長岡健教授「ダイアローグチェンジ~対話による人材育成の可能性と課題」を受講しました。

企業内教育担当者向け

09年7月30日(木)18時30分~21時30分
慶應MCC「ラーニングイノベーション論」セッション8 
産業能率大学 長岡健教授
「ダイアローグチェンジ~対話による人材育成の可能性と課題」を受講しました。
セッション内では、正直「モヤモヤ感」が残ったのですが、
あとからボディーブローのように効いてきています。

(・講演内容  ○関根の独り言)
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●コミュニケーション
・2つのコミュニケーション観がある
 1)情報伝達としてのコミュニケーション
 2)相互理解としてのコミュニケーション
・その場にいなくてもコミュニケーションがとれる
 例)セッションを欠席したのは、講師が嫌いだからと、考えてしまう
・We cannot not communication. コミュニケーションしないでいることはできない。
・対話は、おしゃべりではなく、議論でもなく、合意形成でもない
・対話についての素朴な疑問(書籍「ダイアローグ」を読んだ経営学者から)
1)対話は「人材育成にどう関係するのか?」
2)対話は「生産性向上に貢献するのか?」
3)対話は「何をチェンジするのか?」
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●対話は「人材育成にどう関係するのか?」
・その人が、学習を「何」と捉えるかが、対話の異なる側面を映し出す。
・4つの意味での「学習」
1)「知識習得」としての学習 2)「熟達化」としての学習
3)「学習棄却」としての学習 4)「組織学習」としての学習
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1)「知識習得」としての学習
・人がものごとを理解しようとする際の、2つの思考形式がある
「論理実証モード」 paradigmatic mode
「物語モード」 narrative mode
・対話は、物語という形式の知に注目したもの。
○対話をすると、その相手の「物語」が見えてくる?
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2)「熟達化」としての学習
・熟達者の二類型
 「定型的熟達者 routine expert」「適応的熟達者 adaptive expert」
・ビジネスで求められているのは、適応的熟達者
・適応的熟達者を考える際に役立つのが、
 Reflective Practitioner(省察的実務家)という考え方。
・「行為の中での省察 reflection in action」
 解決すべき問題を適切に設定し、即興で対応ができる人
・対話を通じ、その場にふさわしい問題設定を共同で意味づけていく
○周囲と対話をしながら「今解決すべき問題は、これだよね」と合意をとっていく?
・省察的実務家は「突貫工事のエキスパート」になる危険性もある
 長い視点で考えることが苦手。今目の前の問題をさばいていく。
 「行為についての省察 reflection on action」が苦手。
 自分がやったことが正しかったのかふり返れない。
○日々仕事に追われると、こういう状態になるのかも。
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3)「学習棄却」としての学習
・「経験学習」における「省察」は、1人で考えても難しい。
 そこで、対話が役に立つ。
・ただ、Managerialism(経営主義的)が生み出す問題もある
 いくらふり返っても、省察しても意味がない。
 対話が「慣習の強化」につながる可能性もある。
 「俺たち、がんばったよねー」とお互いを肯定しあうのみ。
・「強制される自由な対話」のジレンマ →「燃え尽き症候群」
○N社での「対話集会」は?
・対話的な省察のモードは、3つある
(1)手段探求モード(instrumental mode)~上手く出来たか?
(2)目的合意モード(consensual mode)~問題設定そのものが正しかったのか?
(3)背景批判モード(critical mode)~何故そう考えたのか?
背景批判モードを実現しないと、省察の意味がない。
・批判的思考による「学習棄却」
 普段無意識にとっている自分の行動、考え方を自覚し、自らの置かれた状況を
 無批判に“当たり前”とみなす自分自身を“批判的”にふり返る。
・批判的思考による学習の意味
 自分自身の状況を“批判的”に省察することを通じて、硬直化した
 思考様式、行動様式を解きほぐす
 学習棄却(Unlearn 学びほぐし)としての「学習」
○他者ではなく、自分を批判的にみることで、学習棄却ができる。
○今回「脱研修屋しない宣言」を通して、研修講師としての自分を
 批判的にふり返ってみようとした。
 
 でも「学習棄却」はできていないのかも。
 
 講師としての自分を否定せずに、結局、講師としての自分に戻ってきた。
 自己防衛しただけなのか?
 俺は、学べているのか?
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4)「組織学習」としての学習
・文化の操作可能性
(1)情報工学的な文化観~組織文化はトップダウン式で操作可能である。
○「理念浸透」という考え方の前提かな?
(2)社会構成主義的な文化感~組織文化は1人1人の日常に根差す
   トップダウンで、組織文化を操作できない。対話による地道な意味づけ
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●「対話」という多面体
・「知識習得」を意識した対話 ~論理から物語へ
・「熟達化」を意識した対話 ~問題解決から問題発見へ
・「学習棄却」を意識した対話 ~合意形成から異質表出へ
・「組織学習」を意識した対話 ~受動的反応から主体的参画へ
○自分なりの言葉でまとめると・・・
 対話を通して
  -その人の物語がわかる(物語という形式の知識を習得できる)
  -やったことそのものをふり返る(行為についての省察)ことで
   「突貫工事のエキスパート」にならずにすむ
  -批判的思考で、凝り固まったものの見方を、学びほぐす
 
