○前回の「失敗本」に続き、「失敗と成功」の両極が描かれていると言われる探検本。
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『八甲田山 死の彷徨』 新田次郎(1971、2008)
○漫画「ゴールデンカムイ」にも少し出てくる。日露戦争直前の1902年の事件。(八甲田山 死の彷徨)
・金がないから、なにかと言えば精神でおぎなえという。
・徳島大尉は、参加隊員たちに、行軍の目的を繰り返して説明してあったから、各自はそれぞれに与えられた問題を胸に抱えて行進していた。
・「不可能を可能とするのが、日本の軍隊では」という部下の発言後、山田少佐は、突然軍刀を抜き、吹雪に向かって「前進!」と怒鳴った。
・山田少佐は「今回の遭難の最大の原因は、自分が山と雪に対しての知識がなかったことである。第二の原因は、自分が神田大尉に任せておいた指揮権を奪ってしまったことである。すべての原因は、この2つに含まれ、そしてその全責任は自分にある」と言って、自決した。
・日露戦争を前にして軍首脳部が考え出した、寒冷地における人間実験がこの悲惨事を生み出した最大の原因であった。
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『アムンセンとスコット』 本多勝一(1999、2021)
○『ビジョナリー・カンパニー④」でも紹介されている。1910年の出来事。(アムンセンの南極点遠征)
・アムンセンは、探検隊の弱点として、船長と隊長がいつも別の人間であることに気づいたため、船長の資格をとった。
・アムンセンは、常識と考えられていたことに疑問を抱いて調べなおすという真に科学的な態度によって、新しいコースの利点を予知した。
・スコット隊の敗れた最大の理由は、極致に対する全般的な体験の浅さや、寒地での訓練不足であろう。
・極地のような異常な環境に長くいると、神経がまいってイライラし、ノイローゼになる傾向があり、探検病とか極致病などと言われる。これを防ぐには、できるだけ心理的にゆとりを持たせることだ。アムンセンは、3人用のテントに、2人で寝かせたのに対し、スコットは、4人用テントに5人を詰め込んだ。
・アムンセンが、8人を5人に減らすという最良の決断をしたのに対し、スコットは4人を5人に増やすという最悪の決断をした。
・エバンズの傷と、隊長の情緒的な決断という新たな致命的な欠陥をかかえた。
・ちょっとした妥協をすることで、すでに失敗の最初の種をまいていたとも言えよう。
・アムンセンの方が「万全の用意」の点で、数段まさっていた。
・権力格差の大きい文化圏の登山隊の方が、死者が出る確率が著しく高い。
・地位の低いメンバーの発言が封じられることで、意思決定の品質が悪化する。
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『世界最悪の旅~スコット南極探検隊』 チェリー・ガラード(1984、2019)
・スコットが南極そり旅行の始祖であったとすれば、ナンセンは全装備における近代化の始祖である。
・ひと探検ごとに、蓄積を増していった。本当に大切なのは、経験によってえたものを一つとして失ってはならないのである。
・これほど快活で気質の優れた隊は他になかった。彼らは何事によらず、明るい面を見る事に努め、いったんそれがかなわぬ時は、次の日にかくあれかしと念願した。
・ノルウェー隊は、自分達に役立つように思われる情報を、僕らから聞き出すのを慎んでいた。
・正直に言って、我々みなはアムンセンを見くびっていた。
・ただひたすらこの瞬間に生き、それを最も効果的にすることを考えようと自分で決めた。
・人は死を怖れない。人は死の苦痛を怖れるのである。
・我々の組織は4人単位であった。ところがスコットは気が変わって、5名で南極に向けて前進した。
・スコットは「この遭難の原因は、組織に欠陥ありしには非ず、打ちこゆべきあらゆる危険にありて、不運な目にあいしに基づく」という。
・探検は、知的情熱の肉体的表現である。
・君とともにソリ旅行をするものは商人ではないだろう。それこそ非常に尊いものである。
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『白瀬矗(のぶ)~私の南極探検記』 白瀬矗(1998、2008)
○1912年に、南極大陸に上陸。(白瀬中尉)
・児玉源太郎将軍にかけられた言葉「天は自ら助くる者を助く」
・日本は、露国との戦争にこそ勝ったが、まだ航海術における世界の批評は、遺憾ながら幼稚の二字に尽きている。
