NPO法人 人材育成マネジメント研究会さんの年次大会に参加してきました。
去年も参加して、学びが多かったので、今回も楽しみにしていました。
https://www.learn-well.com/blog/2007/03/post_17.html
午前中は、佛教大学 西之園晴夫教授と、青山学院大学 佐伯 教授の講演。
午後は、分科会でした。
私の理解の範囲で、印象に残った点をお伝えします。
(○は、関根の独り言。)
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1.「変動社会における生涯職能学習
~教える教育から学ぶ教育への転換」
NPO法人 学習開発研究所 代表
佛教大学 西之園晴夫 教授
・1976年 国連決議 無償の高等教育の提供を推進
1979年 日本政府は、「無償では出来ない」と回答
・日本の高等教育の授業料は上がる一方。
・教育費がかかると、子供が減る。
(1999年 厚生労働省 総務省統計局の調査から)
子供を増やしたくない理由の第一位は
「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」というもの。
少子化対策としても、高等教育の無償化あるいは、教育費の負担減は必要。
・大学の全入時代が来るといっても、本当に全入できる訳ではない。
ある程度収入がある家庭の子息は、全入できる。
全入できるかは、学力ではなく、経済力の差。
・一人の教授が、100~200名の学生を相手にできないと採算割れする。
・ヨーロッパでは、難民にトレーニングして、労働力を確保しようとしている。
最下層に学んでもらえるよう国が尽力している。そうしないと、福祉費がかかるから。
○日本における労働力確保の施策は?
まず、難民や外国人を、労働力にしようという発想は出てきづらいだろう。
若者(新卒・中途・フリーター・ニート)→主婦→高齢者→外国人 という順番?
・佛教大学では、「協調自律学習」(自学自習)を実施。
学生が、メンターを中心にマネジメントして、自身を評価もする。
教師がいない学習を志向。
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2.「学習を学び直す ~アンラーンのすすめ~」
青山学院大学 ヒューマンイノベーション研究センター長
佐伯 教授
・子供が、TVやゲームの影響もあり、学ばなくなっている。
お互いが相手の言っていることをきちんと受けて反応しない。
相手の言った事を受け流して、自分の言いたい事を言うのが今風。
いわば「独り言の発信」そのため「匿名の応答」を求める。
これは、今の学校教育の中に、真のコミュニケーションを失わせる何かがあるのでは。
その何かが「勉強主義=教え主義」である。
・勉強主義では、勉強するとは、与えられる事を飲み込む事。
そこにコミュニケーションはない。対話から発想が生まれることがない。
・勉強は、順序だてて、目標行動を一つずつこなしていくもの。
・勉強の副作用として、教師依存がある。
教えてもらえると考える。自分で学ぶことに対する自信を失わせる。
能動的に学べなくなる。
・勉強主義のルーツは、1940~60年代の「行動主義」
教育は、目標行動の達成のための最適化方略である。
(佐伯先生自身も、プログラム学習の信奉者であった。)
・行動主義の弊害として、「個人能力還元主義」「内発的動機づけの欠如」
「わかることより、できること」
その結果、学ぶ意欲の低下、コミュニケーション力の低下がもたらされた。
○行動主義は、「神の掌の上」?
