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2011年08月23日

パフォーマンス・コンサルティングII〜人事・人材開発担当の実践テキスト

「パフォーマンス・コンサルティングII〜人事・人材開発担当の実践テキスト」

○前著から更に具体的、実践的に。
 研修営業の現場で、すぐに使える。

(・引用/要約 ○関根の独り言)


・HRの実務家が戦略レベルの発想-打ち手やソリューションよりも、
 パフォーマンスや成果を重視-で取り組んだ場合、組織に対する効果は
 直接的でプラスになる。

・職場のパフォーマンスに影響を及ぼす8つの根本的原因

●第1章 ニーズの階層構造

・ニーズの階層構造:
 1)事業ニーズ
 2)パフォーマンスニーズ
 3)職場環境ニーズ
 4)能力ニーズ

・パフォーマンスコンサルタントは、経営陣と信頼関係を築くことが重要
  信頼関係を築くべき適切な人物を特定することが重要。

●第2章 GAPS!ロジック

・G:Go for the SHOULD
 A:Analyze the IS
 P:Pin down the CAUSES
 S:Select the right SOLUTIONS

●第3章 事業とパフォーマンスの「あるべき姿」を明らかにする

・PCのプロセスは「前半が重い」

・分析を始める前に、収集した情報をどのように使うつもりかを決めておく

・「違いをもたらす行動」を明らかにする

・スター従業員と彼らの上司が支持している情報はかなり信頼できる

・今日従業員が行っている仕事のほとんどは、頭を使う仕事であり、
 観察しづらい仕事である。

・スター従業員に聞く「6つの切り出しの質問」
1)この話し合いでは、まず〜の事業目標(パフォーマンス成果)について
  お話しを伺いたいと思います。
2)この成果を達成するために具体的に行っていることを教えて頂ければ。
  この成果を実現するためにとっている仕事の進め方や行動について、
  一つ一つ順を追ってお聞かせ頂けますか?
3)この成果を生み出すために行いたいと思っているのに、今は行っていない
  手順や行動がありますか? 
4)この成果がうまく達成できたかどうか、どうしてわかるのですか?
  成果が見事に達成できたと判断する上で、どのような基準があるのですか?
5)この成果を達成しようとするときに、組織内にはどのような障害や
  阻害要因がありますか? 
6)この成果を達成しようとする時に、組織内にはどのような促進要因が?

●第4章 事業とパフォーマンスの「現状」を明らかにする

・スキルレベルが高く、活用頻度が低い→おそらく職場環境の問題

・活用頻度 1〜6 スキルレベル 1〜5 でアンケートをとる

●第5章 「原因」と「解決策」を明らかにする

・8つの原因
1)組織の外部要因
2)組織の内部要因(職場環境):
  役割や期待のわかりやすさ、コーチングや強化、インセンティブ、
  業務のシステムやプロセス、
  業務に必要な情報・人材・ジョブエイドの利用しやすさ
3)個人の内的要因(能力):
  スキル・知識、固有能力

●第6章 クライアントと契約する

・PCのプロセスでは、2度契約を結ぶ:現状分析の前、ソリューション提供の前

●第7章 クライアントとの信頼関係を深める

・ACT:Access(接点)、Credibility(信用)、Trust(信頼)

●第8章 ソリューションの要求を受けて始める-リフレイミング

・3種類の質問:
1)あるべき姿の質問 (事業:数値、パフォーマンス:行動)
2)現状の質問(事業:数値、パフォーマンス:行動)
3)原因の質問(The Gap Zapper)

●第9章 パフォーマンスコンサルティングの機会を自ら見つける

・事業目標=事業部が将来成功するとしたら、達成されなければならないこと

●第10章 よくある質問

・PCが経営会議に参加することで「経営陣が思いもよらなかった様々な問いかけ
 をして、その問いに対する答えを出すのを手伝ってくれる」

・HR関連業務の三分類:事務処理、戦術、戦略レベル

・PCは、戦略レベルの仕事を見つけ、事業成果を
 最大化することを意図したプロセス

・効果測定は、後から行うのではなく、最初から取り組むフロントエンドの
 プロセスだということ

●訳者解説・あとがき

・PCでは「人の行動と成果に影響する要因は、従業員個人の要因だけでなく、
 職場環境要因などがあり、スキル・知識の習得だけでは変わらない」という
 前提にたっている


○自分は「原因分析」が弱い。ここが今後の課題。

○「パフォーマンス・コンサルティング」
  http://learn-well.com/blogsekine/2009/06/post_249.html

 「パフォーマンス・コンサルティング2.0:何が同じで何が変わったのか?」
  (著者 D.ロビンソンによるASTDでのセッション)
  http://learn-well.com/blogsekine/2008/06/post_104.html

 「パフォーマンス・コンサルティング〜研修作りから成果創造」
  (訳者 鹿野先生による慶応MCCでのセッション)
  http://learn-well.com/blogsekine/2009/08/post_250.html

2011年08月14日

「就社」社会の誕生 〜ホワイトカラーからブルーカラーへ

「就社」社会の誕生 〜ホワイトカラーからブルーカラーへ

  菅山真次 

○明治から平成に至るホワイトカラーのブルーカラー化の経緯


(・引用/要約 ○関根の独り言)

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●序章

・「就社」という常識は、1950年代以降の高度成長の過程において作られた

・農業人口が急激な減少を開始して、日本が「雇用社会」へと急速な変貌を
 遂げていくのは、1950年以降のことである。

・高度成長のエンジンとなった製造業大企業では、1950年以降になってはじめて
 「日本的」雇用慣行が現実のものとして定着しはじめ、それとともに定年ないし
 定年近くまで一つの会社に継続勤務するという働き方が、大卒のホワイトカラー
 だけでなく、中卒、高卒のブルーカラーに至るまであまねく広まっていった。

・本書は、「就社」社会日本の歴史的成り立ちを、これを特徴づける慣行や制度
 に注目して「ホワイトカラーからブルーカラーへ」をキーワードとして解き明かす
 試みといえる

・本書は、以下の3点でこれまでの労働問題研究の延長線上には止まらない
 1)学歴主義への注目 2)企業と学校のリンケージへの注目 
 3)企業システムへの注目 


●1章 歴史的前提 ‐産業化と人材形成

・19世紀の熟練労働者は全国の大工場や中小、零細工場をまたにかけて「渡り」
 によって腕を磨いていくのが典型的なキャリアパターンであった

・A.ゴードンは、初期の工場労働をめぐる社会関係が、日本と西欧で多くの
 共通点をもっていたことを強調した。

 産業化の初期段階では、西欧でも日本でも経営者や技術者は、工場現場で
 立ち働く何百人という労働者を管理する十分な経験をもっていなかった。

 そのため「親方労働者」の権威と力量に頼らざるを得ず、しばしば彼らに
 仕事をアウトソーシングした。

 ●大工場労働者と熟練形成

・産業化の時代における日本の熟練労働者は、一応の閉鎖性と内的規制力を
 備えた社会集団として存在していたが、その閉鎖性の度合は概して弱く、
 他の諸階層との人的流出入も決して例外的であるとはいえなかった。

