「社会人大学院へ行こう」
山内祐平 中原淳編著
○大学院で学んでいる自分の姿がイメージできる本。
(・引用 ○関根の独り言)
・論文はその研究室に入ったら何ができるかとか、校風とかを一番反映する。
・定期的に研究会があって、学生が自分の研究の進捗状況を発表する。
その成果に対して、皆でディスカッションをして、そのあとで指導教官からの
質疑応答と指導が行われる。
指導教官は厳しい。特に研究の方法論をきちんと踏まえているかを見ている。
・学生さんに議論で打ち負かされることもある。
・厳しいコメントは大学院ならでは。ストレートにものが言い合える。
年の差は関係ない。立場も関係ない。僕は素直に耳を傾ける。
○「素直に耳を傾ける」これができるかどうかが大事だろうな。
自分も、経営者、研修講師、ビジネス本の著者という立場になり
会社員時代と比べ、周囲から「厳しいこと」を言われる機会が
少なくなっているのかも。
大学院では、ケチョンケチョンにやられて、ズーンと落ち込んだり、
プライドを傷つけられて「いや、そんなことは!」と
自己防衛に走りそうになったりするかもしれない。
そこをぐっとこらえて、「素直に耳を傾ける」ことができるかどうか。
そこがカギになるだろう。
「学び上手」を目指す人間としては、きちんとできないとな。
・基本的な論文の輪読などは学部生のうちにやっておいて、大学院に来ると
そういう基礎を押えているという前提の上で、かなり専門性の高い各論に
入っていくことが多い。これが社会人にとってみれば厳しい。
学部生が当然もっている基礎がない分、最初は適応が難しくなる。
○今、東大の中原先生から示されている
「推薦本リスト170冊」が、この基礎にあたるのだろう。
こういう形で見取り図を示して頂いているのはありがたい。
先は長いし、かなり大変だが、ま、なんとかなるべ。
・大学院はやっぱり問題意識をもつことから始まる。
自分の問題意識にあった大学院にいけば、充実した時間が持てる。
○自分が知りたいことは「新入社員の成長を促進する要因は何か?」だ。
それを今研修で関わっている「OJT担当者(先輩社員)」という側面から
調べたい。
・研究計画書では、自分の問題関心はまだ誰も解決したことがない
スゴイ問題なのだ、ということをアピールしなければならない。
それも最先端の研究をしている研究者が読んで納得いくようなものに。
・社会人には実務経験がある。それに対する自負もある。
社会での経験は、生きてきた証であり、
社会人大学院生のオリジナリティーでもある。
だから先生とディスカッションするときは真剣に体当たりする。
・大学院で学んだことの価値は、論文執筆のプロセス。
○自分が大学院で得たいことの一つは、これに近いかも。
知りたいことを明らかにする、研究の仕方そのものを学びたい。
・思わぬ収穫だったのは人脈。ちょっと手伝ってくれへんと声かけできる。
・社会人大学院は、人と知恵のコラボレーションの場。
・子供が成長し、自分の世界を持ち始めた時、母親である自分が子供のこと
だけに注意を集中しているよりも、自分も打ち込める何かがあるといいと思う。
それは子供にとっても救いになると思う。
○確かにそうかも。ま、うちの奥さんなら、大丈夫でしょう。
・研究計画を立て、それを実行し、修士論文を書き上げていく過程では、
知識だけでは十分ではない。
自分が作り上げた原案を発表し、仲間にたたいてもらい、より良いものに
していくという「対話の中で学ぶ」プロセスが必要不可欠。
これは研究者がもともと研究コミュニティーの中で行っていた活動。
○こういう「知の紡ぎ方」が自分もできるようになりたい。
そのためにもアカデミックな世界に入ることはやはり必要。
・大学院を目指す多くの人たちは、心の中に何らかの葛藤をかかえ、それを
解消してくれるものを求めて、学びの場に戻ってくる。
○自分もそうだ!
今のままでは足りない。その危機感が、大学院入学のきっかけかも。
・「問題」の発見は、研究の中でも最も本質的で重要な過程である。
解決すべき問題を見つけることができれば研究の半分は終わっているという
人がいるぐらい。
社会人は働くという現実の中で、そのような「問題」を発見しやすい状況に
いるのだろう。
・学問体系は長い時間をかけて、多くの研究者が力を合わせてつくりあげてきた
巨大な知的構成体である。それは現実の自然や社会に対象領域をもちながらも、
独自の論理をもち、独自の言語体系をもった巨大な生き物のような存在。
・大学院に来て学びたいという社会人は、現実の「経験」を「理論」によって
超えたいと願っている。そういう人たちにとって理論や研究は一種の魔法の
ように見える。
しかし、現実にたどりついてみれば、ほとんどの場合そのような万能薬の
ような解はなく、そこには解を作るための道具や材料があるだけなのである。
○それでも、いや、それだからこそ、自分は大学院に行く。
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