○クーンを「科学殺人事件」の容疑者として、弁護していくという流れが面白い!どんどん読み進められた。「科学革命の構造」を読む前に読んで、ほんと良かった!
『パラダイムとは何か』野家(2008)
・パラダイムは、日常語としては「物の見方」ないしは「考え方の枠組み」という意味で使われている。
・クーンのパラダイム論は、科学から「合理性」と「客観性」を奪い去り、「真理」の唯一性を否定する相対主義あるいは非合理主義だとする非難が守旧派の科学哲学者から浴びせられている。
・クーンは、フィールドワークを行う文化人類学者の目をもって、現場の科学者たちの行動様式を眺める機会を持った。
・必要以上に理想化され聖化されてきた「科学」に対して「王様は裸だ!」と叫んだのがクーン。
・これまで科学を飾ってきた「客観的心理」「数学的合理性」「連続的進歩」といったプラスイメージをクーンが根底から打ち壊した。
・「知識」から「科学」への道程こそ、近代科学の成立過程に他ならない
・16~17世紀に起こった「大文字の科学革命」は、古代、中世的コスモスの大規模な解体過程であった。
・「思考の帽子 thinking cap」のかぶり替え
・科学のアイデンティティは、歴史観としての「進歩主義」の普及、科学方法論としての「仮説演繹法」の整備、大衆化された「科学的決定論」のイデオロギーを通じて、19世紀後半に確立される。
・科学者という言葉を造語したヒューエルが、クーンによって殺害される「科学」のイメージを形づくった張本人。
・「ホイッグ史観」こそ、クーンが打倒すべき目標とした科学史叙述の旧パラダイムを象徴。
・パラダイムを異にする者どうしの「通訳不可能 incommensurable」な論争。
・クーンの著作は「統一科学」運動の足元を掘り崩し、論理実証主義の科学観を完膚なきまでに破砕することになった。
・科学的あるとは、なかんずく客観的で偏見を持たないということ。
・クーンの科学観:前科学→パラダイムの形成→通常科学→変則事例の出現→危機→科学革命→新パラダイムの形成→通常科学という一連のサイクルをくりかえす。
・時代に先駆けた天才の悲劇が、しばしば科学史のエピソードを飾るのも、異常科学の才能を持った科学者が、折あしく通常科学の時期に生まれ合わせたという理由によるものであろう。
・異なるパラダイム間の論争は、最終的には「哲学論争」にほかならず、多くの場合、それは「すれ違い」に終わらざるをえない。
・物理学を再考段階の科学として奉り、社会科学を一括して未成熟の科学として退けている点で、ポパーには論理実証主義から受け継いだ「物理学帝国主義」の残滓がこびりついている。
・異なるパラダイムは「通訳不可能」なのであり、比較や論争を通じて、どちらかのパラダイムを選ばなければならない。
・科学的知識は、閉鎖的な「集団の産物」である。
・科学者は、白紙状態から個人的に研究を始める訳ではなく、集団によって支えられてきた研究実践の長い伝統の「流れの半ばから出発する」と見なされねばならない。
・研究は「ワンマンゲーム」ではなく「社会的実践」
・クーンの冤罪は明らか。
・「<科学>殺人事件」は、むしろ「科学再生事件」と呼ばれるべき事件であった。
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○クーンの「科学革命の構造」を翻訳した中山先生の本
『パラダイムと科学革命の歴史』中山(2013)
・学問は異常に天才的な人間がひっくり返し(創造科学)、通常の人間が進歩させるもの(通常科学)
・西洋の学統では、アリストテレスの学問が基調をつくり、東洋では孔子の教えに学問は源を持つのである。これらこそ最高レベルのパラダイムと見なしてさしつかえない。
・スキエンティア scientia(知識・学問)は、通常科学化できても、サピエンティア sapientia(智慧)は、できないのである。
・モラリスト的問題意識、求道精神には、つねに人生の根本的なものへの問いが繰り返されるだけで、それは本質的には個人的智慧に属するものであり、各人各様に解決すべきものであり、共通のパラダイムとすべきものではなかろう。
・現在の科学者専門家集団を宗教集団になぞらえるのは、不穏当、不適切であろうか。
・社会科学が、論争的学問に止まって、自然科学のように通常科学化しにくいのは、自然とか事実とかいうジャッジがはっきりと姿を現さないからだろう。一つの学問に共通したパラダイムを、研究者集団に納得させるには、自然現象ほど文句のつけようのない説得力をもつものはないからである。
・科学的業績は、印刷されてはじめて認められることが科学界のルールになっている。
・だが、これがはたして学問的伝統を伝達する唯一の手段なのだろうか。
・近大科学の方法は、力学が中心で、その周りに、物理学、化学、生物学と位置付けられ、社会の問題などは、中心から一番外の周辺部に位する。
・学問的水準とは、専門の問題について、一人以上の話し相手があること。
・学問的伝統は、先学と同じようなことをして、後進が生活できることである。それは、教育の場、研究者の再生産の場があって初めて維持できる。
・カレッジは、チューターが行う個人指導が中心。
中世のユニバーシティは、講義中心。
・金儲けのための学問とか、政治のための学問とかは、大学の中で十分教えうるものではない。つまり通常科学の伝統を作る穂とパラダイムがしっかりしていない。
・大学の最大の機能は、資格を与えること。
・先行者によって制度の中で作られた集団を「学閥」といい、後進が制度から自由に作ったパラダイム支持集団を「学派」という。
・学問研究活動は、究極的には個人の革新的アイデアに還元される。
・旧師クーンのパラダイム概念を軸として、彼がまだ十分展開していない科学の外部史、社会史に歩み寄ろうとしたのが、この本の一つの目標。
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