○これが後半の「クラフト的規制がない」にもつながってくるのかな。

・官営製鉄所においては、「遠い職場」への移動も含めて、要員管理の手段として
 配転が頻繁に実施されていた。

・西欧との対比でみた場合、日本の特徴は、職場の協業集団の自律性がもともと
 弱かった上に、早期から急激な官僚制化の傾向が進展したために、むしろ
 間接的管理方式が十分に根付かなかった(点にあるのではなかろうか)


 ●職員層の形成

・近代産業の担い手としては、企業内における地位ないし身分という観点から
 経営者、職員、労働者の3つのグループを区別することができる。

・第一次大戦を境に本格的な発展を遂げた労働運動の主たる要求は、労働者を
 人間として扱え、というものであった。

 これに対して経営側は、これまでの「役員」と「職工」という一対の概念に
 かえて、労働者をひとしなみに「従業員」と位置付けることで対応した。

・「職員」層は、近代日本の「労働者」にとって、目標となるべき準拠集団を
 なしていたとみることもできよう。

 小池和男によれば「ブルーカラーのホワイトカラー化」とも呼ぶべき特徴は、
 労働運動の成果として獲得されたものという側面が強いのである

○職員層=スタッフ人材=ホワイトカラー

・官営製鉄所職員には、職人あるいは労働者からの叩き上げがほとんど見られず
 また商業使用人からの入職もごく限られていた

・ホワイトカラーは、旧支配層の士族から主に供給された

 明治初年においては、近代セクターを構成する官僚的組織の職員層は
 ほとんど士族出身者によって独占された状態であった

・1880年頃には(職員層への)平民層の進出が顕著になりつつあった

・1900年頃には、職員として企業に入職するための知的訓練を行う学習の場は
 「正規」の学校以外にも多様な広がりを持って存在していた。


●2章 「制度化」の起源 ‐戦間期の企業、学校とホワイトカラー市場

 ●新規学卒採用の「制度化」

・技術者の採用は、多くの企業にとって事務系職員の場合と比べてより困難な
 状況にあったと推測される

・三井銀行では、19世紀のうちは中途採用が多かったが、採用数が極端に
 絞られた1901年から07年までは新卒採用にほぼ限定され、08年以降も新卒採用
 率は高水準で推移した

・三井物産では、19〜20世紀転換期に学卒者の大量採用が始まり、1912年の人事課
 の設立が画期となって、「新卒定期入社システム」が確立した

・事務系の職員を中心とする金融、流通部門のトップ企業では、ほぼ20世紀初頭が
 転換点となり、1910年前後に新規学卒採用制度が確立したとする

・森川仮説=学卒者に対する企業の需要はまず技術者に集中し、次に事務系に移る

・マクロな新規学卒者の需給関係が、20世紀はじめの30年間で不足から過剰へと
 大きくシフトした

・第一次大戦を境に中高等教育機関の大増設が行われる一方、1920年代〜30年代初頭
 の長期不況下にあってホワイトカラーの需要が伸び悩んだため、特に20年代後半
 以降、学卒者の就職難が極端に深刻化した

 「大学は出たけれど」という小津安二郎の映画がヒットしたのは、昭和恐慌が
 勃発した29年のことであった

・官営製鉄所における新規学卒採用の展開過程は2つの局面にわかれる
 
 1897年〜1919年 学校に求人を依頼 採用者の選抜は学校にゆだねられていた

 1925年頃〜33年 学校から推薦された候補者を更に厳しくふるいにかける

・苅谷=ローゼンバウム仮説

 企業と学校の制度的リンケージがいかに発生するかを、取引コストの経済学を
 援用しながら考察

 企業は制度的リンケージを通じて、その取引相手から供給量、スキルのタイプ、
 質の3点にわたって、信頼できる労働力の提供が行われることを期待している
 
 こうした期待へのニーズがとりわけ高い場合に、企業と学校の制度的リンケージ
 が発生すると考えられる

・1920年代後半は「学卒」技術者の確保策として始まった学校とのリンケージが
 ホワイトカラーの採用管理の中核に位置する「制度」へと進化を遂げ、今日まで
 連綿と連なる新規学卒者の定期一括採用方式が確立する、まさにそうした転換期
 として位置付けることができよう


 ●学校による就職斡旋とその論理

・戦後日本の学校は、教育活動の一環として、卒業後の進路の指導を行うことを
 自明としてきたし、さらに自ら就職を斡旋する主体として行動することを
 ためらわなかった。社会や企業もそれを「当たり前のこと」として受け入れてきた

・国際的には異例ともいえる慣行、制度

・教育的な情熱に支えられた学校当局による企業への組織的働きかけこそが、
 学校卒業が間断なく就職へとつながる仕組みを現実のものとした

・多くの企業は学校の選考をかなりの程度まで尊重し、事実上従業員の選抜を
 学校の委ねていたのである

・日立、鶴電のような企業は、毎年コンスタントに採用行うことと引き換えに、
 鶴岡工業から自社のもとめにぴったりで、それゆえ長く勤続する、学業成績
 の優秀な労働力を確実に推薦してもらうことを期待できた

 これは苅谷=ローゼンバウム仮説に合致する

・アメリカでは、企業があらかじめ選抜した特定の大学や大学院に出向いて、
 新規学卒者を採用する、キャンパスリクルートメントが行われている

・英米ではもっぱらエリート大学卒ないし大学院卒の採用をめぐって、企業と
 学校の制度的リンケージや定期採用の慣行の存在が報告されている

 対照的に、高卒に関しては日本の場合とまったく違って、卒業生の就職に
 学校が組織的に関与することはほとんど見られない


●3章 「日本的」企業システムの形成 ‐戦争と占領下の構造変化

 ●「日本的」雇用関係の形成 −就業規則、賃金、従業員

・R.ドーア「イギリスの工場、日本の工場」

 イギリスならミドルクラスの職員に限られている特権が、
 日本では現場労働者にまで適用されている

・小池和男は、日本と欧米諸国の雇用慣行を比較可能なマクロデータに基づいて
 吟味し、日本のブルーカラー労働者と欧米のホワイトカラーのスタッフとが、
 年齢、賃金プロフィール、勤続年数別構成、企業福祉費の割合等について
 近似していることを発見した

・ブルーカラー労働者の賃金の「ホワイトカラー化」は、戦争末期にかなりの
 進展を見せた

 しかし、ブルーカラー労働者の賃金は貧しさを共に分かち合うという形で
 「ホワイトカラー化」したのであり、その限りでむしろホワイトカラーの
 「ブルーカラー化」という側面をもっていた

・労使決戦の天王山となった1950年の大争議。5,555名の大量解雇という組合の
 惨敗に終わったこの争議によって会社側の優位は揺るぎないものとして確立し
 経営陣はほぼ望むとおりの改革を実施することができた

