企業の錯誤/教育の迷走 ~人材育成の失われた10年

お薦めの本

企業の錯誤/教育の迷走 ~人材育成の失われた10年
 青島矢一編

○OJTが機能していたのは「意図せざる整合性」があったから

(・引用/要約 ○関根の独り言)
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●はじめに
・教育、人材育成システムの改革の実態を記述し、その特徴を明らかにすることが
 本書の目的
・改革の実態は「理念なき試行錯誤」「改革の迷走」
●序章 失われた10年と人材育成・教育システムの改革 青島矢一
・バブル崩壊後の景気の長期低迷を「失われた10年」と呼ぶことがある。
 
 (この時期に)バブル期に築いた日本に対する国民の自信や誇りが
 根底から崩れていった。
・もし「日本人の質の低下」が根本原因であるなら、人を教育するシステムが
 機能不全に陥っているに違いない。こうした考えから、国の多様な人材育成
 システム全体にわたって様々な改革が試みられてきたのである。
・グローバリゼーションやIT化といった環境変化に旧来の日本人が対応できない
 という危機感
・「日本の経済社会全体」のマクロの問題を、「人」もしくは「教育・人材育成」
 というミクロの問題に安易に還元してしまった
・以前の学校教育と企業内人材育成システムは「期せずして」整合性を保っていた。
 企業側では、OJTを主体とした教育に依存する一方で、学校教育には具体的な
 実務、応用能力の育成を基めなかった。
・日本の教育システム全体を見ると、義務教育段階での画一的な詰め込み教育を
 助長するような力は、十分に弱められていた。にもかかわらず「ゆとり教育」が
 実施された為、基礎的な学力を学習する場が急激に縮小してしまった。
・90年代の迷走時期、社会で叫ばれた様々な要求にそれぞれ場当たり的に対応した
 結果として、日本の教育システム全体を構成する部分システム間での不整合が
 生じ、その結果として教育システム全体が機能不全を起こし始めた。
●1章 学校教育の迷走 苅谷剛彦
・PISA調査の結果によれば、日本お義務教育を終えたばかりの生徒達の問題解決
 能力は世界でもトップクラス。
 にもかかわらず、日本ではこれまでの教育では、こうした知的能力を育成する
 ことができないという見方が支配的であった。
・本章では1990年代に策定され「生きる力」の育成を目指した「ゆとり」の教育
 が、何故「失敗」に終わったのかを主題とする
・教育の実態を正確につかまないまま、日本の教育は詰め込み教育だと断じられ、
 受験競争が「教育荒廃」の原因であるとのあまりに「常識的」な決め付けが、
 実態把握を怠ることを許したのである。
・校内暴力の発生に関する限り、90年代の教育改革が改善をもたらしたという
 証拠はない
・義務教育レベルで教える内容の削減の影響を受けた生徒が入っていった。
 小中学校で削られた内容は高校で教えることになるから、その分、高校教育の
 負担は大きくなる。
 今や大学レベルでも、基礎学力の足りない学生が増え、補習授業や初年時教育の
 必要性が唱えられている
・大学、短大進学率が50%を超えた時代に、大学教育の「質」の保証が 
 難しくなっているのである。
・2007年には戦後60年ぶりに教育基本法が改正された。
・小学校教育を、知識偏重の詰め込み教育だとみなした判断自体が「誤診」だった
 のではないか
・学校教育の問題だったというよりも、大学教育や企業でのOJTを含めた職業訓練
 が、新たな時代の要請にこたえきれなくなって、その責任を教育制度に転嫁
 しているだけとも見えてくる
・「社会の変化」への対応というマジックワードは、教育を不断の変化にさらす
 力の源泉である
○常に改革せざるを得なくなる
●2章 企業における人材マネジメントの迷走 石川淳
・人材マネジメントの「三種の神器」とは、終身雇用、年功序列、企業内組合の
 ことであり、これらが日本企業の強みの源泉となっているという説である
・長く厳しい不況は、日本企業の多くに自信を喪失させた。
・さんざん試行錯誤を繰り返し、従業員を振り回したあげく何も得られなかった
 という状況。これを本章では、人材マネジメントの迷走と呼ぶ。
・日本企業の人材マネジメントの特徴は「人材の内部化」である。
・人材育成で最も効果があると考えられているOJTを中心に人材を育成する
 OJTとは日常の業務に就きながら行われる教育訓練のことである
・OJTは時間がかかる教育方法であるため、短期的にはコストに見合わない。
 しかし職業能力を高める為には、業務活動を行いながら学んでいくことが
 最も効果的である。
 また業務を効果的に遂行するためには、言葉にできないようなノウハウを
 身につけていくことも必要となる。このようなノウハウを身につけるためには
 OJTが最も効果的である。したがって長期的に見ると、非常に効果的な教育方法 
 であると言える。
○「OJTが(職業能力を高めるためには/言葉にできないようなノウハウを
  身につけるには)最も効果的」なのは何故か。
 ここはもう少し深く掘り下げる必要がある。
 
