わざ言語 感覚の共有を通しての「学び」へ

お薦めの本

わざ言語 感覚の共有を通しての「学び」へ 2011年
 生田久美子 北村勝朗 編著

○言葉では説明しにくいことを、
 それでも伝えようとする「わざ言語」

===
(・引用/要約 ○関根の独り言)
●第1部「わざ言語」の理論
・「わざ言語」 The Language of Craft
・「わざ」の伝承は、指導者が持つある種の身体感覚を
 「わざ言語」を媒介として、学習者が身体的に感得し
 共有していく過程
・「わざ言語」の3つの役割:
 1)Task(課題活動)を指示する
 2)TaskとAchievement(達成状態)の橋渡しをする
 3)Achievementの感覚を学習者が探っていくよう誘う
・「獲得する」という行為と
 「到達した」という状態は、論理的に異なる事柄。
・Taskは「方法の学び」Learning how to do
 Achievementは「状態の学び」Learning to do or to be
・到達状態(そうなってしまった)についての感覚の共有
 を促すために「わざ言語」が使用されている
・適応的熟達者(Adaptive expert)と
 手際のよい熟達者(Routine expert)
・無我夢中で没頭して自分の最高の状態を体験する
 熟達者は多い。 フロー(Flow)
・フロー体験とは全く逆の体験としての、期待や押しつけ
 による強制的な指導による学びの体験
・言語化されない知「暗黙知」Tacit knowledge
・「膝をふわっと使う」という表現は、感覚を表現した
 ものであり「わざ言語」と考えられる。
・暗黙知を共有するためには、共有を目指す者の間で
 非常に密接な関係性を構築するべき。
・わざの継承の場面に言葉が登場しない訳ではない。
 というよりもむしろ、様々な言葉が巧みに用いられ、
 学びにおいて重要な役割を果たしている。
・「わざ言語」は、継承において体現するイメージを
 効果的に伝える役割を果たしている。
・弟子を丸暗記に誘い込み、思考を停止させる危険性の
 回避のために「文字知」が拒まれたと言える。
 いかに「考える人」を育てるか。「文字知」の拒否は、
 弟子に思考を促す工夫として理解できる。
・「師匠の思考を思考する」
 「師匠から技を学ぶには、まず自分勝手に考えることを
  やめなくてはならない」
○今の自分には師匠を超える力は無い
・「師弟関係そのもの」が模倣の対象
・師匠の呼吸に慣れた何かの拍子に、師匠の言葉の真意が
 わかると言う。この「呼吸の体得」は生田が徒弟制度の
 教育的意義の一つにあげるものである。
・ある程度の習熟に達した弟子の学びにおいてのみ
 「文字知」が有効であると考えている。
・経験の蓄積のあとに言葉が機能する
・生田は、師弟が生活を共にする学びの状況を
 「世界への潜入」と呼ぶ。
・言葉が手掛かりにして学びを進め、その言葉を
 手放すことで更に学びを深めていく。
・経験を重ねていくうちに、言葉の意味を身体で
 思い当たるようになる。
○研修講師としての「わざ言語」には何があるか?
・助産師の学びの特徴は、学習者が実践の場に
 「身を置く」ことにある。
・暗黙知 言えないけれども知っているという知
 明示的知識(Explicit knowledge)と対照的。
・学生の学びは、看護実践に正統的に「参加」している
 ということが大きいと言える。
 学習者が動機づけられるのは、本人の自己決定の問題
 以上に「実践の共同体が当人らしい参加をうけ入れて
 くれること、当人の参加をより正統的なものにして
 くれるという実感」
○これはそうだろうなー。
・学生は、看護師の「時間感覚」に驚くという。
 動きあるいは歩く速さがかなり違うのである。
・「美しい所作には無駄が無い」
・ナイチンゲール曰く「病気は回復過程であり、患者が
 自然治癒力を発揮できるよういたずらな体力の消耗を
 防ぐようにすることが看護である」
・わざ言語としての「例示」や「提示」を通じた対話が
 重要であり、その意味において感覚の共有が重要となる
・「のぞましい学習者の行動」というのは、病気に
 かかった時に現れる症状のようなものであり、それ自体
 を「目標」とするべきではない。
・わざを「傾向性」と見なす立場に立つと、
 外から「与える」ことは本来不可能なはず。
・宮台真司は、学びの動機付けとして「競争動機」
 「理解動機」「感染動機(特定の人物にほれ込み、自分
 もそういう人になってみたいと感染してひきこまれる)
 をあげている。
・助産所でわざが「伝わる」のは、特定の技能や知識が
 伝授されるというより、熟練者の「ありよう」全体に
 「感染」するのであり、いわば真性の「患者」になる
 こととしか言いようがない。
○これ面白いなー。確かにそうかも。その人にほれ込み、
 近くにいて、だんだん感染していく。
・「わざ」の獲得は、「伝達されて」獲得されるのでは
 なく、まさに「感染」によって「伝わってしまう」
●第二部 「わざ言語」の実践
・真の意味で「役になりきる」ためには、その前の段階で
 先輩達から受けた「教え」の1つ1つを大事にすることが
 肝要。
・「役になりきれ」とは言えるが、その方法については
 書けない。
・日常の積み重ねの中で曲を作る。日々の過ごし方が
 演奏にも影響する。
・「基礎的な仕方」を教えるならマニュアルは有効。
・パフォーマンスを毎回、同じことをどんな場面でも
 できるという再現性が凄かった。
・競技で培ってきた自分自身の感覚にこだわりすぎない
 というのが、まずは指導者になるにあたって大事なこと
・理論の勉強会の後に「!」(あ、そうかと思えたこと)
 「?」(よくわからなかった)を使ってレポートを
 書かせる。
・コーチは選手の中に生じる自動化との戦い。
 自動化して意識しなくてもできることになるから、
 狂ったときに自分がどうやっていたか分からない。
・産婆の徒弟制の話は、なろうと思っているわけでも
 ないけれども、産婆の能力がいつのまにか自然に
 娘に引き継がれていくような状況。
・「仲間になる」「ほれる」「腹をくくる」
・助産所に入った時から「あ、すてきなおうちね」と
 そういう感覚からもう始まっている。
○うちは、子供3人とも助産所だったけど、確かにそんな
 雰囲気だった。暖かい居心地の良い家という感じ。
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投稿者:関根雅泰

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