・他方、職場の中ではかつてのような権威主義的な管理は影をひそめ、身分制度
 下の職員‐工員関係とは異なる「民主的」な人間関係が確実に根をおろしていった

・敗戦後に再編成された企業内の学歴主義的秩序は
 労使の合作という側面をもっていた

・企業と学校のリンケージを制度的基盤とする、ブルーカラー労働者の定期採用
 方式が確立したのは、1960年代に入ってからのことである。その起源は新しい。


 ●「企業民主化」−財界革新派の企業システム改革構想

・1946年 経済同友会による「資本と経営の分離論」

・戦間期の事業家は、一城の主。今日の経営者は、サラリーマン重役

 今日の大企業の経営陣は、ほとんどすべてがホワイトカラーからの内部昇進者
 =サラリーマン重役によって占められている

 日本企業はトップマネジメントの面でもホワイトカラー化したのである。

・敗戦後、GHQの指示により、財閥が解体され、大会社の首脳陣は一掃された。
 部長クラスが社長になるという三段跳び人事が実施された。


●4章 「企業封鎖的」労働市場の実態 −高度成長前夜の大工場労働者と労働市場

・標準的なキャリアパターン:学校を卒業後直ちに企業に就職し、定年ないしは
  定年近くまで同一企業に継続勤務するという働き方

 兵藤は1920年代がそうした日本的なキャリアパターンが形成される、歴史の
 重要な分水嶺となったと主張。

・敗戦後、GHQの民主化政策のバックアップを受けて労働組合運動が飛躍的に
 成長を遂げた

・氏原正治朗は、日本の大企業セクターの労働市場が企業封鎖的な構造をもつ
 ことを主張した。

・一般に労働者のキャリアが主に一企業の内部で展開されるか、それとも複数の
 企業にまたがって横断的に形成されるかは、職種の性格によって大きく左右
 されると考えられる

・巨大な設備、組織は企業ごとに異なるため、それぞれの企業に特有な技能が
 形成される傾向がある 例)鉄鋼業など装置産業の基幹職種

・技能工を、プロセスワーカー、オペレーター、熟練労働者と3つの職種群に分ける

・戦後の採用管理の特徴の一つは、職安、学校の利用が顕著に増加したこと

・戦前からの伝統的な慣行では、新規募集がなされるときには役付工が積極的に
 動き、縁故者とくに郷里の親戚知人を斡旋するのが通常であった

 戦後は一転してプロセスワーカーの募集、採用は主に職安経由で、職安係員の
 立ち会いの下、行政側の定めた画一的な手続きに則って行われるようになった

・労働者がたどった職業経歴は、職種によって大きく異なるというシンプルな事実

・プロセスワーカーについては、職種別労働市場は未発達で、キャリアの形成は
 もっぱら企業の内部でOJTによって行われた。

 現場で見よう見まねで覚えるしかなかったと言える。

○「企業特殊スキル」はOJTで、「一般スキル」はOffJTで。
 (と簡単には言えないかな。一般スキルもOJTで身につけているケースも多い)

 その企業に長く留まり、企業特殊スキルを形成しなくてはいけない場合は、
 OJTが有効。

 会社を渡り歩く場合は、OJTは有効では無い。

 (とは言えないな。ある会社で先輩営業に同行して学んだことは、
  他の会社でも活かせる。でもこれも「ポータブルスキル」だから言えること。

 「ポータブルでない知識、技術=その企業でしか活かせない 企業特殊スキル」
  
・一般に銘柄が明確で、個々人の仕事の範囲がはっきりと定義される職種では、
 外部労働市場の力が発揮されやすく、労働者のキャリアは複数の企業にまたがって
 横断的に形成されるのが通例である。

 それに対して、巨大な設備や組織と協業する性格が強い職種では、内部昇進制が
 発達しやすく、労働者のキャリアは一企業の内部に封鎖化される傾向を持つ

・大工場労働者のキャリアは、氏原の主張とは違って、職種=仕事の性格に
 依存するところが大きかったのである

・J.アベグレンが、1958年に「終身雇用 permanent employment system」
 という言葉を世に広めた

・学校から職業への間断の無い移動が、大卒者のみならず一般大衆にまで広がった
 のは、1950年代以降、大量の若者が農村から都市へなだれを打って移動していく
 そういした歴史的な構造変動の最中においてであった


●5章 「間断のない移動」のシステム −戦後新規学卒市場の制度化過程

 ●中卒就職の制度化 −職業安定行政の展開と広域紹介

・1950年代~60年代

 農村から都市へ向かう 安価でかつ適応力の高い若年労働力が、製造業を
 中心に労働市場に大量に供給されたことこそが、日本の高度成長をささえた
 重要な要件

・新規学卒労働力の激しい地域間移動を媒介するとともに、その全国的な
 需給関係を「調整」する役割を担ったのが、職安行政の広域紹介システム。

・日本における公共職業紹介制度の発展の基礎を築いたのは、無料職業紹介を
 行う公営職業紹介所の設置を定めた1921年の職業紹介法である。

・1950年代には全国レベルの「全国需給調整会議」

・1951年には、朝鮮戦争の特需ブームの中で求人数は一挙に跳ね上がった

・1960年代に入って日本経済が本格的な労働力「不足」経済へと転換する中で、
 労働省が新規中卒労働力の「強力な需給調整」に乗り出し、そのための手段
 として新たに「需給調整要領」が策定された

 要領では、年間計画の早期化、画一化が促され、積極的な求人指導の実施が
 うたわれた

・職安行政にとって黄金時代は長くは続かなかった

 1960年代後半になると、高校進学率が急伸したために、中卒就職者数自体が
 激減しはじめたからである

・「金の卵」となった中卒就職者のほとんどが職安の手で確実に就職していった

・新規高卒者の就職に対しては、職安行政のコントロールはほとんど 
 及ばなくなっていた


 ●中卒から高卒へ −定期採用システムの確立

・職場への定着を進めることで、青少年の不良化を防止しようとする
 考え方が職安行政の基本的な立場であった

・労働省が定着一本やりの方針を転換して、転職を適職探索のプロセスの一環 
 とみなす考え方もあることを認めたのは、1973年のこと。

・年少者が学校を出たあとに生じうる「すきま」を出来るだけ排除することで、
 「少年不良化」の温床となることを防ぐ

 こうした危険な空白を生ぜしめない方法、それが若者を学校に囲い込むことであり
 彼らを職業に定着させることであった

・1960年の時点では、大企業こそ中途採用が中心であった

・日本の雇用関係を際立たせているのは、キャリアディベロップメントの観点
 から見て適職探索の時期にあたる、青年期における離転職水準の低さに
 他ならない


●終章 

・「間断のない移動」の仕組みは、学校と企業の継続的取引関係を制度的基盤と
 している

・従来、日本における内部労働市場の歴史的形成に関する研究では、ホワイトカラー
 が取り上げられることはほとんどなく、分析の焦点はもっぱらブルーカラー
 労働者の雇用関係の解明に向けられてきた

・20世紀初頭の日本で、最初はホワイトカラーの上層を対象に発生した制度が、
 両大戦間期にホワイトカラーの中、下層へ、そして第二次大戦後には、
 ブルーカラー労働者へと絶えず段階的に下降し、拡延されていった

・「ホワイトカラー化」の原動力となったのが、戦後の労働組合運動であった

・武士の家の出身者にとって、「文書の世界」であるホワイトカラージョブへの
 参入は他の社会層に比べてアドバンテージがあった

・日本におけるホワイトカラーの形成は「教育」という社会的資源の存在によって
 大きく支えられていた

・日本における人材形成の基本的パターンは、西欧とは明らかに異なっており、
 それは産業化のタイミングによるだけではなく、「クラフト的規制」の欠如や
 「教育」という社会的資源の存在など、近世以来の伝統によって大きく規定
 されていた。

