり周囲の手助けが得やすい環境では、甘やかしと思われるかもしれないが
 新人は育ちやすい。仕事を覚える上での様々な資源(リソース)に
 手が届きやすいからとも言える。
 ネットワーク型OJTの有効性を、新人側から見た資源の活用という観点で
 見ても面白いのかも。
・「正統的周辺参加」は、誰かにやってもらわなければ困るけれども
 ど真ん中ではなくかつ、やれば必ず学べる仕事だから新人にやらせると
 いう意味合いの込められた言葉
・マネジャーは、1人で部下たちに手とり足とり教えるのではなく、部下たちの
 「学びの順序」を最適化し、メンバーが相互に先生役になれるような職場を
 作ること
・オールの調査結果は、知識共有が起きている場の意外性と、マニュアルや研修に
 頼りがちは正規教育の限界を物語っている。
・教育には学習者を「鋳型にはめる」面と学習者の「力を引き出す」面の
 両方がある。段階に応じて、前者から後者へと教え方のウェイトが移っていく。
○これは、OJTフォロー研修で使える話し。
 OJT研修、配属初期段階では、「型にはめる」
 数か月後からは、「力を引き出す」に移行していく。
 しかし、それも新人の成長度合い、発達度合いによるだろうなー。
・上司が職場の人間関係を上手く調整することで、協調学習の基盤が生まれ、
 職場メンバーが「内省支援」を得られる。
○職場の責任者ではないOJT指導員が、職場をそのような雰囲気にもっていく
 ために何ができるのか。やっぱりまずはマネジャーの理解を得ることか。
 マネジャーが非協力的であったら? 裏や影での活動か?
・ビジネスコミュニケーションは論理実証モードに偏る。
 対話の場では、ストーリーモードを意図的に差し込む。
・「奥様リフレクション」
○これは、俺もやっているなー。
 専務でもある妻に仕事の話をする。話すことで、こちらの考えが整理される。
 迷っている時、嫌がっている時、仕事を断ろうと思える。
 うちの奥さんは、聴き上手だよなー。
 あと、D社の元記者さん?も、話を聴くのが上手いよなー。
 黙っているから、ついついこちらから話し手しまう。
・マネジャーの教育者として役割は、人を育てることではなく、人が育ちやすい
 環境を作ること、職場における「学びのいざない人」になることではないか。
○これはその通りだよなー。
 ただ、企業の教育担当者はもしかすると
 「こうやって言われると、現場マネジャーは、人材育成の責任放棄をするかも」
 「俺は育てない。職場全体で育てる」とエクスキューズ(言い訳)にされること
 
 を恐れることもあるかもなー。
 
 
・職場内の人間のつながり、つまり社会ネットワークが発達していればいるほど、
 根回しが必要になり、組織の「重さ」が増すことが分かった。
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●企業は「学び」をどう支えるのか
・社会に問題が生じているのは、すべて「教育のせい」にされかねないほど。
 私(中原先生)はそうした教育批判の全てに反論できる材料をもっている。
○この辺りの話は、ぜひ!聴きたいなー。
・「企業内人材育成入門」を書いたのは、「私の教育論」によって「企業の教育」
 がデザインされていることに強い危惧を覚えたから。
○俺もこの本で気づかされたよなー。大学院に入ろうと思ったきっかけかも。
 https://www.learn-well.com/blog/2009/01/post_211.html
・真面目な人は良く勉強し、教育学の知識を身につけようと努力もする。
 もし人材育成に携わる上での安心感や納得感を得るために、つまり理論武装の
 ための教育学であれば、余計に「私の教育論」が強まる危険性がある。
○これは耳が痛いなー。俺はやっぱり企業内研修という仕事のために、
 教育学の知識を身につけようとしている面が強い。
 やはり大企業の教育担当者と相対するための理論武装という側面は強い。
 今後、研究者としての立場とビジネスパーソンとしての立場の
 バランスに苦労するのかも。
・教育観、学習観をつくりつつ壊す、確信しつつ疑う。
 このダイナミズムを生み出す源泉として、教育学の知識、
 アカデミズムの知恵を役立ててほしい。
○これがラーニングバー等で、俺が感じていることなんだろうなー。
 「今まで正しいと思ってやっていたことが、研究結果とか聞くと、違うのかも」
 と思える。
 「結局、何が正しいんだろう。どうすればいいんだろう。自分はどうする」
 というモヤモヤ感。
 悩み、まどい、苦しみながら、今自分はこれが一番正解に近いと信じながら、
 参加者に相対する。
 知らなければすんだことが、知ってしまったがために迷う。
 そういうこともあるのだろう。
 今回、中原研究室に参加したことで、この戸惑いはもっと増えるだろう。
 でもここでの煩悶がきっと、仕事にも役立つはず。
・一斉講義の学習効果には限界がある。
 5カ月後、講義内容は2.1%。キーワードでも29.1%しか思い出せない
・研修の良し悪しは、8割がた「分析」で決まる。ADDIEのA
・なぜ研修はきれいにまとめられるのか
○ここは、ブログに比べ、やわらかく書いてくれているのかも。
・研修で提供すべきは、1人1人のマネジャーが考えるための素材と、他者に
 開かれた内省の場ではないだろうか。
・OJTとOFF-JTという分類は、見落とすものが余りにも多い。
○確かに、OJTを上司による指導
 「職場において実施される、上位者と下位者の間での一対一の教育訓練」と
 考えるとそうなんだろうなー。
 ただ、OJTというと、言葉を知っている人からは
 「仕事をやらせながら覚えさせることでしょ」と答える人もいる。
 (確かに、そもそも「OJTとは何か」というのが、
  合意されていない現状もある)
 そう考えると、
 Off-JTは、仕事を離れての学びの場、
 OJTは、仕事をやりながら学ぶこと
 となると、見落としは少なくなるのでは。
 でも、これも自分がこの業界に長くいて「OJT」「Off-JT」という
 言葉に違和感なく染まっているからかな。
 OJT,Off-JTに替わる言葉の代表は
 やっぱり「ワークプレースラーニング」なのかな。
・企業研修の講師に大学の教員が多すぎる。研修は大学と現場を結ぶための
 だだの「導管」でしかなくなる。
○それ以外の場として、産学が集えるのが、ラーニングバーなのかな。
・座学の合間に、安全で発想もはずむフィジカルなエクササイズを取り入れる効果
 一橋大学のMBAが活用。
・アンプラグドラーニングは、今後きわめて重要な学習法になっていくのかも。
・子供時代の学びは「身体」を動かすこと。
 学びが「空間」によって分節化されていた。
 学校に通うようになると、学びを「時間」が支配し始める。
 「言葉」の役割が大きくなる。
○これは確かにそうだよなー。
 今、小1の長女と3歳の次女には、できるだけ身体を使って遊んでほしい。
 小1の長女も、塾や習い事をさせていない。
 本人がやりたがらないというのもあるけど。
 ただ、今後、彼女の世界(学校、学童、近所)を広げる一助として
 習い事は考えたい。身体を動かすもので。
 
