日本の職業教育―比較と移行の視点に基づく職業教育学

お薦めの本

日本の職業教育―比較と移行の視点に基づく職業教育学
寺田 盛紀 著 2011年

○企業内教育の変遷が良くわかる
 (ドイツの職業教育との比較)

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・1998年 大卒就職者が高卒就職者を上回った
・高卒求人の低下につれて、
 大卒以上に高卒「無業者率」が増大
・学校が就職オリエンテーションと就職あっせんを行う
  のが就職の日本的メカニズム
●第9章 企業における人間形成と教育
     -OJTの職業教育学的検討
・企業内教育について、労働経済学、経営学、産業心理学、
  産業社会学だけでなく、教育学方面からのアプローチ
  も必要
・労働省職業能力開発局『民間教育訓練実態調査報告書』1986 p3  
 によるOTJの定義
「就業中に上司や先輩が部下に対して種々の教育的配慮を加えつつ
 その仕事に必要な知識・技能を習得させる教育訓練」
・OJTは職場ないし職務に即した教育訓練
・OJTは1940年代以降の管理・監督者に対するアメリカ式定型集合
 訓練(CCS、MTP、TWI、JST)の普及後、1960年代に一般従業員の
 教育訓練様式として、企業内教育体系整備の中に位置づけられた。
 OJTが制度化された理由として、
 1)米国製OffJTに対する批判
 2)イノベーションに好都合
 3)新規学卒者の一括定期採用による教育ニーズ
 4)終身雇用により、企業内での子飼い養成を志向しやすい
 5)反知性(理論)主義 などによる
・1970年代以降 内部労働市場論の登場により、OJTは理論的に補強される
  ことになる。
 労働市場の内部化の為には、高学歴者の採用と企業内教育訓練の整備が
  成立条件となり、経済的優位にたっていた日本をその典型的な国として
  内部労働市場論者が評価。
・1980年代後半には、「脱OJT」「OJTからOFFJTへ」と主張され始めた。
 ホワイトカラーないし技術者層の人材開発戦略としてOFFJTが位置づけ
*参考 https://twitter.com/nakaharajun/status/278696025307369472
 企業内教育の振り子(Moving Pendulum) :
 
 1940年代、戦後、国策として米国式定型トレーニングが輸入。
 1960年代、高度経済成長下においてOJTが人事制度として
      本格的に制度化。#nakaharalab
 1980年代、脱OJT論、MBA教育の隆盛。
 1990年代、ポストバブル期、OFF-JT・OJTの衰退。
 2000年代中盤以降、OJTルネッサンス。#nakaharalab
・OJTの教育方法
 定型訓練に含まれる部下育成の技法は、ほぼ例外なく、ヘルバルト学派の
  段階教授法を基に、1910年代以降第二次大戦にかけてアメリカで開発
  された職業分析(Trade and Job Analysis)による課程編成を通じて
  確立された。
・1948年に導入されたTTT(Teaching Teachers to Teach)方は、ヘルバルト
  学派チラーの分析、総合、連合、系統、方法という5段階教授法に対応
  させて、準備、提示、応用、試験、討議批評という5段階を定めている
・TWIは、ヘルバルトの明瞭、連合、系統、方法という4段階教授法と
  職業分析を通じて、アレンにより具体化されたもの。
・TWI、JIによるOJTの教育方法
 1)習う準備をさせる(課題の提示)
 2)作業を説明する(説明、演示)
 3)やらせてみる(間違い直し)
 4)教えた後を見る
・1960年代後半以降、企業で集中的に行われたOJTの問題点
 1)上司が常に良き指導者とは限らない
 2)計画的訓練が難しい
 3)業務遂行と訓練実施の両立が難しい
・OJTをいかに系統的に編成するか、カリキュラム化するかが、
  企業内教育の課題
・若者の早期離職 大卒者は近年40%に近付いてきており、筆者は
 「7.5・4現象」と呼んでいる。
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投稿者:関根雅泰

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