・「就社」社会と呼ばれるにふさわしい現代日本社会の「制度」は、近代以前から
 連綿と受け継がれてきた以下の「伝統」の強い影響力のもとで形成されてきた

 1)入職規制、資格制度の欠如
 2)学校、教育への社会の信頼
 3)企業と有機的組織体と見る考え方
 4)行政の大幅な介入


●あとがき

・面白くなかったら、社会科学とはいえない


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日本の若者と雇用 〜OECD若年雇用者レビュー:日本

日本の若者と雇用 〜OECD若年雇用者レビュー:日本 

 OECD編著 濱口桂一郎監訳 中島ゆり訳

○OECD諸国と比較しての日本の若年労働市場の特徴

(・引用/要約 ○関根の独り言)

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●はじめに

・1990年代初頭までは、学校を離れた者は安定した雇用にすぐに移行し、
 失業の少なさと離職の少なさが日本の若年労働市場の特徴であった。

・終身雇用慣行が一般的な状況で、企業は学校を卒業した新入社員を長期雇用
 するという見通しの下に雇い、新規採用者に集中的な職場内訓練(OJT)を
 提供した。

・この状況は、1990年代の「失われた」10年に急速に変化した。

・2002年からの長期的な経済回復によって若年労働市場に対して若干の緩和が
 生じ、若者の全般的な就職の見通しが改善してきた。

・最初のベビーブーマーが2007年頃に退職し始め、企業は代わりに若い労働者に
 対する受容を増やした。

・労働市場の二重構造(正規、非正規)は拡大

・日本において終身雇用と企業内訓練の重要性が低下したことで、既存の教育
 訓練制度の弱さが顕となった。

・近年ある程度改善しているものの、日本の若年労働市場は深刻な困難を経験した。
 これは他の一部のOECD諸国に見られたものと似ていた。


・ますます複雑になる経営環境によって企業側は長期雇用と企業内訓練から手を
 引くようになった。これは企業ですぐに使えるスキルを若者の身につけさせる
 よう、学校と大学に対して更なる努力を求める引き金をひいた。

・初期教育と職業の結びつきをより密接にすることと、激変する労働市場の要求
 に見合う適切なスキルを若者に身につけさせること(が重要)


●1章 これからの課題

・日本は世界で最も高齢人口の割合が高い国の一つである。労働年齢人口における
 若者(15〜24歳)の割合は、1970年代からOECD諸国のなかで最低のレベルと
 なっている。

・全体的な労働年齢人口が縮小していく中で、労働市場に参入する若年労働者の
 数は今後10年減り続けると予想される。

・日本ではNEET率は若い男性よりも女性で高く、高学歴層よりも低学歴層で高い。

・伝統的に日本の若年労働市場は学校を離れた者が卒業後すぐに安定した仕事を
 える割合が高く、離職率が少ないことで知られていた。

・しかしこの状況は1990年代初頭からの不景気に変化した。多くの企業は人材戦略
 を変え、パートタイムや臨時雇用の数を増やす代わりに、新卒者の採用を減らした


・日本では低学歴の若者が非正規雇用で働く可能性が高い。そして雇用格差は、
 若い女性で更に大きい。

・バブルがはじけた1990年代半ばにはフリーターの数は著しく増加した。

・入職時の地位はその後の地位を決める決定的な要因である。

 日本の多くの若者の長期的な雇用上の地位が卒業時に決定される

 最初の労働市場の条件、つまり若者が教育を終えて最初に労働市場に入った時
 の条件が日本ではその後の雇用経験にかなり長く影響することを明らかにした


●2章 教育と訓練

・2006年のPISA調査によると、日本においては生徒の成績に対する社会経済的
 格差の影響が弱い。

・日本においては、後期中等教育(高校)への進学は自動的なものではなく、
 生徒は競争試験に合格する必要がある。これはOECD諸国の中でも極めて特殊な
 選抜システムである

・日本では多くの若者の将来の生活は15歳までに決定すると言われている

・日本の教育制度は年齢にかなり依存しており、すべての若者が同じペースで
 移行することが期待されている。

・PISA調査において女子の成績が相対的に悪かったことが示しているように、
 日本では教育における男女格差が15歳時に既に大きい。

・労働力が高齢化し縮小する中で日本が女性の就業を増加させ人的資源を最大限
 に開発する必要があるなら、大学教育の男女格差を減らすことが重要である


・日本の国公立大学の学費は、OECD諸国のなかで最も高額の国のうちの一つである

・GDPに対する割合としての高等教育への公的支出がOECD諸国の中で最も低いという
 事実

・日本の学生、生徒は在学中に職業経験を行う機会が限られる傾向にある

・OECD諸国における在学中の職業経験に関する多くの文献が、週に適度な時間
 働くことは学校の成績を下げず、若者の将来の労働市場での成果の助けとなる
 ことを明らかにしている。


・日本政府は近年、若者対象の職業訓練が受けられる可能性を高めるため重要な
 施策を導入した。

 2003年の若者自立、挑戦プランに基づき、2004年に日本版デュアルシステムを
 立ち上げた。

 デュアルシステムは、企業が訓練生に十分な場を提供できるかどうかに大きく
 左右されるだろう。

 2008年4月、政府は若者に実際的な職業訓練を提供すると言うより野心的な
 施策を導入した。ジョブカード制度である。


●3章 若年雇用への需要側の障壁に対する取組

・日本政府は2007年の改正雇用対策法によって、募集における年齢制限の禁止を
 導入した。

・日本の若い母親は多くのOECD諸国の母親よりも仕事を続ける上で未だ大きな
 障壁に直面している。

・2004年の規制緩和によって、派遣労働者の数は2000年2月の30万人から、
 2007年には130万人まで増加した。

・フレキシュリティアプローチは、日本にとっていくつもの役立つ指針を含んでいる

 (参照 デンマークの事例 9章)
   http://learn-well.com/blogsekine/2009/12/post_311.html

・(フレキシュリティアプローチは)労働者への適切な雇用保障を維持する一方で
 適度に厳格な雇用保護規制は良く設計された失業給付制度、相互義務アプローチ
 の下での求職者の強いアクティベーション(就業促進)、効果的な積極的労働
 市場プログラムへの投資を組み合わせることで、ダイナミックな労働市場を
 作り上げる助けとなる

・日本において、所得の不平等は拡大している。可処分所得に対するジニ係数は、
 1985年から2000年の間に、13%も上昇した。


●4章 積極的労働市場政策と給付

・現在の政策アプローチには深刻な欠陥があるように見える

・日本で未だ広く支持される見方は、若者労働市場の問題が基本的に若者個人の
 意欲(自立心、決意、労働倫理など)の欠如に起因するというものである

・雇用保険への十分な加入期間のない多くの日本の若者は生計を維持するために
 親に依存しているようである


●あとがき

・若者に対するネガティブなイメージが、彼らをサポートする政策に支出を増大
 させることへの抵抗につながることは必至である

・ネオリベラルな市場主義的観点からのセキュリティのない規制緩和は、スキル
 のない若者や不利な立場にある女性を更に貧困のスパイラルに陥落させてしまう
 恐れがある。