 「OJTが非常に効果的な教育方法」とならない理由も当然ある。
 (OJTを行う側の問題等)ここももう少し考えてみよう。
・人材を内部化していると、OJTのように、時間はかかるものの、長期的には
 最も効果的な教育を実施することができる。これにより、企業は高い職業能力
 をもった人材をじっくり育成することが可能になるのである。
 このことは逆にいえば、企業は人材の育成に関して、入社前のプロセス、
 つまり学校教育にあまり期待していないということを意味している。
・(研究員がもつ)企業内の人的ネットワークは企業特殊スキルである。
・人材マネジメント研究では、年功給、職能給、職務給、業績給の4つに分けて
 考える
・それまで日本企業の多くが採用していた賃金制度は、職能給であった
・業績給は、賃金額を主として仕事の成果によって決定する賃金制度のこと
・研究者は必ずしも報酬として賃金だけを求めているわけではない。むしろ
 自分の成果がきちんと評価され、フィードバックを受け、なおかつ非金銭的
 報酬ににおいても報いられることを求めているのである
 これは日本企業が本来得意としてきたマネジメントである。
・業績給の導入が図られ、フォーマルにしかも賃金という報酬によって
 フィードバックされることにより、かえって日頃のインフォーマルなフィード
 バックが減少するという現象が生じているのである
・業績給を導入している企業の従業員ほど「若年層の育成に手が回らなくなった」
 と感じている。OJTやインフォーマルなフィードバックが業績給導入によって
 阻害されている実態
・組織として創造性を発揮するためには、部門間統合が重要であると言われており、
 実はこれも日本企業が得意としてきたマネジメントなのである。
・日本企業では職務範囲の境界が曖昧であり、それが日本企業の強みともなって
 いた。しかしMBOを導入すると、自分の目標をきちんと明文化しなければ
 ならなくなる。その時点で職務範囲が明示化されるのである。
・日本企業の多くは、人材マネジメントの導入において、検証なき試行錯誤を
 繰り返してきた。その根底にあるのは横並び意識である。
・個人の業績を検討する際には、4つのタイプのパフォーマンスに言及する必要が
 ある。タスク、コンテクスト、適応、反社会的パフォーマンスの4つ。
 最近の日本企業は、タスクパフォーマンスにこだわるあまり、他の3つの
 パフォーマンスを軽視しているように思われる
●3章 個別教育システム間での不整合 筒井美紀
・企業は人が足りているときは、求職者の能力水準の低さを強調し、人手が
 足りないときは、「入社後の教育訓練で育てる、育つはずだ」という「意欲
 と信念」を強調しがちである。
・資格取得にせよ、ISO対応にせよ、高卒就職者は、認知的スキルの習熟が
 要求されている
・企業の能力要求が厳しくなっているのに、高校側がそれを認識していない
 企業の能力要求に高校生が応えられないため、技能工の大卒代替が生じている
・膨大な大卒労働供給は、職種と学歴のある種の混乱を中小企業に生み出している
●4章 日本企業の品質管理問題と人づくりシステム 加登豊
・品質に関しては、日本企業の大部分がほぼ完ぺきと言える品質の獲得に一度は
 成功し、日本製品は品質問題とはほとんど無縁であった期間を経て、再び深刻な
 問題に直面し始めている
・品質管理の質の低下原因:OJTの機能不全、品質管理教育研修費の削減、
 アウトソーシングの進展、日本的品質管理の逆機能
・OJTは日本企業やドイツのマイスター制度などにおけるユニークな知識、ノウハウ
 の伝達手段だと言われている。優れた能力を有する者から次世代を担う人員が
 自ら学びとる学習方法であるが、これがトレーニングと呼びうるかどうかには
 疑問がある。
 そもそも、OJTが実践の場で、どのように行われてきたか、あるいは行われている
 かについての詳細な記述は、不思議なことだがほとんど存在しない。
・OJTに関する書籍は多いが、学ぶ側の学び方、教える側の教え方、つまりOJT
 実施プログラム、方法に関する体系的記述は少ない。
 このことはOJTが「教育」ではなく、「学習」の仕組みであることをいみじくも
 示している。
 OJTとコーチングやメンタリングを同列に論じる向きもあるが、この両者には
 大きな違いがある。
○ここはちょっとよくわからない。
 OJT=学習の仕組み であり、「教育」ではない
 だから教育者側の視点が強いコーチングやメンタリングとは違う ということ?
 OJTは、職場にいるモデルから「自ら学びとる学習方法」であるから、
 やはり「背中を見て覚えろ」=OJTということ?
・OJTは我が国企業では実にみごとに機能していた。OJT自体が洗練されたシステム
 であるのではなく、それを実施する環境や社会、組織の仕組みやそこで行われる
 創発的な活動の組み合わせが「意図せざる」整合性を生み出し、OJTを機能させた
 と考えるのが妥当である。
・「村としての企業」
・熟達者たちは、若手にとってははるか遠くにいる達人だが、高度成長期には
 安定的な採用が行われたため、がんばれば到達できるかも知れないところに
 将来の熟達者候補である師範代クラスの先輩たちがいる。
 