○ここで、質問が出た。
「行動主義と社会構成主義の二者択一ではないのでは」
「行動主義は、個人の学習に有効なのでは」
佐伯先生からは、それでも行動主義の弊害が大きいという回答。
・U.ナイサー「認知心理学」は、「(わかるとは)統合による分析」と提唱した。
まず、全体の意味、大枠をとらえることが、理解する事につながる。
一つ一つの積み重ね(分析による統合=積み上げ主義)でわかっていくわけではない。
「全体理解」が部分理解に先行する。
○まず、全体像を理解させる。
学校の教科書は、積み上げ式。
子供をもつ親の立場としては、何らかの手を打つ必要がある。
きっとそこで、「マインドマップ」の考え方が役に立つ。
・「わかる」のは「個人の頭の中」ではなく、「社会的なもの」
ロシアの心理学者 ヴィゴッキーの社会構成主義
「思考は、社会的な関係で構成されている」
・「学び合い」こそが、本来の学びである。
フィンランドの心理学者 エンゲストローム「活動システム論」
学びは、共同体での営みである。
・「個人能力還元主義」=能力は個人の中に溜め込まれている
という考えが主流だったが、能力は他者と共に営むものという考え方が出てきている。
それが、「正統的周辺参加(LPP)」である。
・正統的周辺参加(LPP)とは、
正統的(Legitimate) ホンモノに触れる、文化と関わる
周辺から(Peripheral) 影響力の少ない仕事から
参加する(Participation) 他者と共に共同体の実践に
LPPの5原則:
1)学習は、教えとは独立の営み 教えられるから学ぶのではない
2)学習は、社会的実践の一部である
3)学習とは、参加である。
4)学習は、アイデンティティーの形成過程である 自分が主人公になっていくという実感
5)学習を動機付けるのは、リアルな現実の実践へのアクセスである。 手ごたえを感じることが大事。
・教師は、知識を分配する立場ではない。 実践の共同体の一員。One of Themである。
○ここで、現役高校教師から質問が出た。
「教師として、One of them的な立ち居地がイメージできない」そうだ。
それは、学校の中しか知らないからか。
佐伯先生からは、「教師も学ぶものの一人という立ち居地でよい」といった回答。
・実践共同体への参加をいざなう「YOU」の存在(共感的他者)が重要。
佐伯先生の「学びのドーナッツ論」
「私の身になってくれる人との出会いから、他人の見になることを学ぶ」
「いざなってくれる人がいないと学べない」 ← ○ここは疑問。本当にそうか?
・人は誰かと共感したいから「学ぶ」
人は何故学ぶのか? 共感するから。
人間は、生まれながらにして、社会的動物であり、共感(他者の気持ちを感じる)できる動物。
○それが、行動主義の学校教育によって、共感の能力が減ってくるのか?
・YOU的他者として、「横並び」のまなざしが大切。教師の接し方として。
相手が「やろうとしている」「見ている」世界に注目する 「共同注視」が重要。
相手が見ているものを見ようとすることができると、「共感」できる。
TVは、この能力を劣らせる。
目線の先を見ることで、相手の気持ちを察する事ができるようになる。
TVでは、中の人物と目線があうことはない。
共同注視する(一緒に同じものを見る)経験が減ると、共感する能力も減る。
・学ぶときは、社会と触れ合いながら。
学び手である I を、THEY(地域・大人)がケアする。
物事の背後にある「未知なるすごい世界」を、共に垣間見ようとする。
・学校教育と社会教育は、分断されるものではない。
社会教育の中に、学校教育が入っているイメージ。
学校には、社会とのつながりを示す必要がある。
○学校と社会のつながり これが自分が今ボランティアでやろうとしていることなのかも。
多様な大人、ホンモノの世界とつながりを持つ大人との接点を、子供たちに持たせたい。
それが、地域で、自分がやりたいこと。
○佐伯先生の話は、勉強になる。刺激になる。
地域での活動の理論的裏づけになる。
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3.「高等教育のあり方を改革する ~情報メディア活用事例を通して~」
立正大学 経済学部 今井賢教授
・大学は、企業側の要請(社会人基礎力、新入社員に求める能力等)を
無視している。
高校は、大学の要請(偏差値等)に合わせている。
・社会人基礎力(経済産業省:受け入れ側からの要請)は、大学で教えられる内容ではない。
学校だけでなく、家庭や地域の影響も大きい。
・経団連が、新卒採用時に重視する要素(コミュニケーション力、チャレンジ精神、主体性等)も
大学で教えるのは難しい。
○では、大学で教えられること、大学を出る事で身につくことは?
この質問に対して、
「その質問に私は答える立場にない。一教員として言えることは、
大学では専門分野を学ぶ。それに付加価値として、自ら学ぶ姿勢、
友人とのコミュニケーション等がつく。」との回答。
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4.「初等教育を担い続ける能力は何か?」
お茶の水女子大学 子供発達教育研究センター 浅川陽子講師
・授業研究の後の振り返りを重視。
言い訳(自評)や、他者への批判(「あのとき、こうすれば・・・」)等はしないようにした。
・自分(教員)以外の目から見た子供たちの姿を見ることができるようになった。
・非効率的だが、全員参加型で対話をする事によって、「経験の言語化」が可能となった。
・どの校種の教師にも必要な資質がある。
それは「混沌から教育課題を救い上げること」「チームで解決する事」だ。
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今回の年次大会でも、様々な学びを得る事が出来ました。
どうもありがとうございました。
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