Reflection研究会に向けて、改めて読んだJ.デューイ関連の本。
 
 (・引用/要約 ○関根の独り言)
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 『学校と社会』
 
 ○有名な実験室学校での経験を基にした話。
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 ・生活の中に含まれている訓練ならびに性格形成の諸要因。
  社会において何事かをなし。
 ・物の役に立つように行動する人間が、行動そのものを通して
  育成され、訓練された。
 ・産業の集中と労働の分業によって、家庭と近隣から有用な仕事が
  なくなってしまった。
 ○家のお手伝いとか、自営での仕事手伝いとかやっぱり大事だよなー。
 ・裁縫や料理といった課業は、子供達の心をいきいきと捉える
 ・このような作業は、子供達の自発的興味を豊かにわきたたせる。
 ・学校を、隔離された場所ではなく、生きた社会生活の純粋な一形態
  たらしめる
 ・学校の悲劇的な弱点は、社会的精神の諸条件がとりわけ欠けている
  環境の中で、社会的秩序の未来の成員を準備することにつとめていること
 ○う~ん、確かに。
  ただ、学校に集めて隔離して教育する以外のやり方、例えばどんなのが
  あるだろう。フリースクール、家での教育・・・。
 ・学校では、一人の子供が他のこどもに課業の上で、助力することは
  一つの罪になっている。
 ○これは確かにそうかも。学業に関しては、教師ー生徒間のみ。
  生徒同士で、学業に関して助け合う側面って少ないのかも。
  社会に出て、ビジネスをするようになると、協力関係を築くことが
  カギになるけど。
 ・学校は、あらゆる訓練の母である経験を得ることが最も難しい場所。
 ・プラトンは、奴隷とは自分の行動において自分の意思ではなくて、
  誰か他人の意思を表現する人間のことだと言っている。
 ・教室の風景は、すべて「ものを聴くために」作られたものである。
  
  ものを聴くという態度は、受動的の態度であり、ものを吸収する
  態度である。
  すなわちそれは、一定の出来合いの教材がそこに存在すること。
  子供はできるだけ最小の時間にできるだけ多量の教材を取り込めば
  よいことを意味している。
 ・子供達を個々のものの集合体としてひとまとめにとりあつかうために、
  すべてがあんばいされている。
 ○言われてみればそうだよなー。
 ・旧教育は、要約すれば、重力の中心が子供達以外にあるという一言に
  尽きる。
 ・学校で利用できる子供の衝動の4種類:
  1)社会的本能 コミュニケーションとりたい 2)構成的衝動 物を作りたい
  3)芸術的衝動
  4)探求? 発見したい
 ・教育学では、言語とは思考を表現する手段と定義される
  
  言語は社会的なものであり、それによって自己の経験を他人に与え
  逆に他人の経験を受け取るための手段である。
 ○言葉を通じて教えあうということかな。
 ・組織の背後に横たわる動機は、経済と能率の増進
 ・ある学科は訓練に役立つものと考えられ、他の学科は教養に
  役立つものと考えられている。根本的な統一が欠けている。
 ・こどもの立場から見て、学校における大きな浪費は、子どもが
  学校のそとで得る経験を学校そのものの内部でじゅうぶんに、
  自由に利用することがさっぱりできないことから生じる。
 ○なるほど、確かにそうかも。
 ・生活からの学校の孤立。
 ・学校というものの現在の不自然な人為的な状態をなにか当然のこと
  ないしは必要のことのように考えることの愚を悟るであろう。
 ・学校と産業生活との間にも有機的な関係が存在すべきである。
  
  だが、それは学校は子どもをなんらかの特定の職業に向かって
  準備すべきでるということを意味するのではない。
  子供の日常生活とその周囲の産業的環境とのあいだに、自然な
  結びつきが存すべきであること。
 ○今行われている「キャリア教育」にこういう観点は必要かも。
 ・現在の社会は、子どもがこれを研究するにはあまりに複雑すぎ、
  かつあまりに近接しすぎている。
  子供はとりつく手がかりを見つけることもできず、ひとわたり
  概観を展望すべき高みへ登ることもできない。
 ○このあたり、何らかの支援を大人たちでできないかなー。
 ○やっぱり刺激的な本。
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 『経験と教育』
  https://www.learn-well.com/blog/2009/05/post_240.html
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 『How We Think』
 
