【木曜日21】TKC飯塚会長本_210604

木曜日

○仕事でご一緒することが多くなったTKC様の創業者 飯塚毅会長の本と講演CD。声を聴くと、身が引き締まる。仕事を通じて、凄い方と出会えたことに感謝。

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『自己探求~本当の貴方はどれですか』飯塚毅(1994)

・教訓を謙虚に教訓として受け止める素直さこそが、人生の決定因子。

・本当の俺はどれなのだ、これが禅の最大課題。

・無心になる方法の最短距離として「二念を継ぐな」「初念だけで終える」

・克己、己に克つ、ということは、己という心が二つ以上あるということ。
・フロイトは、人間の意識に三重構造があると説いた。

・発想法のクセが出来上がり、それが固まってしまうものを薫習という。

・しょう前の一句「お前さんの両親が生まれる前のお前さんは、どこにいたのかね?」

・真の哲学(生き方の学)が欠けていた。

・就職している自我と、会社との関係はいかにあるべきか。
 1)自我と会社の在り方の調整を繰り返しながら、つまり一種の妥協を繰り返しながら生きてゆくという生き方
 2)自我の観念を滅却してしまって、会社の在り方をそのまま自我の在り方として生きてゆくという生き方
・上記の内、2)を取る人は、人生の達人。会社から一番尊重されていく。ただこの人は、自我滅却という在来の自己との激闘を乗り越えねばならぬ点に大変な課題がある訳だ。

・自我滅却とは「白露のおのが姿はそのままに、もみじに置けば紅の玉」という状態。

・会社に勤めて必ず落第する方法の原理
 1)徹底して自己中心的であること
 2)徹底した守銭奴になること
 3)徹底して骨を惜しむこと
 4)他人や回りを気にしないこと

・洞察力を身につけるもう一つの道は、二念を継がないという訓練をすること。

・釈迦は、次の3点を、人間の最高の生きざまの条件として説いた
 1)信ずること 2)洞察力をもつこと 3)絶えず自分の心を耕すこと

・自分の心の中が、針の先ほどの変化でも分かる状態。これが禅でいう「悟り」の状態。

・飯塚事件で、恐怖感からの脱却の必要を頻繁に味わった。
・恐怖感は、己の心が造り出しているに過ぎない心の模様

・毎日、自分に対して、呼びかけて注意を促すことをやるべきではないだろうか。

・日本では、奈良時代以降幕末までに出版された書物の種類は、優に50万冊を超えている。
・お互い日本人たることに、圧倒的な自信をもとうではないか。

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『参禅入門』大森曹玄(1986)

・宗教の目的を達するために取られる方法は2つ:
 1)祈祷型:個の外部に全(神)がある
 2)禅定型:個即全

・坐禅は、たんなる無念無想になるための修行ではない。

・肺は、腰の線あたりまで及んでいる。肺の下部を使って深い呼吸をする。

・読書の前の10分間の坐禅、仕事の前の瞬間の坐定、それはいかに仕事や読書を楽しく、かつその能率を高めることであろうか。

・「せぬときの坐禅」こそ、日常活動に即した修行。

・物を逐うのを執着といい、天理に従うのが三昧。

・修証一如 修という原因の中に、既に証という結果が含まれている。

・坐禅によって、脳の意識活動が一時停止の形を取り、自律神経の働きが盛んになる。

・衆生本来仏なり

・五尺の体、50年の命は、数えきれない多くの生命に支えられている。

・本来の仏性は、「この身」そのものであった。

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『不撓不屈』高杉良(2020)

・なんでもいいから一つ、人が苦しいと思うことを続けてやりなさい。

・知的武装とは、職業法規を熟知することだ。

・栃木県計算センター → 飯塚毅のたけしをアルファベットに置き換えて、TKCに。

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飯塚毅講演録

『経営者と洞察力』(1985)

・トップになる人間の4条件:
 1)洞察力が豊か
 2)自己中心の発想法から抜け出ている
 3)人々に方向を与える力
 4)イエス・ノーをはっきり言える

・洞察力は、経営者にとって不可欠の徳目だが、その入手の道は、近くして遠い。
・洞察力の入手には、原価は1円もかからず、参禅の必要もない。断固たる決定と強い思考力だけが、絶対の条件である。


『経営の本質』(1973)

・経営の本質とは、財貨またはサービスの供給によって、自利利他を実現しようとする人間の活動である。

・何を選ぶか:先見性と創造性、どう供給するか:経営方針の問題

・自利利他の実現のためには、経営は存続していなければならない

・経営は、その主体(経営者)の努力の品質に応じて盛衰する
 「考え抜くことができる経営者」

・経営は、社会経済の条件変化によって盛衰する
 「社会の動きを注視せよ」「その鳥をねらうな」


『経営者のモデル像』(1975)

・脚下照顧 「足元を見つめよ」

・経理は公開の方向に向かう。先取せよ。

・経営主体が棄て身になれ。棄て身になるとは、自我を棄てることである。


『若い世代を含み人をいかに育てるべきか』(1981)

・人類は、その文化史8,000年の中で、いまだに「人を如何に育てるか」の法則としての科学的な方法論を発見していない。
・その原因は、M.ハイデッガーがいったように「人間とは、人間にとって、最も近く、かつ最も遠い存在だから」という判断の中で見出すことが出来よう。

・飯塚自身は、人を如何に育てるかについて、成功の体験を持ってはいない。

・人を育てようとする者は、論語に言う「教えて倦まず」との態度を取らなければならない。

・人を育てる側に立つ者は、少なくとも、相手の5倍以上の修練を積んでいないと、相手は納得してついて来ない。

・あることの反復を、何年も繰り返すというのは教育上、相当の効果がある。

・育てる相手を選ばねばならないという問題。

・人間の表面意識に向かって、いかに説得や説教を繰り返しても、人間の行動選択の質的転換っを遂げさせることはできないのである。教育の難しさが、ここにある。


『禅と人生』(1982)

・「ながら読書」を止めたのである。それで1回きりの読書で済むようになったのである。

・創造性を育むための第1条件は「一人でいること」

・洞察力を養う最短距離は、内観しかない。

・徹底的に、他人の幸せを祈り、他人の利益を念じて暮らす、これが利他です。自利とは、この利他のことを言うのだ、というのが「自利利他」の哲理、即ちTKC会計人の根本理念。

・常に自我を忘れ、他人の幸せと利益とを念じて暮らすことが、人生最高の生きざま。

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投稿者:関根雅泰

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