「制度と文化 組織を動かす見えない力」
佐藤郁哉 山田真茂留 著
○「フィールドワーク」で有名な佐藤先生の本。
(日経新聞で一度お会いした伊藤公一さんが編集を担当)
組織理論の概観がつかめる。
組織を取り巻く環境の影響について深く考えさせられる。
(・引用 ○関根の独り言)
・本書で紹介する組織理論、理論的パースペクティブ(視点)は、
「企業文化論」「組織文化論」「組織アイデンティティー論」
「新制度派組織理論」の4つ。
・組織文化に一定の距離を置くことができた組織メンバーこそが、
組織変革の担い手になっていることが少なくない。
●企業文化論
・1980年代初めに出た3冊の本「セオリーZ」「エクセレント・カンパニー」
「シンボリック・マネージャー」は、企業の成功の秘訣を
強い「企業文化」に求めた。
●組織文化論
・企業文化論ブームが落ち着いて以降、企業文化(Corporate Culture)
という用語だけでなく、より一般的な「組織文化(Organizational Culture)」
という言葉が頻繁に用いられるようになった。
・見慣れてきた風景や慣行などが失われた時、人はようやく自らが当たり前と
していた文化の存在とその力の大きさに気づく。
・現代人のアイデンティティーの拠り所として、所属組織は非常に
重要な位置を占める。
・強い組織文化は常にプラスの効果を発揮するのか
●組織アイデンティティー論
・「わが社らしさ」自分の会社は他社に比べてユニークと思いたい。
・集団的なまとまりや集合的なアイデンティティーの基礎となっているのは
内集団と外集団とを区別する「成員性の認知」それ自体であって、
その他の所要因は本質的なところでは大した意味をもたない。
・1985年にS.アルバートとD.ホウェットンが「組織アイデンティティー論」
を発表。
・共通の価値や信念が先にあるのではなく、共同体の存在がまず先にあって、
そのあとに成員たちによって価値が共有されるというのが典型的なプロセス。
○ビジョナリーカンパニー2にも通ずる? 適切な人をバスに乗せる
・集団的な訓練が大切だという時、そこでは成員間のコミュニケーション
それ自体がものを言うのではなく、むしろ
「同一集団内の他者のスキルに関する知の共有」こそがキーとなっている。
集団的な活動の成否は、単に集団において相互行為の頻度や密度が高く
なっているなどといったことよりも、意味のある情報の交換や共有が
実際にどのくらいなされているかの方に大きくかかっている。
○組織メンバー(集団)で新人を育てるという活動が上手くいくかどうかは、
それぞれのメンバーがどのような知識、スキルをもっているのか、
得意分野は何かといった「知の共有」が、その集団でなされているか
どうかにかかっている。
と、こんな感じでとらえてもよいのか。
●効率性モデル
・唯一絶対正しい「最適解」が存在し、それを見つけた企業こそが生き残る
という考え方が「効率性モデル」
A.チャンドラーが「組織は戦略に従う」という言葉とともに提唱。
●新制度派組織理論
・効率性モデルと真っ向から対立
・合理性や効率性なるものは、社会的な約束事であり、
相対的なモノサシであるにすぎないとする考え方
・N.フリグスタインの著書「企業コントロールの転換」で提唱。
・企業内部の職能部門(製造、販売、財務等)は、学校教育や
社内での実地研修(OJT)などを通して、独自の思考様式を
身につけ、特定の見方をもつようになる。
企業内の各職能集団は「企業全体が直面する問題にとって
何が最も適切でかつ正当な解決策であるか」という問いについて
相互にきわめて異なる信念に基づく別々の答えをもっている。
・企業内のパワーバランスの変化が、企業の戦略と構造に
おける変化を導くと考える。
「組織は、勝者の世界観に従う」
・J.マイヤーとB.ローワンによる論文「制度化された組織-
神話と儀礼としての公式構造」(1977)が、新制度派理論のさきがけ。
・「官僚的組織を典型とする公式組織は、なぜ近代になって
主流の組織形態になったのか?」
それは「それがより効率的な組織形態であると、人々が思いこみ、
神話として共有しているから」だ。
・組織は自らの存在と活動を巧みに「合理化(正当化)」する。
・同じような制度的環境にある組織群の場合には、互いに
酷似したものになる傾向が強い。
「組織は流行に従う」
・私たちは自分がなじんできた社会に特有の「レンズ」越しで
物事を見ることに慣れきってしまっている。
私達が客観的現実だと思っているものそれ自体が実は、
社会的な約束事にすぎないということを強調するのが
「現象学的社会学」や「社会的構築主義」
新制度派理論は上記の考え方に強い影響を受けている。
○「レンズ」越しに物事をみている。
このことを自覚させられたのが、アメリカの大学に留学して、
ウィン先生の文化人類学の授業を受けていた時。
自分が「日本人」というレンズで物事を見ていたことを
痛感させられた。
レンズがボロボロ壊れて、新しいレンズとなっていくような
不安感とワクワク感を感じたことを覚えている。
●社会化過剰の人間観を超えて
・効率性モデルは「社会化過少」の行為者観
新制度派組織理論は「社会化過剰」(制度中毒者)という行為者観
・文化の呪縛からの脱却
一定の距離をとる「役割距離」という現象
DECの事例
○大学を卒業後、最初に入った会社で、DEC社と似たような体験をしたのかも。
「一部上場を目指して、365日働け」という指令がトップからあり、
本当に休みなく働いていた時期があった。
(労働基準監督署がはいったようで、途中で終わった)
今考えれば矛盾も多く馬鹿らしい指示だと思えるが、
そのときは、正しいことと信じ、まさにとりこまれていた。
自分は「一定の距離」をとっていただろうか?
当時から付き合っていた妻には、ばからしさを語っていたかもしれないが。
・組織と戦略というテーマは、きわめて意識的ないし意図的な
意志決定プロセスのように見えるものの背後に、実は
文化や制度の影響がありうることを示す格好の事例。
・文化と制度の起業における個人の役割をあまりにも強調しすぎることは
「偉人史観」が陥ってきた罠に再び陥ることにもつながりかねない。
組織文化論、組織アイデンティティー論、新制度派組織理論の研究に
よって明らかにされてきたのは、これら突出した山の峰となっている
起業家たちの活動それ自体が、実際には無数の人々による協業と
協働のネットワークという稜線の中に埋め込まれ、またより大きな
枠組みの文化や制度の文脈(山脈)の在り方によってかなりの程度
規定されているという事実。
○この本は、一読してすべてを理解できるほどたやすい本ではない。
もっと勉強した後で再読するとまた色々と学びがあるかも。
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