【木曜日23】徳川時代の日本人

木曜日

報徳博物館で買った本がきっかけで、徳川時代の日本人に関する本を何冊か読んでいます。

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『日本近代化と宗教倫理』R.N.ベラー(1966)

●序文

・階級闘争が近代日本史を理解する鍵とは思われない。

・丸山真男氏の批判:非合理的側面を正当に取り上げなかったのは片手落ちは、正しい批評として受入れ、将来この誤りを訂正したい。

・社会学におけるT.パースンズの「行為理論」を分析枠組みに。
・日本は「個別主義」と「遂行」に重点を置く社会。

●本論

・日本の宗教の内で、何がプロテスタントの倫理と機能的に類似しているのか?

・宗教を、究極的関心にかんする人間の態度と行為と定義。

・関ヶ原の役(1600)から徳川将軍の没落(1868)までの268年間を徳川時代と呼ぶ。

・学問のための学問は軽蔑される。むしろ勉学は、実践に終わるべきものとされる。

・商人が富裕化するにつれて、武士は窮乏化した。
・1868年の維新は、いかなる意味においても「ブルジョワ革命」とみなすことはできない。

・社会の動機づけの体系の内で、最も重要な一局面は、社会化の過程である。これは、個人がある社会集団に加入し、その結果、その集団の諸価値を学ぶ過程である。
・もし社会化の過程が成功すれば、個人は諸価値を内面化したことになる。

・徳川時代は、人口が殆ど静止して変動しなかった。

・商家への雇用は、通常、丁稚奉公から始まる。手代の地位(半人前)では、判断を誤っても厳しく叱られることはない。それは間違いを通してのみ学ぶことができると考えられたから、あまり厳しく叱責すると、その手代は、どうしても他人に頼り勝ちになり、商売の自発性を損なうと考えられた。

・日本の儒教はおおむね朱子学であった。

・日本の宗教には、神について、2つの基礎概念がある。
 1)超従属的な存在
 2)存在の根拠、実在の内的本質

・二宮尊徳の恩と報恩の理論:「我々は恩恵と徳に報いるべきである。これは天と地と人から我々が受けた恵み深い恩恵に報いることを意味している」

・宗教的行為の2つの型:
 1)報恩 2)自己修養
・利己心が最大の罪

・不利益な消費をさけるのは、有利な支出をするという目的の為である。

・武士の倫理の特徴として「学問」に対して非常に尊敬を払う。学問の目的は、自己を修養し、他者を統制することである。

・真宗の士たちは「自利―利他」の説により、商業上の利益を、宗教的用語で正当化したのである
・他を利するの心行によりて、自ら利するの功徳を受く。

・真宗は、西欧のプロテスタンティズムに対する日本における最も類似性を持つ形態であり、その倫理はまた、プロテスタントの倫理に最もよく似ている。
・しかし、真宗は、商人階級の道徳生活に影響を与えた多くのものの一つに過ぎなかった。

・二宮尊徳が始めた報徳運動は、農民倫理を反映しており、更に先鋭強化したものを示している。
・尊徳の思想は、儒教、神道、仏教に基づくものであるが、それらを実際的で単純な教えに統一したのである。
・尊徳は、大部分の日本の思想家と違い「自然における人間」という志向よりもむしろ「自然を超える人間」という志向を持っていたようである。(○「天道」と「人道」かな)
・人間生活は、努力を必要とし、自然に反している。
・自然は労苦なしには、何の恩恵も与えない。
・報徳運動は、宗教が、経済的合理化に及ぼした影響を示す著しい例である。

○参考:二宮尊徳 本 https://www.learn-well.com/blog/2021/06/ninomiya-sontoku-4.html

・石田梅岩にとって、勉学の目的は、全ての人の模範となるよう自己を修養することであった。
・梅岩は、極端に走らず、中庸を保った。
・隣国で激しい洪水が荒れ狂ったとき、弟子たちを連れて月見の会に出かけたのを非難された。その時、かれは答えて、洪水は嘆かわしいけれど、嘆いて座していたとしても、何も得る所はない、と言った。洪水をただすのは、彼の能力外であり、むしろ彼の関心は、門人の教育にあると思ったのである。

