「デジタルメディア社会」
水越 伸
○メディアがこれからどう変わっていくのか。
なんとなく見えてくる。
(・引用/要約 ○関根の独り言)
●メディアの未来の歴史
・メディアに表彰された未来のイメージが現実を統率。
○人が思ったことが、現実になる。
無意識にそこに近づけようとする?
・メディアは社会的生成物である。
・電信というメディアが、鉄道などと相関しながら、
近代日本国家そのものの外骨格を確立していったのである。
・デジタルメディアは、新しい情報技術によって突然日本社会に
現れたのではなく、およそ100年前に現れた電気メディアと社会の
相互作用の歴史の延長線上に位置づけられるべきものである。
・プラトンが文字メディアリテラシーを進めたことへのすさまじい反発が、
当時のギリシャ社会に渦巻いていた。
・マスメディアは、インターネットという新しいメディアに対する違和感と、
排除の論理を働かせている。
●遊具としてのメディア
・無線少年のビジョンであるリアルタイムでインタラクティブな
ネットワークを形成し、それによって民主主義を発展させていこうというのは、
インターネットと同じ。
○その後、無線ラジオはマスメディア化していき、またミニコミ化もしている。
そのような道をインターネットもたどるのか。
少数の大資本が、ネットメディアを支配し、その影で小さなメディアがある?
・メディアと人間の関係の基層には、遊びという営みが介在している。
・ホイジンガは、遊びを文化や社会の根幹をなす重要な活動と位置づけた。
・鶴見は、marginal art 限界(周縁)芸術という考え方を、
純粋芸術、大衆芸術と比較して提唱した。
・岩井俊雄は、限界芸術から始まり、常に人間の身体から出発して、
アート作品を生みだしている。
・デジタル情報技術の進展は、市場原理という「神の摂理」に任せたところで、
コミュニケーション空間の多様性を保障はしない。
私たち自身が主体的に動かないと。
●メディアリテラシーと人間像の転回
・メディアリテラシーとは、人間がメディアに媒介された情報を、
送り手によって構成されたものとして批判的に受容し、解釈すると同時に、
自らの思想や意見、感じていることなどをメディアによって構成的に表現し、
コミュニケーションの回路を生み出していくという複合的な能力のこと。
○「批判的な受け手と能動的な送り手」になれる能力?
・メディア使用能力、メディア受容能力、メディア表現能力の3つが
複合的にからみあって、メディアリテラシーを構成。
・明治政府が近代学校教育制度を定めた際、そのモデルとしたのが、
軍隊教育であった。教師はあらゆることに精通し、つねに正しい判断を
下す聖者のように位置づけられた。
この教師主導の教育スタイルが、現在に引き継がれている。
○変えていく必要があるよなー。その試みの一つが協調学習か。
・メディアリテラシーをめぐる実践を、既存の学校という枠組みだけでなく、
その担い手を、マスメディアや地域活動など、多極化させていく必要がある。
・メディアリテラシー論は、新しい人間像(批判的聴衆でもあり能動的な
表現者でもある)を提示してくれている。
●新しいメディア表現者たちとジャーナリズム
・ビデオジャーナリズムは、良質な文化人類学者がフィールドワークに
カメラを持ち込むような活動をする。
・既存のテレビ報道の論理は「よいTV映像とは、非日常的なドラマのような、
あるいは絵のようにきれいな映像」これに従って情報が選択、加工される。
・新聞や雑誌は、最終的には紙の束という物質になることで、言論表現の
独立を維持してきた。
・伝統的なマスメディア事業体と、デジタルの文化は基本的に相性が悪い。
・ジャーナリストは、どこの会社に属しているかということよりも、
個人の能力の方が大事。日本では違う。
●アジアに越境するメディア
・「アジア」という概念は、オクシデンタリズムに対する
オリエンタリズムの中で生み出された政治的な言葉。
「アジア」は、ヨーロッパ文化の外部に周縁として位置づけられ、
帝国主義的な排除と支配の対象になることによって、ヨーロッパ文化の
アイデンティティーを確立するという役割をふられてきた。
・日本社会の「中心」にいる、男性、大都市近郊居住、大組織に属する人は、
マスメディアが提供する情報にどっぷり浸って生きていればよい。
「周縁」にいる、外国人、女性、地方居住者、高齢者は、
そうした情報に違和感を感じざるを得ない。
・アジアのテレビ、映画、音楽の前に、乱暴に身体をさらしてみる
ということが重要になってくる。
○メディア、情報に関して、まとめて本を読んできたが、
キーワードは「身体」なのかも。
生身の身体を基盤にして、物事を考える。
頭の中だけでは考えない。身体で感じることが大事。
・地域のマスメディアは、全国的マスメディアの小型版であることをやめ、
多様な市民の表現とコミュニケーションの広場を目指すことも一つの未来像。
メディアビオトープそのものになっていく。
・小さな物語を支え発展させていく。
●デジタルメディアと公共圏
・デジタル情報化によって、人々は複合的なメディアリテラシーを
身につけないまま、サイバースペースに泳ぎ出すことになっている。
・耐えざる技術革新とバージョンアップにより、メディアと自分達との
関係性を常に意識せざるを得ない状況
・経済格差は、情報格差、メディアリテラシーの有無に色濃く反映している。
・インターネットのマスメディア化
・インターネットはテレビの進化形という見方もある。
・表現への欲望と新たな共感が、自律的な公共圏を生み出す際の要件。
●メディア表現、学びとリテラシー
・国民メディア文化が崩壊し、アメリカ的なグローバルメディア文化が
流入する。これと並行し、一般市民によるメディア表現活動が進展する。
・メディアのあり方に主体的に関わっていく責任がある。
○いきなり大きなこと、あれもこれもできない。
まず自分にできることとして、町の良さを発信するブログを続けていこう。
これを種にほかの人との結びつきができるはず。
「小さな物語」を大事にしていこう。
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