 フレキシュリティは現実的なアプローチとして真剣に検討され、丁寧な説明を
 伴って実施させる必要がある。


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「学校から仕事へ」の変容と若者たち〜個人化・アイデンティティ・コミュニティ

「学校から仕事へ」の変容と若者たち〜個人化・アイデンティティ・コミュニティ

  乾 彰夫 


○移行過程の変容は、若者たちの意識より、社会構造の変化によるもの

(・引用/要約 ○関根の独り言)

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●序

・若者の「学校から仕事へ」の移行をめぐる不安定化と困難が急速に広がっている

・秋葉原事件 若者のしんどさが改めて浮き彫りに

・派遣労働、非正規雇用という雇用の不安定さとそれがもたらす不安 それに
 何よりも職場や社会において1人の人格として承認を得られていないという孤立感
 が大きいことが背景にある

・不安定化する若者たちの移行過程に何が起きているのか、そしてその問題をどう
 捉え、何を社会の課題として引き受けなければならないのかが、本書の課題。

・日本では学校を除けば、若者の自立を支える公的制度がほとんど存在せず、
 もっぱら家族と企業にゆだねられた


■1部 「戦後日本型青年期」の形成とその解体・再編

●1章 戦後日本における「学校から仕事へ」の移行過程〜その今日的意味

・バブル経済の崩壊した1990年代半ば以降、若者たちの「学校から仕事へ」の移行
 は急速に変容した。

・1990年代半ばから2000年代前半にかけてのいわゆる「就職氷河期」

・最終学校を卒業するまでに就職が内定し、4月1日に一斉に入社するという
 1960年代以降の日本社会に定着していた若者たちの「学校から仕事へ」の移行
 形態が大きく変容

・こうした状況は、1980年代に西ヨーロッパ、北アメリカ諸国の若年層に中に
 生じた変化と基本的に共通する

・社会構造的課題として把握されなければならない問題を、若者たち本人とその
 家族の責任に転嫁させるのは、もちろん新自由主義特有のレトリックである

・社会的中位水準を形成する大企業ブルーカラーについては、主に一般的学力を
 基準に一括採用され、職業技能形成については、もっぱら採用後の企業内教育
 を通じて行われることとなった

・西ヨーロッパ各国での中高等教育の拡張が、基本的には授業料無償化に加え
 ユニバーサルな奨学金制度などにより実現し、特に高等教育段階では若者の
 家族からの経済的自立を可能にしていたのとは、(日本は)大きく異なる

・若者たちは、成人年齢を超えても、就学期間中は基本的に社会的、経済的に
 家族の保護のもとにおかれ続けることになった

・高度成長期に成立する「戦後型青年期」は「新規学卒就職」という制度に
 枠づけられながら大衆社会段階の市民へと移行していくルートとして形成された

・「戦後型青年期」は、90年代移行の10年あまりを通して、急速に解体しはじめて
 いる。象徴するのが、新規学卒就職率の急速な低下と、その裏側でのフリーター、
 学卒無業者の増大である。

・その背景には、正規雇用の削減と非正規雇用の増大を中心とした雇用構造変化
 がある

・偏差値の低い学校ほど、また校内成績が下位の者ほど、フリーター予定や進路
 未定者の割合が高くなっている

・フリーター、学卒無業者の増大は、若者たちの意識変容の結果という以上に、
 社会の構造的変化が若者たちにそれを強いたものであり、社会的、学校経歴的に
 不利な条件にある者ほどその影響を強く受けている

・この「強いられた延長」を受け止める社会的枠組みは未成熟で、その負担の多くが
 家族によって担われ、またそのような家族や若者たちが「非難」される状況が
 依然として続いている

・問題の大きな背景が、若年労働市場を含む大きな社会構造変容にあることを
 認識すれば、個々の困難に個別に対応する以前に、若者が「学校から仕事へ」
 安定的に移行することを可能にするような社会的枠組みそのものの構築が
 何よりもまず必要であろう。

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■2部 ヨーロッパにおける移行過程の変容とその性格

●2章 後期近代と個人化

・A.ギデンズ、U.べックらの「後期近代(Late modern)」と「個人化(Individualization)」などをめぐる理論は、ヨーロッパにおいて若者の
 移行過程変容の今日的性格を理解する上で、しばしば参照されてきた。

・20世紀末以降の移行過程変容の基本的性格の一つとして、ほぼ共通の認識と
 されていることは「個人化」の進行である

・後期近代=近代化の第二段階(べック)

 国民国家的産業社会から多国籍的な混乱の世界、すなわちリスク社会への移行

・予測不能なあるいは個人がコントロールしようもない失敗すらも、個人の責任に
 帰せられる

・個人化のもとで自分固有の人生を生きるということは、常に自己の行った行為や
 過去を振り返りながら意味づけし直すことを通して、自分の人生経歴を
 コントロールするということなのである


●3章 自己再帰性と行為主体

・1990年代以降のヨーロッパにおける若者の移行過程研究では、社会構造と
 行為主体(Structure and agency)をめぐる議論が一つの焦点となった

・M.デュボア=レーモンは「トレンド創造的学習者」という概念で、自分の趣味
 などを活かしながら起業する若者たちの中に見られる新たな学習スタイルを
 描いている

・後期近代における行為主体の位置と性格に着目してその理論化を試みてきた
 1人が、A.ギデンズである

・ギデンズの議論において一つのキーとなるのが「再帰性(reflexivity)」という
 概念である。再帰性とは、行為主体が自己の行為の結果をモニタリングしながら、
 それを通じて自己のその次の行為をコントロールしていくことを指す

・コーテらは「アイデンティティ資本」という概念を新たに導入している
 彼らによれば、アイデンティティは取引可能なものである。

 アイデンティティ資本には、有形と無形のものがある。
 無形のものは「自我の力量」である

・C.メイらは、ギデンズの議論に対して、アイデンティティ形成において個人の
 主観性が果たす役割を過大評価し、個人が利用することのできる物質的資源や
 物理的環境が課している制約を過小評価していると批判している


●4章 アイデンティティと共同性・コミュニティ

・行為主体をめぐる理論の一つの軸は、アイデンティティに焦点づけられる

・アイデンティティをはじめに本格的に理論化したのは、E.H.エリクソンである。

・コーテらは、青年期のアイデンティティ形成にとってカギになるものとして
 「再帰的引き離し Reflexive distancing」をあげている

・人々が不安に取りつかれることなく日常を生きられるのは、ギデンズによれば
 「存在論的安心感」という保護皮膜によって守られているからである。

 このような保護皮膜は、幼児期に子供が養育者との関係で最初に作りあげる
 「基本的信頼」(エリクソン)に基づいているという

 子供が通常の環境の中で養育者にかける信頼は、実存的不安への
 情緒的予防接種なのである。

・人が時として出会う「運命決定的な時」にはこの保護皮膜が脅かされる。
 その時に、人は「専門家の援助」と「親密な関係性」によって安心=安定を
 回復させることができる


●5章 後期近代の理論と若者たちの現実

・M.デュボア=レーモンは「トレンド創造的学習者」は従来の階級的制約を超える
 可能性を大きくもっているという。彼女が着目しているのは
 「若者文化資本 youth cultural capital」である。

