ラーンウェル代表の関根です。
2022年4月18日(月)朝5時15分~5時35分、ライブ配信を行いました。
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・週末は、本屋ときがわ町、鯉のぼり設置、息子達とキャッチボール。
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・ソーンダイク(1901)が批判した「形式陶冶説」
・「形式陶冶 Formal discipline」は、能力心理学faculty psychologyを基盤とし、ある領域で形成された能力が他の領域に「転移」することを前提としている。
・近代科学技術に直結する実学的教養(物理学、生物学など)を重視する教育的立場が「実質陶冶 Material discipline」である。
・遠くギリシャの時代から、形式陶冶と実質陶冶の論争は始まり、現代にも続いている。
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・今週は、立教大学院 中原ゼミでの英語文献発表準備にいそしむ。
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・今日は、ライブ参加 5名でした! ありがとうございます!
次回は、4月25日(月)5時15分から、15分~30分程、テーマは「転移のルーツ(3)」です。お楽しみに!
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勉強会等でご一緒したKさんから、嬉しいメールを頂戴しました。(許可を得て転載)
●Kさんから頂戴したメール
「MMMT~~~」いつもアーカイブで拝見しております。 関根さんの新たな取り組みの姿勢、本当に尊敬いたします。
関根さんの熱意溢れる講義を聴かせていただくたびに、 「(自分が仕事でよく目にしたり、使ったりする言葉について)あいまいなまま使っていたな・・・まだまだ学び続けたいな・・・」という思いになります。 学びたい気持ちを呼び起こされるといいますか、いつもそのような思いに至ります。
学び続けないと、自分の説明の仕方や伝え方のバリエーションが単調になってくことを感じているので、 これからも、関根さんの背中を追いかけていきたいと思います。
居心地の良さに甘んじないで、コンフォートゾーンを広げていけるように精進したいと思います。 今後ともよろしくお願いいたします。 御礼まで。
(Kさん、ありがとうございます!)
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●参加者の楠田リエさんによるメモ(ありがとうございます!)
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2022/04/18MMMT「研修転移のルーツ(2)」メモ
マンデーモーニング、学びタイム!
毎週月曜日、朝5:15~
★記録者:楠田
<楠田個人の振り返り>
学校教育の根幹に「形式陶冶説」というものがあったということを初めて知った。「退屈で難しい科目を学ぶことで、頭だけでなく精神が鍛えられる」という考え方は、剣道を始めたばかりの頃の基礎練習を思い出した(基礎体力作りや素振りばかりで、なかなか防具を付けた実践的な稽古をさせてもらえなかった)。ルーツを学ぶことによって、物事の意図が分かったり、歴史背景も一緒に頭に入ってきて、楽しい。
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<オープニング>
・週末はいかがお過ごしでしたでしょうか?
(関根さん)
本屋ときがわ町
こいのぼりのセッティング(画面の右端に映っていました!)
息子さんたちとキャッチボール
<ボディ>
■ソーンダイクの仮想敵「形式陶冶説」
前回のソーンダイク(1901)らが批判したかった「形式陶冶説」とは?
「陶冶」は「とうや」と読む
「治」ではなく「冶」
ラテン語や数学を学ぶことで頭が良くなって他の学問にも応用できるという考え方
学校教育はまさに形式陶冶説が根幹にある
学校で学んだことは「社会で役立たない」「実生活につながらない」と批判される
形式陶冶説にのっとれば、学校で学んだことで認知能力が上がり、社会でも実生活でも役立つ
■相反する概念「実質陶冶説」
実質陶冶説(形式陶冶説に相反する)
実生活で役立つことを学ぶ、実用的なスキル、実用的な教科
形式陶冶説と実質陶冶説は時代の中でどちらかが主流になりながら教育学の中で議論されてきた
■形式陶冶説の考え方
形式陶冶で重視されてきたのは、古い学問(数学、ラテン語等の古典)を学ぶこと
古典を学ぶことで認知能力(頭)が鍛えられる
それだけではなく、「実生活には役立たない『退屈で難しい講義』を受ける事で精神が鍛えられ、それによって、他の領域での学習も進む」
難しい・つまらない授業でも寝ないで頑張って受けることで精神力が鍛えられ、他のことでも活きる(なんか昭和な考え方?)