 若手にとっては、師範代は格好のロールモデルとなる
・OJTはトレーニングではなく、トレイニーが自主的にトレーナーから
 学ぶ仕組みであるから、トレイニーが学ぶ意欲を失ったとたんに
 機能不全を起こすことになる
・バブル経済崩壊後の長期的業績低迷に直面した企業の多くは、短期的なコスト
 削減に踏み切った。新規採用の抑制(中止)と人員削減はともにOJTに甚大な
 影響を与えた。
 トレイニーにとっては、熟達者ははるかかなたの存在であり、そこに到達する
 ために目標となる師範代や師範代候補が中期的、長期的には欠落することに
 なるからである。
 人の連鎖が切れれば、OJTによる知識の連鎖も切断される。
○これが、2000年代に各社が直面していた状況。
 2006年頃から採用を増やしたことにより、20代後半~30代がいない
 「ワイングラス」社員構成となり、そこで「指導員研修」のニーズが顕在化した。
 ベテランあるいは2~3年目が新卒を指導せざるを得ない状況。
 ここで強調されていたのは、教える側の「教え方、接し方」
 学び手側への働きかけは少なかった。
 ただ、OJT=トレイニーが自主的に学ぶ仕組み と考えると、
 新卒への働きかけも必要になってくる
・自分の将来像を重ね合わせていた人々が、次々と職場を去っていく姿を見れば、
 OJTを通じていかに学習と自己研さんを重ねても仕方ないという諦観が生まれる
 のも致し方がない。OJTはこのようにして破たんしていくのである。
○このあたりのことは、中原先生のブログでも取り上げられている
 「最近、OJT(On the job training)が機能しないのはなぜか?」
  http://www.nakahara-lab.net/blog/2010/02/ojtxtute.html 
 「それを読んで考えさせられたこと」
  https://www.learn-well.com/blog/2010/03/post_178.html
・外国人労働者の増加も、OJTによる学習に大きな影響を与えた 
 私達が当たり前と思っていることが外国人労働者には当たり前ではない
・2007年問題と呼ばれる知識や技能の伝承に関する問題の芽は、バブル経済
 崩壊時に生まれていたのである
・イノベーションは往々にして、現状否定と既存の思考との決別から生まれる
 改善はその性格上、現状を前提とした活動なので、この種のイノベーションは
 期待できないことになる
 デミングサイクルと呼ばれる経営管理サイクル(PDCA)もPlanの前提を疑わない 
 という点でシングルループ学習であり、計画や行動前提を疑うダブルループ学習
 は起こらない。三現主義とPDCAサイクルが、絶え間ない改善活動を強化するほど、
 イノベーションが生まれないというジレンマに直面
・OJTを通じての「学びの連鎖」の断絶が、品質に及ぼした影響は計り知れない
○OJTが機能していたのは
 「意図せざる整合性」があったから
  -憧れの人が身近にいた 
  -企業の期待にこたえていれば報いてくれるという信頼があった 
    から学ぼうとした。
 それらが無い状況で「仕事を通じた学習=OJT」を生起させるには?
 本章ではOJTを「学び手側」から捉えている
 教え手側から見るとどうなるか
 OJTでTrainingを強調するなら、教え手側の意図や計画性が必要になってくる。
 一般的に言われるOJTの定義に見られるように
 前提としては、教え手が、新人に身につけさせるべき知識や技術を把握している
 必要がある
 最初の1年間ならそれは可能か
 更に考えてみよう
 
●終章 全体観の欠如と個性の罠 青島矢一
・問題は、人材育成システムに対する全体観の欠如にある
・日本の高度成長を支えた教育、人材育成システムは「期せずして」全体としての
 一貫性を保っていた
・高度成長、年功給、低い労働流動性、若い層に対する手厚い社内教育は
 お互いに整合的であった
・個別で場当たり的な改革が、一貫性の崩壊を助長した
・一連の改革の背後に共通して見え隠れしているのが「個性の尊重」や「個の重視」
 といったマジックワードである
・個性の重視といった瞬間に、結局のところ「本人次第」「個の責任」となりやすい
・ゆとり教育は、部分的には「教育の放棄」と捉えられなくもない
・大学教育には、基礎的教育の要求と実務教育の要求が、上下から押し寄せてきた
・「個性の尊重」や「個の責任」といったお題目のもとで、場当たり的な改革を
 行ってきた結果として、補完的な分業構造が崩れ、日本の人材育成システム全体
 としての一貫性が失われた。これが本書が描いた人材育成の「失われた10年」
 のすがたであった。
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投稿者:関根雅泰

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