○安岡正篤先生と、お弟子さん達の本。
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『日本の父母に』安岡正篤(2009)
・敬と恥の二つの心、これが人間と動物の限界線。
・人間が一番大事な失うてはならむものは、敬と恥。
・敬するから省みて恥づるので、慎む。
・敬するを「参る」という。「参った」ということはお前偉いということ。
・女の腹を借りないと、家族も民族も人類も進化しない。
・疾病の50%は、感情のからまるもの。
・親の精神状態は、直に子供に反応する。
・(現代の問題は)大都市化・大衆化。
・「治人あって、治法なし」(荀子)政治は結局「人」であって「法」ではない。
・日本天皇の本質は、「統して宰せず」の機能にあたり「神聖なる無」なのである。
・皇家は、公家であって、私家ではない。
・スピノザは、不安と懐疑を区別している。
・しっかりとした中核的思想を持たなければ、懐疑はできないもの。
・むしろ危険は、大切な指導的地位にある人々が当然なすべき懐疑をなさないで、漠然たる不安の中に生きることである。
・教育の使命は、真の人間を作ることにあると、ドイツ教育会のリット(哲学者)も夙に名言している。
・日教組の活動は、計り知れぬ悪影響を及ぼす罪悪である。
・家庭は、人間教育の素地である。
・父母は、淡々として、専ら平和と勤勉の家風を作らねばならぬ。
・(子供の)隠れた特質を発見し、啓発することに努めねばならぬ。
・人から信用され、いかなる仕事にあたっても容易に習熟する用意の出来ておる、そういう人間を造ることが教育の主眼である。
・教師は、まず自ら善く学ぶ者でなければならぬ。
・まず父母がお手本を示す。
・家族水入らずの気安さ、小ぢんまりとした手入れの届く住宅、決して贅沢でない衣食、静かで考える余裕のある生活、濫りにならぬ社交が必要。
・良い家庭ほど、人を落ち着かせ、人を救うものはない。
・安岡教学は、和漢洋の古典と歴史に立脚。
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『安岡正篤「光明蔵」を読む』荒井桂(2012)
・昭和6年、日本農士学校設立の趣旨(抜粋)
・(前略)身を修め、家を斉え、余力あらば先ずその町村から小独立国家にしたてあげていこうという土豪や篤農や郷先生を造っていかなければならない。
・この日本農士学校を設立したことを、父は自分の生涯における最高の傑作だったと、後年述懐していた。
・「東洋倫理概論」は、孝と感恩報謝を、人の道(倫理)の根底においている。
・釈迦の教えの奥義は「慈悲」にあり、孔子の学問の命脈もまた「仁」に存する。
・「孟子」の大文章は、古来、高い志を抱いて逆境にある人を鼓舞してきた。
・安岡教学の淵源として、司馬遷の「史記」の占める比重は大きい。
・三輪執斎先生は、学問の道を尋ねられて、士心つまり志を立てることにあると答え、その士心つまり志の意味を問われて、何よりも憤が肝要であると説いた。
・憤(ふん) 学問を進展させる原動力
・安岡先生も、立志と発憤を、学ぶ者に促し、その大切さを教え、同時に仏教教学にも同様の教えがあることに注意を喚起された。
・安岡教学は、一貫して、禅と陽明学をその主要な基盤としてきた。
・「成徳達材には、師恩友益多きに居る。故に君子交友を慎む」
・人間が徳を成し才を達するには、師の恩と友の益に恵まれることが不可欠で大部分を占めるのであるから、君子は良き師佳き友を選んで交友する必要がある。
・「読書尚友」読書することによって、古の聖人、賢人を友とすること。古典を読み、古の聖賢を師として学ぶこと(出典「孟子」)
・「徳は本なり、才は末なり」
・今日一般には、才は、才能、才幹、才知ほどの意味で、徳は、徳性、徳望、人望などの意味で用いられている。
・安岡教学の要諦となる所は「人を知る」ことに尽きる。またその機要となる所は「才、徳の分を審らかにし、小人、君子の別を明らかにする」ことであった。
・「吾輩人世に在る、最も拘ケンを忌む」 我々が人としてこの世にあって最も忌避したいのは、拘束され束縛されることだ。
・昭和21年夏、敗戦後、公職追放となって、埼玉県の菅谷之荘に隠棲していた逆境の中、安岡先生は、名著のほまれ高い「老荘思想」を一気に書き上げた。
・「世を避けて鳥や獣と一緒になって生きていけようか。私(孔子)は、他でもないこの人間の仲間と一緒になっていくのでなくて、いったい誰と一緒になっていくというのか」
・立派な臨終は、その人物の生涯と生き方を端的に象徴する。
・いかに生くべきかは、とりもなおさず、いかに死すべきかの工夫にかかるとする。