○これ面白い考え方だなー。

 今学生さん達を見ていると、この資本を意識的、無意識的に作っている人たち
 は確かにいるなー。

・ロバーツらは「構造化された個人化 structured individualization」という
 捉え方を示している 

 若者達の移行過程は現象としては個人化され、それに伴い若者たちの意識も
 個人の選択という主観的感覚を強めている。しかし依然として個々人の前に
 開かれた選択肢には明らかに社会構造的制約が強く働いており、その意味では
 移行過程は依然として構造化されているのである。

・この議論を更に発展させたのが、ファーロングらの提起する「認識論的誤謬」
 という概念である。彼らは客観的に見れば依然として1人1人の移行が社会的
 構造によって強く制約されているにも関わらず、1人1人の若者の主観においては
 それがもっぱら個人の選択や努力の結果であるとのみ意識されてしまう。

 このような主観と客観とのかい離こそが、後期近代に根差した認識論的誤謬である

・移行過程は、大きく3つのパターンに分岐していると言えよう

 1)選択的人生経歴
   ‐恵まれた資本を基に、比較的自由な選択を積み重ねる

 2)危機的人生経歴
   ‐資源に恵まれず限られた選択肢しかなく、不安定な状況にとどまる

 3)標準的人生経歴
   −比較的スムーズで直線的な移行を依然としてたどる

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■3部 日本の若者たちの移行過程変容

●6章 二つの移行過程調査

・1)高校卒業者の質的追跡調査 5年間 面接
 2)20歳を対象とした量的調査 4回実施 

・若者の大規模な移行過程変容の始まりが、多くの先進諸国では1980年代からで 
 あったのに対して、日本ではその顕在化が90年代半ば頃からと、10年あまり
 遅れた。

●7章 量的調査での移行のパターン

●8章 質的調査での移行過程概要


●9章 移行過程と学歴・階層

・(2つの調査での)半数に近い若者たちが不安定な移行過程をたどるという状況

・高卒未満の学歴の者たちに不安定な移行パターンをたどっている者が非常に多い

・本人学歴は移行過程の安定度に一定の影響を与えている

・ジェンダー間に明らかな差が認められる


●10章 移行の不安定化・個人化と困難

・安定類型に比べ、不安定類型の若者たちは、職場の中で同僚などと安定した
 関係をもつことができている割合が低い

・不安定類型の若者たちの方が、親との関係においても良好ではない傾向が見られる

・危機的経歴とした若者たちのほとんどが、移行過程の初期の段階で何らかの
 困難に直面している

 1)学校を離れる際 2)就職後初期の段階で職場で

・入職初期の離職

 1年以内に離職 強い自責感情
 1年以上経ってからの離職 職場の問題に強く憤慨

・入職3〜4か月で離職した3人に共通しているのは、はいった職場に話ができる 
 ような歳の近い同僚がおらず、しんどい状態を1人で抱え込んでいたこと

 まさに存在論的安心を脅かされた危機的状況といえる

・存在論的安心まで脅かすアイデンティティの危機に行きつくのは、彼らの中に
 それを過重、不当と判断できるような「常識」(ギデンズ)の枠組みが成立して
 いないからである。

 何が普通で何が普通でないかを判断できる常識がない中で、彼らは要求された
 ことの異常さを判断できないままに、できない自分を責めることになる。

○これはあるだろうなー。俺も1社目がそうだった。

 残業代なし、ガソリン代自分持ち、365日体制・・・

 今思えばおかしいとわかることも当時は「これが普通なんだろう」と思っていた。

 それを分からせるためには、家族や外の人間がいっても聞き入れないケースも
 多いのかも。会社に属し、そこのメンバーが違和感を感じていなければ、一種の
 集団催眠みたいな状態になってしまっているのかも。俺はそうだったなー。

・一方、入職初期の困難を乗り越え働き続けている若者たちに多く見られる特徴は
 一定規模の職場で同期入社の同僚が複数いることや、一定の研修期間が入社時に
 あることだった。

・同僚、同輩関係の支えは、1年程度以上継続就業した上での離職者にも共通する

・入職初期の孤立化が広がっている。こうした孤立化は、自信や自尊感情、
 存在論的安心を脅かすことさえある

 
●11章 ネットワークと社会関係資本

・若者の移行過程の変容と支援のあり方を探る議論において、近年、ネットワーク
 と社会関係資本の役割が注目されている

・社会関係資本に関する理論的起源としては、J.コールマン、R.パットナム、
 P.ブルデューの3人がほぼ共通してあげられる

・社会関係資本は、複数の他者との間に共有された資源であり、関係性そのものが
 生み出す資源であること、そしてその資源は個人が何らかの経済的あるいは
 象徴的な価値を獲得する為の手段となるということ

・ネットワークの表出的機能にかかわっては、N.リンの議論が参考になる

・ネットワークの同質性と異質性にかかわっては、M.グラノヴェターの議論がある

・ポルテスは、社会関係資本のネガティブな機能についても指摘している
 
 下方化圧力的な規範にのる上昇移動や脱出の制限

 若者たちのもつ仲間関係は最低限「なんとかやっていく getting by」資源は
 提供するものの、その緊密なネットワークに閉じ込めることで、ともすると
 「困難から抜け出す getting ahead」ネットワークへの接近を難しくする

・家族以外の年上の大人など、多様で異質な関係を複数持つ 弱い絆の強さ

・高校時代からのつながり「地元ネットワーク」は、道具的機能から見れば
 有力ではないが、表出的機能としては大きな役割を果たしている

・同質の者同士の間に結ばれる強い絆のもつ表出的機能
 
 同輩(Peer)同士の関係 


●12章 行為主体(agency)とアイデンティティ

・A.ファーロングらは、若者たちの主体性の指標として、動機(motivation)
 意欲(drive)戦略的思考(strategic)を用いている

・自己物語の一貫性 強い個人的自我というよりは、それを支えるコミュニティ、
 共同性が見えてくる

・専門学校における疑似職業集団的なコミュニティ

 職場の規模と年齢構成 同期の仲間も含めて一定の人数規模があり、しかも
 歳の近い先輩も多い。

 職場、仕事での自分の成長の目標が見えやすい

・アイデンティティを支えるコミュニティの存在


●まとめ

・移行過程の個人化の進行が、一定部分の若者たちに新たな困難を生んでいる

・1人1人のアイデンティティを支えるという点では、ネットワークではなく、 
 コミュニティが基盤になるということ

・個ではなく、場を強化するという支援モデル


・90年代半ば以降の日本の若者たちの異変も、意識変容よりは、先進諸国共通
 の社会構造変容にある

・移行変容の時代を後期近代と捉え、そのもとで進行する個人化という状況が、
 若者達の直面する客観的かつ主観的な困難の背後にあるという認識は、
 ヨーロッパの研究者の間で共有されている

・構造、主体(structure and agency)論争が日本ではいまのところヨーロッパほど
 に大きなインパクトを与えていないように見える

・日本の若者たちがおかれた状況をグローバルな文脈の中でとらえることは
 今後いっそう重要になる


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企業の錯誤/教育の迷走 〜人材育成の失われた10年

企業の錯誤/教育の迷走 〜人材育成の失われた10年

 青島矢一編

○OJTが機能していたのは「意図せざる整合性」があったから

(・引用/要約 ○関根の独り言)

