○転移のルーツを辿る旅(3)
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『On the trail of process』Mann,L.(1979) Grune & Stratton, Inc.
・感覚情報が、知識の主要源であることを、ギリシャ人は認識していた。
・アリストテレスは、5つの感覚があると考えた:視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。
・西洋の教育は、ギリシャから始まっている。
・アテネでの教育の理想は、身体と魂の両方を訓練することである。
・プラトンは、Cognitive training認知訓練と、Formal discipline形式陶冶の父である。
・形式陶冶とは、mind精神、知性の教育を意味し、情報や知識を得るための指導とは反対のものである。
・(形式陶冶では)一つの領域での特定の心理的機能の訓練が、他の関係ない領域での機能運用につながると考える。
・アリストテレスは、プラトンの言う「人間は合理的な動物である」という考えには合意しており、「知性の開拓」を彼の最終目標と考えた。
・アリストテレスは、practical skills 実用的なスキルの訓練を強調した。
・ローマ人は、若者の記憶力を訓練しようとした。なぜなら、そここそが、教育の倉庫であったからだ。
・ローマ人は、暗記を必要とするタスクを過剰に生徒に与え、彼らの記憶力を訓練しようとした。
・19世紀半ばまで、ラテン語や数学のような退屈で難しい講義が、マインドを鍛えるのに役立つと考えられた。
・ラテン語の教育手法としての効用は、その難解さである(Monroe,1971)。
・特定の課目を、マインドの訓練に使うという新しい技術が、形式陶冶と呼ばれるようになった。
・John Lockeジョン・ロックが、近年の形式陶冶の父と言われている。
・ロックは、mind精神は、生まれた時は、tabula rasa 真っ白であると考えた。
・ロックは、形式陶冶の擁護者でもあり、反対者でもあった。
・ロックは、数学を、認知訓練の手段として偏向した。その価値を語る中で、彼は形式陶冶の主要な原則を提示した。それが、transfer of training 訓練の転移である。
・しかし、ロックは、形式陶冶の人気ツールであるラテン語を毛嫌いした。
・形式陶冶という考え方は非常にパワフルであった為、教会を始め、多くの団体が支持するようになった。
・特に、社会カースト制度があるイギリスにおいて、上流階級に対しては、形式陶冶が教育され、実用的教育は下流階級に対して行われた。
・アメリカにおいても、形式陶冶が受け入れられ、1650年には、ギリシャ語とラテン語の習得が、ハーバード大学において求められるようになった。
・19世紀になるころには、アメリカのほぼすべての高等教育機関において、形式陶冶として古典を学ぶことが求められるようになった。
・「男性的な性格」を持つmathematics数学は、女性の教育内容にも使われるようになった。
・ギリシャ語とラテン語は実生活には役立たないが、言語獲得のprocess過程が、生徒にとって意味がある。
・ハーバード・スペンサーは、科学の方が、古典言語よりも、効果的な訓練になると主張した。
・ギリシャのSophists詭弁学者は、ソクラテスとプラトンの認知訓練に対し、Utilitarian training功利的訓練を強調した。
・G.F.Herbart(1774-1841)は、形式陶冶を批判し「それは、何人かの想像の中にしかない」と述べた(Ulich 1947)
・教員は、普通、転移のために教育する。
・ドイツでの実験(1858)では、転移のエビデンスが提示された。
・アメリカにおいても、E.W.Scriputureのグループによる心理実験(1894、1898、1900)でも、転移のエビデンスが示された。
・Thorndike & Woodworth(1901)では、identical elements 同一要素がある時のみ、転移が起こることを実証した。
・これは、形式陶冶にとっては不運となった。
・Faculty psychology 能力心理学と、形式陶冶は死んだ。
・Norsworthy(1902)も、形式陶冶を批判し、great transfer-of-training wars 訓練転移の戦争が始まるようになった。
・C.H.Juddと、W.C.Bagleyは、訓練転移を支持した。
・Juddの転移理論は、generalization 一般化であった。
・Juddの有名な実験(1902、1908)は、現代の心理学の教科書にも載っている。
・Sandiford(1941)のレビューでは、訓練の転移が支持されている。
・Orata(1945)の1890年~1935年の研究レビューでは、形式陶冶が支持されている。
・Brunerの「The Process of Education(1961)」では、訓練の転移と形式陶冶が再認識されている。
・Brunerは、JuddとBagleyの流れで、転移を語っている。
・C.Lashley(1929)は、Thorndikeの理論を無視している。
・John Dewey(1916)は、形式陶冶を好まなかった。彼は、精神の訓練という考え方を信じなかった。
・Kilpatrickのようなデューイのフォロワーたちは、形式陶冶を批判した。
・形式陶冶にとって、この時期は、遅い午後の時間のようなものだった。
・人々は、形式陶冶という考え方に疲れたのかもしれない。
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