・儒教の倫理は、反省の倫理であり、自己反省して日日に新たになることであった。
・声に出して朗誦を繰り返しているうちに「読書百篇、義おのずからあらわる、意おのずから通ず」の妙機を実感、体験することができよう。
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『安岡正篤 人間学』神渡良平(1992、2002)
・安岡の存在を世に知らしめたのは、伊藤肇だったといっても過言ではない。
・人間学とは、人間の格を作る学問だとも言えよう。
・「先賢に学んで自分を練る」という安岡の姿勢。
・安岡とほぼ同時代に生きた哲学者 森信三も、読書は自分の運命を拓く力があると説く。
・志次第で、人間は環境を超えることができるのだ。
・読書は、筆者に対峙し、自分の骨力を養っていく方法。
・「自分の仕事を尊く思い、一心不乱に精を出すとき、人はおのずから救われていく」という日本人の「勤勉の哲学」には、鈴木正三(江戸時代前期の仏教思想家)の影響が大きい。
・鈴木の影響は、江戸時代後期になって、石田梅岩によって、広く国民思想となっていく心学にも現れている。
・正しい考えに行きつくためには、止まって考えることが必要。
・静かなときを持つ。
・安岡は夜の宴席で、いっさいの人工的な光を消して、窓から差し込む月の光だけで、酒を酌み交わすことを好んだ。
・「六十にして耳順(じじゅん)す」六十ごろになると、自分の充実とともに、他を受け入れられるようになる。
・心中常に「喜神」を含む。どんなに苦しいことにあっても、心のどこか奥の方に喜びを持つということ。
・人間にとって、一番刺激になるのは、やはり人間だ。
・愚、素、撲、拙といった価値観を受け入れ、へりくだって生きる時、人に見えなかった全体性、永続性が見えてくる。てらいがない。
・愛読書(座右の書)を持つということが、人物学を修める根本的、絶対的条件。
・古典というものは、歴史のふるいにかかっておるから力がある。
・政治の要訣は、結局人を知り、人を用うるの一点に帰する。
・安岡は、人に揮毫を頼まれると、よく「六中観」を書いた。
死中、活有り
苦中、楽有り
忙中、閑有り
壺中、天有り
意中、人有り
腹中、書有り
・「東洋倫理概論」は、安岡の最高傑作の一つ。
・高貴な静かな人。静かに考え、静かに行い、新聞に載ることもない人々!それは、誠に地の塩である(T.カーライル)
・四書(「大学」「中庸」「論語」「孟子」)
・中年における読書尚友は、まさしく秋の果実である。
・天下国家を論じる前に、まず「修己治人」があり、それには先賢に学び、修練するしかない。
・佳いもは何でも佳いが、結局、佳い人と佳い書と佳い山水との三つであります。
佳い書物だけはいつでも手に取れます。
・自分が主になって、いままで読んだものを再び読んでみる。今度は、自分のほうが本を読む。
・寝ても覚めてもそのことしか考えていない。
・一芸に秀でる人は「寝ても覚めても」そのことに徹しているのである。
・結局、人望、人徳を磨かない限り、人を使って仕事をすることはできない。
・「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うことなかれ。ただ一燈を頼め」(言志四録)
・驕かつ吝は、共産主義者に共通した弊害。マルクス主義は、物欲の思想。権力を握れば握るほど、私欲がでる。
・「少して学べば、壮にして為すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」(言志四録)
・秀でた人物は、心の中に「天を相手にする」という意識をもっている。
・不遇、逆境というものは、自分を練るもっともいいときだ。
・愛の対象を母に求め、敬の対象を父に求める。
・迂遠なようであるけれども、それ(教育)が最も根本であり、じつは最も道が近い。
・「大学」は孔子の思想の中心となるもの。
・安岡は、共産主義の悪い点は、唯物史観によって、労働者階級の権力奪取を理論的に正当化したことだという。
・眼球の運動。
・梅干し番茶でアルカリ性に保つ。
○梅干し番茶、はじめました。
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『現代の帝王学』伊藤肇(2017)
・師の安岡正篤から、帝王学は「原理原則を教えてもらう師をもつこと」「直言してくれる側近をもつこと」「よき幕賓をもつこと」の3つの柱から成り立っている」と教えられたのをたたき台として。
・修己治人。他人を変えようと思ったら、まず自分を変えること。
・邂逅には条件がある。必ず、人生についての「問い」をもっていることである。
・いい弟子をもつとうことは、師匠にとっても幸せなことである。