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●はじめに

・教育、人材育成システムの改革の実態を記述し、その特徴を明らかにすることが
 本書の目的

・改革の実態は「理念なき試行錯誤」「改革の迷走」


●序章 失われた10年と人材育成・教育システムの改革 青島矢一

・バブル崩壊後の景気の長期低迷を「失われた10年」と呼ぶことがある。
 
 (この時期に)バブル期に築いた日本に対する国民の自信や誇りが
 根底から崩れていった。

・もし「日本人の質の低下」が根本原因であるなら、人を教育するシステムが
 機能不全に陥っているに違いない。こうした考えから、国の多様な人材育成
 システム全体にわたって様々な改革が試みられてきたのである。

・グローバリゼーションやIT化といった環境変化に旧来の日本人が対応できない
 という危機感

・「日本の経済社会全体」のマクロの問題を、「人」もしくは「教育・人材育成」
 というミクロの問題に安易に還元してしまった

・以前の学校教育と企業内人材育成システムは「期せずして」整合性を保っていた。
 企業側では、OJTを主体とした教育に依存する一方で、学校教育には具体的な
 実務、応用能力の育成を基めなかった。

・日本の教育システム全体を見ると、義務教育段階での画一的な詰め込み教育を
 助長するような力は、十分に弱められていた。にもかかわらず「ゆとり教育」が
 実施された為、基礎的な学力を学習する場が急激に縮小してしまった。

・90年代の迷走時期、社会で叫ばれた様々な要求にそれぞれ場当たり的に対応した
 結果として、日本の教育システム全体を構成する部分システム間での不整合が
 生じ、その結果として教育システム全体が機能不全を起こし始めた。


●1章 学校教育の迷走 苅谷剛彦

・PISA調査の結果によれば、日本お義務教育を終えたばかりの生徒達の問題解決
 能力は世界でもトップクラス。

 にもかかわらず、日本ではこれまでの教育では、こうした知的能力を育成する
 ことができないという見方が支配的であった。

・本章では1990年代に策定され「生きる力」の育成を目指した「ゆとり」の教育
 が、何故「失敗」に終わったのかを主題とする

・教育の実態を正確につかまないまま、日本の教育は詰め込み教育だと断じられ、
 受験競争が「教育荒廃」の原因であるとのあまりに「常識的」な決め付けが、
 実態把握を怠ることを許したのである。

・校内暴力の発生に関する限り、90年代の教育改革が改善をもたらしたという
 証拠はない

・義務教育レベルで教える内容の削減の影響を受けた生徒が入っていった。
 小中学校で削られた内容は高校で教えることになるから、その分、高校教育の
 負担は大きくなる。

 今や大学レベルでも、基礎学力の足りない学生が増え、補習授業や初年時教育の
 必要性が唱えられている

・大学、短大進学率が50%を超えた時代に、大学教育の「質」の保証が 
 難しくなっているのである。

・2007年には戦後60年ぶりに教育基本法が改正された。

・小学校教育を、知識偏重の詰め込み教育だとみなした判断自体が「誤診」だった
 のではないか

・学校教育の問題だったというよりも、大学教育や企業でのOJTを含めた職業訓練
 が、新たな時代の要請にこたえきれなくなって、その責任を教育制度に転嫁
 しているだけとも見えてくる

・「社会の変化」への対応というマジックワードは、教育を不断の変化にさらす
 力の源泉である

○常に改革せざるを得なくなる


●2章 企業における人材マネジメントの迷走 石川淳

・人材マネジメントの「三種の神器」とは、終身雇用、年功序列、企業内組合の
 ことであり、これらが日本企業の強みの源泉となっているという説である

・長く厳しい不況は、日本企業の多くに自信を喪失させた。

・さんざん試行錯誤を繰り返し、従業員を振り回したあげく何も得られなかった
 という状況。これを本章では、人材マネジメントの迷走と呼ぶ。

・日本企業の人材マネジメントの特徴は「人材の内部化」である。

・人材育成で最も効果があると考えられているOJTを中心に人材を育成する

 OJTとは日常の業務に就きながら行われる教育訓練のことである

・OJTは時間がかかる教育方法であるため、短期的にはコストに見合わない。
 しかし職業能力を高める為には、業務活動を行いながら学んでいくことが
 最も効果的である。

 また業務を効果的に遂行するためには、言葉にできないようなノウハウを
 身につけていくことも必要となる。このようなノウハウを身につけるためには
 OJTが最も効果的である。したがって長期的に見ると、非常に効果的な教育方法 
 であると言える。

○「OJTが(職業能力を高めるためには/言葉にできないようなノウハウを
  身につけるには)最も効果的」なのは何故か。

 ここはもう少し深く掘り下げる必要がある。
 
 「OJTが非常に効果的な教育方法」とならない理由も当然ある。
 (OJTを行う側の問題等)ここももう少し考えてみよう。


・人材を内部化していると、OJTのように、時間はかかるものの、長期的には
 最も効果的な教育を実施することができる。これにより、企業は高い職業能力
 をもった人材をじっくり育成することが可能になるのである。

 このことは逆にいえば、企業は人材の育成に関して、入社前のプロセス、
 つまり学校教育にあまり期待していないということを意味している。

・(研究員がもつ)企業内の人的ネットワークは企業特殊スキルである。

・人材マネジメント研究では、年功給、職能給、職務給、業績給の4つに分けて
 考える

・それまで日本企業の多くが採用していた賃金制度は、職能給であった

・業績給は、賃金額を主として仕事の成果によって決定する賃金制度のこと


・研究者は必ずしも報酬として賃金だけを求めているわけではない。むしろ
 自分の成果がきちんと評価され、フィードバックを受け、なおかつ非金銭的
 報酬ににおいても報いられることを求めているのである

 これは日本企業が本来得意としてきたマネジメントである。

・業績給の導入が図られ、フォーマルにしかも賃金という報酬によって
 フィードバックされることにより、かえって日頃のインフォーマルなフィード
 バックが減少するという現象が生じているのである

・業績給を導入している企業の従業員ほど「若年層の育成に手が回らなくなった」
 と感じている。OJTやインフォーマルなフィードバックが業績給導入によって
 阻害されている実態

・組織として創造性を発揮するためには、部門間統合が重要であると言われており、
 実はこれも日本企業が得意としてきたマネジメントなのである。


・日本企業では職務範囲の境界が曖昧であり、それが日本企業の強みともなって
 いた。しかしMBOを導入すると、自分の目標をきちんと明文化しなければ
 ならなくなる。その時点で職務範囲が明示化されるのである。

・日本企業の多くは、人材マネジメントの導入において、検証なき試行錯誤を
 繰り返してきた。その根底にあるのは横並び意識である。

・個人の業績を検討する際には、4つのタイプのパフォーマンスに言及する必要が
 ある。タスク、コンテクスト、適応、反社会的パフォーマンスの4つ。

 最近の日本企業は、タスクパフォーマンスにこだわるあまり、他の3つの
 パフォーマンスを軽視しているように思われる


●3章 個別教育システム間での不整合 筒井美紀

・企業は人が足りているときは、求職者の能力水準の低さを強調し、人手が
 足りないときは、「入社後の教育訓練で育てる、育つはずだ」という「意欲
 と信念」を強調しがちである。