 ○「思考の方法」の原著。Reflective Thinkingの概念を提示。
 ・Reflective thinkingとは、更なる探求の途中に判断を延期すること。
  延期は痛みを伴うもの。?
 ・訓練によって、上手に考えることはできるが、
  訓練によって考えるようにはならない。
 ・本人は売ったと思っても、だれも買っていない。
  本人は教えたと思っても、だれも学んでいない。
 ・Curiosity 好奇心は、ポジティブな知的ちからとなる。
 ・Trainingは、好奇心、提案、探求と実験の習慣の発達につなげるもの。
 ・教育の目標は、注意深く考える習慣を身につけさせること。
 (第5章まで。)
 ○自分の理解不足のせいだけど、難解。
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 『人類の知的資産 デューイ』 鶴見俊輔著 1984年
 
 ○哲学者としてのデューイの足跡。
  著者のデューイへの温かな眼差しを感じる本。
 ・デューイは、常に新しく経験の中から出発して考えるという努力を
  してきた。
 ・デューイは、2つか3つに区分された観念から出発するところから
  疑う。
 ・プラグマティズムを哲学として認める著者(鶴見)の立場からすれば
  フランクリン編の『貧しいリチャードの暦』が哲学であるごとく、
  江戸中期の「いろはがるた」もまた哲学である。
 ・90歳をこえて生きたデューイは、前期(しろうと哲学者)と
  後期プラグマティズムを橋渡しする存在であった。
 ・1895年秋から、シカゴ大学教育学科の実験学校として、大学付属
  小学校を開くことになり、6年半にわたって活動した。
 ・「パムフレッティーア」体系をなす大著はないが、同時代の運動に
  大きな影響を与える小冊子を書く人々。
  デューイは、生涯の終わりまで、パムフレッティーアとして活動。
 ・デューイは、哲学とは経験の意味を議論することだとしている。
 ・デューイ哲学は、やや楽観的な反省的生物学であるといえる。
 ・デューイは、教育を哲学の試金石と考えた。
  教師の仕事は、社会のための生産である。
  
  市民としての活動に入っていくようにすすめるのが、よい教育。
 ・人間にとって生命の連続は、習慣や思想の再生という側面がある。
 ・経験ということが、デューイにとっては教育の根底にある。
  人間の経験の連続が、教育を通して実現される。
 ・生物が環境ととりくみ、行動する中で進化する。その生物進化の中
  で、道具として使いこなされるものに、人間の思想がある。
  思想を道具として、状況の中でいかに使いこなすかが、考え方の
  根本問題だとデューイは思った。
 ・探求とは、現実の状況の中で、今までの考えではうまくゆかないため
  に、状況の一部が疑わしくなり、問題状況となったときにおこる。
 ○このあたりが、ショーンの考え方につながっていったのかな。
 ・デューイは、パース、ジェイムズ、G.H.ミード、ベントリーとの
  共同研究の集大成をした哲学者として読むことがふさわしい。
 ○こういう人達の著作と絡めて読んでいかないと、デューイという人
  の功績はわからないということかな。奥深い。
 ・デューイの特色は、長寿。
 ・デューイ哲学の主題は、探求の論理。
  生きるという行動のなかにつねに探求がある。
 ・デューイは、普通人に近い哲学者。いばらない人。
 ・思いつきは、それをコトバにして、ひとびとに伝え、相手の反応を
  確かめることによって、人々と同じイシを分かち合い、そして
  それが自分を含めてひとびとの生活の中に生きて働きだしたときに
  はじめてチシキとなるのだと、デューイは思った。
 ○この文章、なんかいいなあ。
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