・「強い反撥を覚えながら、反撥させるものが、同時に魅力となって、いつしか生涯の伴侶となるという関係が、生き身の人間関係だけではなく、人と書物の間にもあり得る。」
・「縁を大事にすることが、人生を大事にすること」
・安岡正篤は、英語とドイツ語は原典で読みこなし、東洋と同じくらい西洋にも通じていた。
・「その生涯において何度も読み返し得る1冊の本を持つ人は幸せな人である。さらに、その数冊を持ち得る人は、至福の人である」モンテルラン(フランスの作家)
・悪いことができて、悪いことをしない人が成功する。
・経営の根本義は、ひと当てして儲けようという心を捨て去って、一歩一歩積み重ねて儲けることである。利益は少しずつためていくのが最良。
・師の録音テープを聞きながら、独酌でチビリチビリとやる。
・一年の計は、穀を樹(う)うるにしくはなし。
十年の計は、木を樹うるにしくはなし。
終身の計は、人を樹うるにしくはなし。 (管子)
・つまらぬ本を100冊読むより、優れた本を100回読む方が、はるかにためになる。
・一日の読書の終わりに、「論語」を心静かにベッドで読むのが日課。
・老境に入ると、不思議と皆から褒められたくなる。(だからこそ)諫言の友が必要。
・安岡正篤先生のお話を聞くたびに感嘆するのは、お話になること全てが原典の渉猟から発していること。
・文章を上手くするために、
1)すぐれた文章を繰り返して読む
2)書くつもり読む
・常に陽性で明るい人間でいるためにも、健康でなければならない。
・一番立派な金の使い方は「人材を養成する」ことである。
・「徳は本也、財は末也」(大学)
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『論語と経営』柳橋由雄(1998)
・儒学を学ぶには、まず「大学」を読め。そのうえで「論語」「孟子」を読む。さらに哲学としての「中庸」を読め。
・「論語を行動規範にすれば、間違いは起こらない」(渋沢栄一)
・一対一の個別教育。
・孔子は、相手の性癖や能力に応じて、教え方を変えた。
・巧言令色:小人(才が徳に勝った人)
剛毅朴訥:君子(徳が才に勝っている人)
・「利は義の和」利と義は矛盾しない。義は利の前提になり、義を積み重ねることによって本当の利が得られる。
・孔子が生きた春秋時代は、道徳が退廃しきっていた。
・読書と思索は、車の両輪のように、必須の要素。
・聖人:徳あり、才あり 君子:徳>才 小人:徳<才 愚人:徳なし、才なし
・人を動かし、組織をまとめるための最も重要なポイントは、経営者自身の姿勢。
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『儒学に学ぶ経営の心~修己治人』柳橋由雄(1990)
○柳橋先生が、この本の基となる「日経ベンチャー」に連載するきっかけが、埼玉県北足立郡吹上町で、毎月第三土曜日に開催していた古典講座「東洋思想講座」であったとのこと(神渡1991)。なんと!吹上町(現鴻巣市)は、私が、10歳~18歳まで暮らし、今も母が住んでいる所。ご縁ですね~。
・朱子が、礼記の大学篇を独立せしめた。
・己を修め、人を治めるの学に志のある初学者は、まず「大学」を学んでほしい。
・大学、中庸、論語、孟子を「四書」と称する。
・朱子は、「大学」という書は、修己治人の学問であり、指導者たるべき人が、15歳になると必ず入学しなければならない施設と考えたようである。
・東洋哲学は、情意哲学であるという。ヨーロッパ哲学は、論理の整合性、合理性を中心に追及。
・修身斉家治国平天下
・家を斉える道と、国を治める道は同じ。
・己の欲せざるところを、人に施さずというのが「恕」(思いやり)
・「一隅を照らすこれ国宝なり」
・ヨーロッパの学問の特長は、まず理論に優れることである。あらゆる事物の研究は、科学的と称する分析法に収斂する。
・日本の教育が洋風化し、その結果、人間はいかに生くべきかという実践の学、人間の学は、俗なものであり、遅れたるものとして一顧だにしないという風潮が世を覆って、今日にいたっている。
・学科を極めて技術者だけは養成されようが、人を治め得る器量の者はできないであろう。
・「大学」の書を読む二宮金次郎の銅像。
・王陽明は、大学は「大人になるための学問」とし、「大人とは、天地同根万物一体と観じ得る人」と断じる。
・反対に、自分と他人を分けてしか考えられない人を「小人」と言っている。
・己を修めるには、正心、誠意、致知、格物の修行法があり「八条目」と言う。
・脩己と治人は、あくまで一体なのである。
・死に臨んで何物にも累われることなく淡然として死んでいくことが、平素の工夫の極致。