その考えをソーンダイクらは「そんなことはない、転移しない」と批判
■形式陶冶説のルーツ(古代)
「ラテン語」という言葉から分かるように、形式陶冶説のルーツを探ると、ローマ時代に遡れる、そこからさらに遡り、ギリシャ時代にまで遡れる
ギリシャ時代と言えば、プラトン
プラトンは、形式陶冶説の父と言われている
紀元前400年代くらい
精神や知性の教育を行うことで人の認知能力が高まって他のことでも応用できる
プラトンの考え方、弟子への接し方はまさに形式陶冶説にのっとったものだった
プラトンの弟子の一人、アリストテレスは師匠の言うことに逆らった
どちらかというと実質陶冶の考え方に基づいていた
実用的スキルの訓練をやった方が意味があると強調
ギリシャ時代から形式陶冶と実質陶冶は相反する概念として述べられてきたことが分かる
ギリシャの文化を引き継いだローマ人たちは、どちらかとういうと形式陶冶の考え方にのっとっていた
彼らが使っていた言語=ラテン語を学ぶことで他の科目にも活きるということが強調された
日本で言えば国語(今でいう古典)を学ぶことで頭が鍛えられて他の科目にも役立つと考えられた
ローマ時代も、暗記を必要とするタスクを過剰に若者に与えることで記憶力を訓練しようとした
日本も、団塊ジュニアの世代は受験戦争と言われていたが、ああいう受験勉強のような暗記を必要とすることはローマ時代から行われていた
■形式陶冶説のルーツ(近代)
近代西暦1632年代(17~18世紀くらい)
イギリスの哲学者 ジョン・ロック
近代における形式陶冶説の父と言われている
数学を好み、数学を学ぶことを認知訓練の手段として重視した
ところが、ラテン語は嫌いだった
「ラテン語をやっても意が味ない」と、形式陶冶の父とも言われながら反対もするという両方の側面を持つ人だった
当時のイギリスは上流階級と下流階級に分かれていた
上流階級(貴族)は形式陶冶説にのっとって、ラテン語や数学など実生活には役立たないものを学んだ
下流階級の人たちは実質陶冶の考え方に基づいて、どちらかというと職業訓練的な教育を受けていた
イギリスの伝統がイギリスの植民地だったアメリカに渡り、ハーバード大学等で、アメリカの大学だけど「ラテン語を学べ」と言われていた(19世紀頃まで)
ほぼ全ての大学、高等教育機関において形式陶冶に基づき古典を学ぶことが必須とされた
【まとめ】
特定の科目(ラテン語、数学)を学ぶことで頭と精神が鍛えられて、他のことにも活きるという形式陶冶説は、ギリシャ時代及び近代ではイギリスの哲学者ロックにまで遡れる
それに対して「おかしい」と批判したのがソーンダイク
20世紀初頭(1901)、「形式陶冶説に科学的根拠はない」と言われた後、形式陶冶説はどうなったのか?次回見ていく
楠田:数学で精神を鍛えられていたとは~!そうと知ってたら高校生のとき、もっと頑張れたかも?!
汐中義樹さん:おもしろかったです!プログラミング教育なんてのは実質陶冶説に近いのかもですね。ちなみに僕は陶冶より胸筋の方が好きです。
渡部典子さん:人によっては合う合わないがありますよね。
小林豊さん:不得意なことを勉強する事が精神トレーニングなんですね。
渡邊壽美子さん:おはようございます!
<クロージング>
今週、みなさんはどんな学びがあるのでしょうか?
水曜日、立教大学中原ゼミにOBとして参加している
急遽、英語文献の発表をすることに!(本当は来週だった)
転移に関する文献
水曜日までは転移に埋もれる2日間にしたい
来週は、形式陶冶説がソーンダイクに否定された後、どんなことが起こったのか?ということについて見ていく
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