・資格取得にせよ、ISO対応にせよ、高卒就職者は、認知的スキルの習熟が
 要求されている

・企業の能力要求が厳しくなっているのに、高校側がそれを認識していない

 企業の能力要求に高校生が応えられないため、技能工の大卒代替が生じている

・膨大な大卒労働供給は、職種と学歴のある種の混乱を中小企業に生み出している


●4章 日本企業の品質管理問題と人づくりシステム 加登豊

・品質に関しては、日本企業の大部分がほぼ完ぺきと言える品質の獲得に一度は
 成功し、日本製品は品質問題とはほとんど無縁であった期間を経て、再び深刻な
 問題に直面し始めている

・品質管理の質の低下原因:OJTの機能不全、品質管理教育研修費の削減、
 アウトソーシングの進展、日本的品質管理の逆機能

・OJTは日本企業やドイツのマイスター制度などにおけるユニークな知識、ノウハウ
 の伝達手段だと言われている。優れた能力を有する者から次世代を担う人員が
 自ら学びとる学習方法であるが、これがトレーニングと呼びうるかどうかには
 疑問がある。

 そもそも、OJTが実践の場で、どのように行われてきたか、あるいは行われている
 かについての詳細な記述は、不思議なことだがほとんど存在しない。

・OJTに関する書籍は多いが、学ぶ側の学び方、教える側の教え方、つまりOJT
 実施プログラム、方法に関する体系的記述は少ない。

 このことはOJTが「教育」ではなく、「学習」の仕組みであることをいみじくも
 示している。

 OJTとコーチングやメンタリングを同列に論じる向きもあるが、この両者には
 大きな違いがある。

○ここはちょっとよくわからない。

 OJT=学習の仕組み であり、「教育」ではない
 だから教育者側の視点が強いコーチングやメンタリングとは違う ということ?

 OJTは、職場にいるモデルから「自ら学びとる学習方法」であるから、
 やはり「背中を見て覚えろ」=OJTということ?


・OJTは我が国企業では実にみごとに機能していた。OJT自体が洗練されたシステム
 であるのではなく、それを実施する環境や社会、組織の仕組みやそこで行われる
 創発的な活動の組み合わせが「意図せざる」整合性を生み出し、OJTを機能させた
 と考えるのが妥当である。

・「村としての企業」

・熟達者たちは、若手にとってははるか遠くにいる達人だが、高度成長期には
 安定的な採用が行われたため、がんばれば到達できるかも知れないところに
 将来の熟達者候補である師範代クラスの先輩たちがいる。
 
 若手にとっては、師範代は格好のロールモデルとなる

・OJTはトレーニングではなく、トレイニーが自主的にトレーナーから
 学ぶ仕組みであるから、トレイニーが学ぶ意欲を失ったとたんに
 機能不全を起こすことになる

・バブル経済崩壊後の長期的業績低迷に直面した企業の多くは、短期的なコスト
 削減に踏み切った。新規採用の抑制(中止)と人員削減はともにOJTに甚大な
 影響を与えた。

 トレイニーにとっては、熟達者ははるかかなたの存在であり、そこに到達する
 ために目標となる師範代や師範代候補が中期的、長期的には欠落することに
 なるからである。

 人の連鎖が切れれば、OJTによる知識の連鎖も切断される。

○これが、2000年代に各社が直面していた状況。

 2006年頃から採用を増やしたことにより、20代後半~30代がいない
 「ワイングラス」社員構成となり、そこで「指導員研修」のニーズが顕在化した。
 ベテランあるいは2〜3年目が新卒を指導せざるを得ない状況。

 ここで強調されていたのは、教える側の「教え方、接し方」
 学び手側への働きかけは少なかった。

 ただ、OJT=トレイニーが自主的に学ぶ仕組み と考えると、
 新卒への働きかけも必要になってくる


・自分の将来像を重ね合わせていた人々が、次々と職場を去っていく姿を見れば、
 OJTを通じていかに学習と自己研さんを重ねても仕方ないという諦観が生まれる
 のも致し方がない。OJTはこのようにして破たんしていくのである。

○このあたりのことは、中原先生のブログでも取り上げられている

 「最近、OJT(On the job training)が機能しないのはなぜか?」
  http://www.nakahara-lab.net/blog/2010/02/ojtxtute.html 
 「それを読んで考えさせられたこと」
  http://www.learn-well.com/blogmanabi/2010/03/post_178.html

・外国人労働者の増加も、OJTによる学習に大きな影響を与えた 
 私達が当たり前と思っていることが外国人労働者には当たり前ではない

・2007年問題と呼ばれる知識や技能の伝承に関する問題の芽は、バブル経済
 崩壊時に生まれていたのである

・イノベーションは往々にして、現状否定と既存の思考との決別から生まれる
 改善はその性格上、現状を前提とした活動なので、この種のイノベーションは
 期待できないことになる

 デミングサイクルと呼ばれる経営管理サイクル(PDCA)もPlanの前提を疑わない 
 という点でシングルループ学習であり、計画や行動前提を疑うダブルループ学習
 は起こらない。三現主義とPDCAサイクルが、絶え間ない改善活動を強化するほど、
 イノベーションが生まれないというジレンマに直面

・OJTを通じての「学びの連鎖」の断絶が、品質に及ぼした影響は計り知れない

○OJTが機能していたのは
 「意図せざる整合性」があったから

  −憧れの人が身近にいた 
  −企業の期待にこたえていれば報いてくれるという信頼があった 

    から学ぼうとした。

 それらが無い状況で「仕事を通じた学習=OJT」を生起させるには?

 本章ではOJTを「学び手側」から捉えている

 教え手側から見るとどうなるか

 OJTでTrainingを強調するなら、教え手側の意図や計画性が必要になってくる。
 一般的に言われるOJTの定義に見られるように

 前提としては、教え手が、新人に身につけさせるべき知識や技術を把握している
 必要がある

 最初の1年間ならそれは可能か

 更に考えてみよう
 

●終章 全体観の欠如と個性の罠 青島矢一

・問題は、人材育成システムに対する全体観の欠如にある

・日本の高度成長を支えた教育、人材育成システムは「期せずして」全体としての
 一貫性を保っていた

・高度成長、年功給、低い労働流動性、若い層に対する手厚い社内教育は
 お互いに整合的であった

・個別で場当たり的な改革が、一貫性の崩壊を助長した

・一連の改革の背後に共通して見え隠れしているのが「個性の尊重」や「個の重視」
 といったマジックワードである

・個性の重視といった瞬間に、結局のところ「本人次第」「個の責任」となりやすい

・ゆとり教育は、部分的には「教育の放棄」と捉えられなくもない

・大学教育には、基礎的教育の要求と実務教育の要求が、上下から押し寄せてきた

・「個性の尊重」や「個の責任」といったお題目のもとで、場当たり的な改革を
 行ってきた結果として、補完的な分業構造が崩れ、日本の人材育成システム全体
 としての一貫性が失われた。これが本書が描いた人材育成の「失われた10年」
 のすがたであった。

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