・商家の古番頭であった梅岩が、突然、自分を哲学者と呼び、講釈を始めるなどということは、多くの人々にとってばかばかしいことであった。

・瞑想を実行するために、荒野に退くのではなく、たんに余暇の時間を利用して、店の奥にしりぞくに過ぎない。

・梅岩の心学は、宗教行為の第2の型。報徳運動は、第1の型。
・梅岩は、商人階級を熱烈に擁護し、地位上の名誉を要求した。

・心学の講師は、講釈師としての能力と、日常の言語と行動が厳しく評価された。
・輪講と会読は、本質的には、読書サークルであった。

・心学は、苦しみ悩んでいた商人の生活に意味をもたらした。

・報徳は、恩を第一に強調したが、心学と全く類似した教えを含んでいた。

・武士道の倫理が「資本主義」発展の強力な要素でった。

●丸山真男による批評

・文化人類学、社会学、社会心理学のように基本概念の枠組みが高度に精緻化した分野においては、そこで理論的に鍛えられた作業仮設が、アメリカと全く異なったカルチャーを素材として、どこまで検証に耐えるかを究めたいというアカデミックな欲求が、超学問的問題意識と結びついたために、きわめて異色ある極東研究が生まれるようになった。
・ベネディクトの「菊と刀」が、こうした方向での画期的な労作である。

・なぜ日本だけが、最も早く集権的国民国家を樹立し、近代経済への切り替えに成功したのか。

・私はあまりに「演繹的」な方法に強い心理的な抵抗を覚えた。
・第6章が、一番凡庸で、説得力に欠ける。
・アメリカ社会の構造をモデルとして鍛え上げられた理論と範疇を、日本の徳川社会に適用することの妥当性の問題。
・「実業」の寄生的性格、それが経済的合理化を強靭に阻んだ面の意味を追求しようとしない。
・ベラーの書物は、相変わらず排出するアメリカの日本研究書の中で、私の食欲と「闘志」をかき立てた久しぶりの労作であった。

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●石田梅岩の本

『都鄙問答』石田梅岩(2016)

・孟子の「性善説」が、石田梅岩の思想の根幹をなしている。
・「故きを温ねて新しきを知るは、以って師たるべし」工夫し考案できて初めてそれまで学んだことが身に着く。
・日々をコツコツと積み重ねて富を蓄えるのが、商人としての正しい道。
・究極の学問は、孟子の言う「心をつくして性を知り、性を知れば、天を知る」に尽きる。
・正しい方法で利益を上げるのが商人としてのまっとうな生き方であり、利益を上げられないのは正しい商人の道とは言えない。
・「真の商人」は、相手も上手くいき、自分も上手くいくことを願うもの。
・儒教や仏教は、自分の心を磨く道具に過ぎない。
・根本を確立してこそ、道は開ける。

『石田梅岩 (人物叢書)』柴田実(1988)

・日常生活の実践と反省がそのまま修行。不断の内省によって放心を求める。

『魂の商人 石田梅岩が語ったこと』山岡正義(2014)

・何事もありのままに言うのがよい商人。
・自らをいましめる道徳観、内面の倫理やモラルこそが、商売を発展させるもっとも大切な要素。
・どう稼ぐかよりもどう使うかが大事。
・商いやビジネス行為の中には、おのずと平等性が含まれる。
・長く事業を継続してきた秘訣:1)家制度を主軸にした経営をする 2)不易と流行のバランスをとる 3)利益よりも独自性やこだわりを追求する

『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』森田健司(2015)

