「遊び」の本

お薦めの本

アジア出張中に読んだ「遊び」関連の本。
「遊び」について「真面目」に考える。

(・引用 ○関根の独り言)
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『ホモ・ルーデンス』

○遊びを文化の根幹として論じた本。
・面白さの要素こそが、遊びの本質。
・遊びは、ものを表現するという理想、共同生活をするという
 理想を満足させるものである。
・遊びは自発的な行為であり、緊張と喜びの感情を伴う
 日常生活とは別のものという意識に裏付けられたもの。
・日本語における「遊びではないもの」としての「まじめ」
・遊びで勝った人が世上全般にわたって秀れているというふうに
 誇張される傾向がままあるもの。
○芸能人から政治家へ、というのもその一つかな。
・訴訟とは競技。
・自分こそが第一人者だと証明しようとする衝動。
 知識、学問の競争の世界。遊びとしての闘技的心性。
・「真の詩人は、悲劇的であると同時に喜劇的でなければならぬ」
・ギリシアの知識、科学は、学校などで成長したものではなかった。
 それは市民に対する有用で有益な職業教育の副産物として得られた
 ものではない。
 ギリシア人にとってそれは、自由時間 閑暇 スコレーの結実
 であり、自由人にとっては国家の義務、戦争、祭祀に要求されない
 時間は、すべて自由時間であった。
○暇だからこそのスカラー。
・プラトンにとって、哲学は結局のところ一つの高貴な遊び。
・学問はその本性として論争的なものである。
・閑暇(スコレー)を過ごすために、あることを学び、自らを
 教育していかなければならない。
○暇つぶし=遊び=学問 ってことかな。
 そこが学問(スカラー=暇)の楽しさである反面、
 ビジネス(Busy-ness)の観点から見ると
 「無駄なもの」と見えやすいのかな。
・音楽の形態の多様性の中にこそ、それが本質的に遊びであること
 の証明。
・遊びの規則の違反は、遊びを破壊してしまう。
・19世紀の文化の中では、遊びの因子が大きく後退を遂げている。
・祭祀との関連が現代のスポーツでは失われてしまった。
・遊びはあまりにも真面目になりすぎた。
・「真面目にすべきことは、真面目にやり、真面目でなくても
  よいことは、そうしないでもよいのです。」プラトン
○こう考えると、気楽に思えるね。
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『遊ぶが勝ち』

○侍ハードラー 為末さん
・スポーツの根っこには、楽しさと遊び感覚があるはず。
 自分が競技を続けていくためには、この楽しさを殺してしまっては
 絶対にダメなのだ。
○この楽しさは、ビジネスを続けていくための「ワクワク感」に
 つながるのかも。
 経営の観点で言えば、ワクワクしないけどお金になる仕事は、
 利益確保の面で重要だけど、
 経営を続けていくには、(最初は)お金にならなくても
 ワクワクする仕事がやっぱり大事。
・廃校は、各種の運動ができる立地条件の良い施設ではないか。
○これ面白いなー。アスリートの感覚、知見は埋もれている宝かも。
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『遊びと人間』

○ホイジンガ―を批判的に検証しつつ、
  遊びに「眩暈」という観点を追加。
・遊びは不毛。何も生み出さない。無償性。
・「遊び」の定義
 1)自由 2)隔離 3)未確定 4)非生産的
 5)規則的 6)虚構 ~の活動
・遊びの分類:
 1)競争 2)偶然 3)模擬 4)眩暈
○「眩暈」が遊びって面白いなー。酒を飲むこともそうなのかも。
・遊びには、観衆の存在が必要。
・遊びの安定性は著しい。遊びが重要でないからこそ恒常性をもつ。
・成人儀礼とは、無神論的、不可知論的、否定的な教育である。
 ごまかしの種を明し、片棒を担がせる。
・人が計算通りに動かないところに、遊びの究極の要素が存在する。
・どういう人を立派な遊技者というのか。それは、次のことを
 わかっている人だ。
 不測の事態を、好んで求めたとは言わずとも、進んで受け入れて
 きたのだから、不運に文句を言ったり、不幸を嘆いたりする権利
 は自分にはない、ということの分かっている人である。
 たとえ負けても、自分にとって遊びは遊びだ、という態度の
 とれる人のことだ。
○これかっこいいな~。そうあれたらいいな。
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投稿者:関根雅泰

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