  -暗黙知である「わかちもたれた知」を獲得できる
 対話により「物語という知識習得」「問題発見」「異質表出」「主体的参画」を
 促せる。それが「人材育成」につながってくる。
 ・・・という理解でいいのか?
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●対話は「生産性向上に貢献するのか?」
・「そもそも“自立した個人”なんか増えたら、企業はかえってやりにくいのでは
・経営学の視座=企業の視座に立って、要は儲かるかを考える
 経済学の視座=市場を介した企業と家計の交換および
        政府による再分配をマクロにみる
 家政学の視座=家計の視座
・人的資源管理は、経営学の視座
 
 経営者は、学習者に、OJT&Off-JTを提供
 学習者は、経営者に、生産性の向上を提供
・人材育成=生産性向上に資する学び
 つまり、企業にとって望ましい方向への学び・成長=人材育成である
 
 企業にとって望ましくない方向への学び・成長は=人材育成ではない。
 人材育成は、「大人の」学び・成長とは、イコールではない
○企業にとって望ましくない方向への学び・成長とは何か?
 例えば、「独立起業」や「手抜き?」
 企業にいて、仕事を学び、何らかのきっかけで独立し、起業する。
 それは、本人にとっては「学び・成長」であるが、
 多くの場合、人員が減ることから、企業にとっては「損失」となる。
 俺が、前いた研修会社を辞め、研修業界で独立したのも、同じだ。
 会社から見れば、正直「裏切り者」だろう。
 俺個人は、学び、成長できたとしても。
 
 独立起業できる人材は「(その企業から)自立した個人」と考えることができる
 そういう独立起業予備軍のような「自立した個人」ばかりだと、
 特定企業(リクルート、外資系企業、コンサル会社)以外の一般的な日本企業だと
 確かにやりづらいかも。
 あるコンサルタントの方が言っていた「猛獣使い」という様相を呈すだろうな。
・「大人の学び・成長」を生産性向上へ誘導する必要性がある
○本人の学び・成長と、企業側が提供してくれる機会(仕事、職場、環境)
 との折り合いになるのかも。
○「大人の学び」とは? 
 「企業にとって望ましい方向への学び」
 これは、他者(企業)が評価する。
 その人が学んでいることが、望ましいものなのかどうか。
 「大人の学び」は、本人が評価する。
 他者から見て(ある基準に照らし合わせて)学んでいないように見える人でも、
 本人の基準から見れば学んでいることもあるかもしれない。
 (何の努力もしていない人は、別かもしれないが)
・学びのサードプレース
 1)フォーマル(形式だった)でパブリックな「学び」=経験を通じた熟達化
 2)フォーマルでプライベートな「学び」=企業内研修
 3)インフォーマルでプライベートな「学び」=自己啓発
 4)インフォーマルでパブリックな「学び」=対話を通じた学びほぐし(3rd place)
○3)4)はなんとなくわかるけど、1)2)が何故その位置なのか、
 自分自身の理解不足で、よくわかっていない。1)2)が逆? 
 より深く理解しないと。
○学びのサードプレースは、企業外の場が多いのか。
 リクルートエージェントの「ちえや」のような活動は?
http://japan.zdnet.com/sp/feature/09company/story/0,3800092607,20395872,00.htm
・ゆったりリラックスした状態で、リフレクション(省察)を行うのが、
 サードプレース。この場だと「いい対話」は、10回に1回しか起こらないかも。
 その冗長性に耐えられるか。
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●対話は「何をチェンジするのか?」
・Learning-shapeのチェンジへ
 社会構成主義的学習論 対話による学び・成長
・人を成長させる、育成するという視座ではなく、自分が学んでいるかという視座
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●グループ討議
・競合会社が集まる場(衣料業界における原宿)も対話が生まれるのかも
・対話は、若い世代が求めているのかも。
・相手を信じていないと、対話はできない
・営業会社は、人に知識がたまる
○忙しい相手と、対話の時間をとることが大変。
 相手にも対話するメリットがないと、本人としては、語らせられるだけ?
 それだと、そもそも対話ではないかな?
 そう考えると、対話ができるのは、ある程度「レベル」が近い方がいいのか?
・対話そのものが楽しい。企業から強制的に対話を促されるのは違和感。
・対話しづらい職場もある。
・「節目研修」で、対話する場を作っている。
・「モヤモヤ感」が嫌いな人は、突貫工事のエキスパートになる。
 これを楽しめるのが研究者。(長岡先生)
 研究者は、常にモヤモヤしている。
○考え続ける状態を作る。これが「モヤモヤ感」の意義なのかも。
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(長岡先生、中原先生、
 参加者の皆さん、事務局の皆さん、ありがとうございました!)

投稿者:関根雅泰

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