・石門心学(せきもんしんがく)が、経済や経営の「学」を人々に提供した。
・石門心学は、日常への意味づけを行った。日常のあらゆる行為の意味を考えさせ、その一つ一つを確かなものとし、人々に尊厳を与えた。
・商人は世の人々に共感されるような感情と行為を心がけて、仕事をしなくてはならない。
・財とは、自身が所有する物ではなく、世の中の物である。
・真の商人は、先方も立ち行き、自分も立ちゆくことを思うものだ。
・世界のためん、従来は3つ必要だったものを、2つで済ませるようにすることを、倹約というのである。
・人の形(置かれた状況)とは「自分の職分」である。
・心学の教えの最も肝要なポイントは、何か問題を感じ取った時、環境を批判するより前に、自分のあり方を反省する事にある。
・儒学の政治哲学の基本は「修身斉家治国平天下」個々人の道徳的向上がまずあり、次に家が調うという結果があって、それを受けて社会の安定が実現される。
・従業員は、企業から正しく評価され、適切な場所に配置され、そこで成果を上げることによって尊厳を得る。企業の責任は極めて重い。

『都鄙問答 経営の道と心』由井常彦(2007)

・深刻な問題が無く、仕事が順調な時は、古典にそれほどの関心を持たないのが普通。
・会社はそれ自体がどこか公的な存在で、社長から末端従業員まで、共通の利害に奉仕している「心」を感じていた。

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『無私の日本人』磯田道史(2015)

●殻田屋十三郎

・映画「殿、利息でござる」の原作本

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BF%E3%80%81%E5%88%A9%E6%81%AF%E3%81%A7%E3%81%94%E3%81%96%E3%82%8B!

・「公」が、己の暮らしを守れなくなった時、人々はどう生きればよいのか。

・300年、党を組まぬように、しつけられてきたこの国民が、明治になって、政党の政治というものをうまくのみこめなかったのは、至極当然のことで、それは後々までこの国の政党政治をみすぼらしいものにした。

・徳川時代の武士政権のおかしさは、民政をほとんど領民に任せてしまっていたことである。その意味で、徳川時代は奇妙な「自治」の時代であったといっていい。

・武家が150万、庄屋が50万、それに神主や僧侶を加えた1割足らずが、洗練された読書人口であって、とりわけ農村にいた庄屋50万人が、文化のオーガナイザーになっていた。

・江戸期の庶民は、親切、やさしさということでは、この地球上のあらゆる文明が経験したことがないほどの美しさを見せた。

・身分相応「身分に応じた振る舞いをせよ」というのが、江戸時代における最も支配力の強い人間の行動原理であった。

・「家意識」という宗教は、先祖教であり、子孫教であった。

・読み聞かせの政治文化。

・江戸時代の政治の最大の欠点は、下からの請願を政治に吸い上げることが不得手であったこと。

・関一楽の『冥加訓』人間は尊きものであり、人間は他の尊い人間を苦しめてはならない。
・駕籠に乗ることは、人間が人間の尊さを辱める、最も卑しい行い。

●中根東里

・荻生徂徠は、儒学を曲解したものが朱子学であると批判した。

・新井白石は「加賀は天下の書府」と呼んだ。

・「学問は道に近づくためのものであって、書物を蓄えるものではない。聖人君子の言葉も言ってみれば、指のようなものに過ぎない」

・王陽明の「礼記」の一篇「大学」に、君子がなすべき8つの条目が刻まれている。
・格物、到知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下 

・書物には読み方がある。読む前に、まず大どころはどこかを考え、そこをきちんと読むことを心がける。道を得るために、書物の中の大切なところを見つけて読んでいかなくてはならない。

●太田垣連月

・アメリカが来たら、案外、世の潤いになるかもしれない。

・「老尼は泥をひねりて土器は売れど 風雅は売らぬ」

・西郷を諫めるには歌がいい。連月は思いのたけを歌にぶつけた。
 「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の 人と思へば」

・江戸城総攻撃を回避したのは、西郷や勝海舟、山岡鉄舟の功績になっている。
 しかし江戸を火の海から救ったのは、連月という一女性の、まともすぎるほど、まともな感覚であった。

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投稿者:関根雅泰

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