・樺太犬の世話係としてのアイヌ人2名 花守君、山辺君に加わってもらった。
・われらは第1回の突進に不幸挫折したといえども、これは畢竟大事業の中の一蹉跌に過ぎない。全局に影響を及ぼすものではない。
・馴れてしまって勇気を失うことがあってはならん。平素の修養が根本なりと知るべきである。
・相手がなくても、無聊(ぶりょう)を慰め得る点に特徴があるのは、読書ばかりである。
・あざけられた唯一の返礼は、論駁ではない、憤怒ではない、いわんや暴力ではない。事実においてこれを示すよりほかはないのである。
・わが探検隊も、つとめてスコット大佐、シャックルトン中尉の探検路を避け、他の方面を選んだのである。
○なんかこの人の探検記は、悲壮感が無く、旅を楽しんでいる感じが伝わってくる。
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『南極に立った樺太アイヌ~白瀬南極探検隊秘話』 佐藤忠悦(2020)
・山辺は、「アイヌを救うものは、決してなまやさしい慈善などではない。宗教でもない。善政でもない。ただ教育だ」という信念を強くし、自宅を学校の代わりにして子弟の教育にあたった。
・アムンセン(ノルウェー)とスコット(イギリス)の両隊が国の威信をかけて支援したの対し、白瀬隊は、国の理解も援助も全くなく、国民の善意に頼るほかなかった。
・スコットこそ英雄的精神と科学的探究心をみごとに結合させ、極地征服に生命をささげた「敗北の勝利者」と評する人もいる。
・たった204トンの木造機帆船 開南丸が、暴風圏を通り抜け、氷塊を縫って南極に上陸できたのは奇跡とまで言われた。
・「(白瀬が)ただ先人未踏の地を探検して、極に達しないことの方がむしろ気がきいている。死ぬだけなら、日本にいてもできる」
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『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』 中川裕(2019)
・アイヌは、自分とは別の意思を持った存在が自分の中にいて、それが自分にそういう行動をとらせるのだと考える。
・言葉を使う能力は、常に命と直結している。
・知里幸恵というアイヌ女性による「アイヌ神謡集」(1923)
・謎多いイワエトゥンナイの正体は、イノシシだったのではないか。
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『エンデュアランス号 漂流記』 アーネスト・シャクルトン(1970、2021)
〇1915年~1916年ごろ。
帝国南極横断探検隊(Imperial Trans-Antarctic Expedition。Shackleton’s Expedition、The Endurance Expedition)
・目的の達成には失敗したけれど、それらを書きとどめておかなければならないと、私は考えたのである。
・私の過去2回の南極の体験で得たあらゆる知恵をしぼりださなければならないのだ。
・人間という動物の味覚は、なんでもおいしく食べられるようになっている、と私は考える。
・孤独は、隊長たる者が当然受けるべき罰でもあるが、決断を下す者にとって、したがう隊員たちが彼に信頼を寄せ、命令が確実に遂行され、成功さえ期待できるような時には、大いに勇気づけられるものである。
・ワイルドと最後の言葉をかわした。彼は今後わたしにかわってすべての指揮をとる。
・われわれは時に大笑いすることもあった。すこしばかりの冗談を飛ばすことを忘れなかった。
・苦しいことばかり多かったけれど、結局のところ我々は島へ近づいていたのだった。
・我々の思い出は、計り知れないほど豊かであった。苦闘ののち、あらゆる物資を失ったが、うわべの虚飾をつきやぶったのであった。
・確かに神の加護があったとしか考えられない。我々は3人ではなく、4人いたのだと、しばしば思えてくるのだった。
・ワイルドがそばにいれば、沈みがちな心もいつしか消え、元気がわいてくる。悪魔に魅入られたようにふさぎ込み、かたくなになった心も晴れてくるのだ。
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○これらの探検記から学び、自分の行動に活かしていくなら「悲観的に準備し、楽観的に行動する」「きつい時こそ、明るく楽しく」かな。
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