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●企業「外」人材育成
・ゆるいコミュニティーの方が、キャリア確立に寄与する。
・大人が視野を拡大にするには、何らかの外部性を必要とするのでは。
○確かにそうかも。
 今自分が開催している異業種の人事教育担当者の交流会に参加する人も、
 自分と違う世界の人たちと会うことで視野が広がるという話は良く聞く。
 (そうはいっても、仕事がほぼ同じだから、多様性は少ないのかな。)
 大人が、一つの組織、価値観の世界にずっといると、やはり視野が狭まる。
 それを広げるには、外の世界に行くことが必要なんだろうなー。
・ワークショップは、ジョン・デューイの理論、社会心理学者クルト・レビンの
 参加型学習の手法であり、近年の教育研究においても注目が集まっている。
 企業人材育成の領域にももっとワークショップ実践者、研究者の知恵が
 活かされてもよい。
・大人の学びには「面白さ」と共に「カッコよさ」が必要。
○これは確かにそうかも。
 これがカルチャーセンターとかにビジネスパーソンが行かない理由かも。
・教育学者のパウロ・フレイレは「学ぶとは、取り戻すこと、再創造すること、
 書き直すことだ」という名言を残している。
・学びのサードプレイス
○「ときがわ大学」も面白いかも。
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●あとがき(中原先生)
・自立した研究者として自分にしかできないこととして「働く大人の学び」
 を選んだ。「学校外の学習」
・「働く大人の学び」に関する学習研究、教育学の先行研究としては2つの流れ。
 
 1)限定的な狭いワークプレースに関する研究
 2)成人学習論の流れ
・企業に関する教育学の研究は極めて限られている。
○企業に関する研究はやはり
 経営学、産業組織心理学、とかそういう分野になるのかな。
・「企業人材育成のあり方」と「働く大人の学びのあり方」が
 時にコンフリクトを起こす。
 最終的に企業に利益をもたらさなければ、意味がない。
・「企業人材育成」を研究しているのか「働く大人の学び」を研究しているのか
 どちらの立ち位置にいるのか、時に分からなくなる。
○これは、正直な告白なんだろうなー。
 個人を応援する立場と、組織論理の側に立つ立場 と考えてもいいのかな。
 俺のビジネスにおいては「企業人材育成」組織論理の側だろう。
 ビジネスであれば、お客様の設定が重要になる。
 お客様を絞れば、あとは迷わない。そのお客様に役立つよう仕事をする。
 何故ならお金を出して下さる(粗利益の原泉)はお客様だからだ。
 研究だと「誰に対して」という設定が難しいのかな。
 
 でも、今後俺も研究の世界に入ったことで、立ち位置に悩むのかも。
・社内と社外の学びを還流させるような新たな学習デザインを、企業の中に
 作りだすための理論的整理を行うこと。
 働く大人が越境しつつ学べるような社会の仕組みの基礎的デザインを学問として
 描くこと。
○これは魅力的だなー。研究室生として、自分に協力できることがあればしたい。
・真の対話とは、違いを楽しむことにある。
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●あとがき(金井先生)
・経営学で組織行動や人材マネジメントを研究している人、人事担当、
 教育スタッフには、成人教育の分野をもっと知ってほしい。
・Developmentを開発ではなく、発達と訳す
 人材開発ではなく、人材発達支援
・経営学の組織行動論や人材マネジメント論、人材開発論の世界と、
 教育学における成人教育やWPLなどの世界とを、上手く架橋してほしい。
 社会人になって大学院に挑戦する人が増えることも望みたい。
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投稿者:関根雅泰

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