・人を見下す心にこそ、己の富貴を誇る卑しい心があるのであって、深く反省すべきである。
・しゅうき
・いつも変わらぬ温顔をたたえる一貫性
・身を修めることの柱の一つは、いたずらに感情に流され、偏( )に陥らないことを念願する事。
・「財」を生むものは何か?究極的には、経営者の「徳」である。
・「利は義の和なり」正しくすることが、結局は利になる。
・東洋の学問の基本は、政治と道徳の一致にある。
・「大学」の誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下、すなわち「修己治人」が目標なのである。
・精神生活の世話をすることを「教」といい、物質生活の世話をすることを「養」という。
・明治以降の「才」を重視した教育によって、支配階級やインテリの思想、世界観は、唯物的、利己的、唯我的になっており、安岡先生は「精神革命」を起こす必要があると考えた。
・「論理だけでは人間は救えない。情意が安定して「ここだな」というような立脚点をもつことが、結局本物ではないか」
・明治維新は、陽明学に負うところが大きい。
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『大学を素読する』伊與田覺(2007)
○朝のルーチンの一つとして、「大学」の素読を始めることにしました。伊與田先生の手書き。ふりがなも丁寧で、何か愛を感じます。
○朝は「論語」を素読し、夜、寝る前に「大学」の素読をするようになりました。
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「大学」宇野哲人(1983)
○寝る前の「一座の工夫」として、宇野先生の「大学」を少しずつ読んでいます。
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『「大学」に学ぶ人間学』田中佳史(2021)
○安岡先生の直接のお弟子さんではないですが、「大学」つながりで。
・根本が落ち着いていない人々が多くなったように思う。
・「人間として目指すべきは何か」「どのような人間になることを目指すべきか」という「大学」の説くところが判然としないことから来る迷いなのではないか。
・江戸期は「大学」を、小学校1年生、1学期の教科書とした。
・徳 virtueとは、自己の最善を他者に尽くしきること
・毎日の暮らしの中で、徳を磨いていく
・大学は「修己治人」というものを主張している。これは「自ら自分を修めてから、他人を治める」こと。自分が修まってもいないのに、他人を治めることは決してできない。
・漢字は、表意文字だから、深読みができる。
・ある山を登った瞬間に、次に登るべき山が見えてくる。
・至善に到達すれば「ああ、まだ自分には足らないところがある」と気づいて、もう一歩先に進もうとするのが本物。
・「その身を修めんと欲せし者は、先づその心を正しくせり」
・家庭は社会のトレーニング場
・「中庸」が説いている根本的な要点の一つが「誠実さ」
・独りでいる時でも、見るに堪えないようなことはしないというのが「慎独」。
・孔子の学は、すべてが「修己治人」を目的としている。
・何のために学んでいるのかが問題。人格の形成という目的をしっかり見据えて読むのでなければ意味がない。
・「大学」は孔子の遺言。その遺言を受けたのが、弟子の曾子。「大学」は曾子の編纂。
・「学びて時に之を習う」つまり何回も繰り返してやる。
・「即今当処自己」人間は、今、ここ、自分でしか生きられない。
・外に出られない時期を、うまく自分の人生にとっての種まきの時期とした。
・引用元の文章へ飛んで楽しむのも、古典の読み方の一つ。
・区切りをつけることによって「昨日の続きの今日ではない」と示す。
・少しでも傲慢になったりすると、天はあなたを見限る。
・「恒産ある者は、恒心あり。恒産なき者は、恒心なし」
・「正心誠意到知格物、修身斉家治国平天下」という八条目。
・怒り、恐れ、楽しみ、憂いといったものが心にあると、正しい判断ができない。そのために、ひと呼吸おいて、心を変えることが重要。
・「大学」は、偏りをなるべく無くして、中庸へ、中へいくのが重要なのだと教えている。
・「大学」という書物自体が固まったのは、南宋の朱子の時代から。
・「大学」は、「三綱領」と「八条目」をしっかり把握することが大事。
・手ごわい家族をしっかり教導、教化できれば。
・「孝」の基本は「愛と敬」
・「心誠に之を求むれば、中らずと雖も遠からず」
・「恕」とは無償の行為。ひたすら慈しむ。
・「この基準で行きなさい」と決めるのが根本的な教育。
・「上からされて嫌なことは下にはしない」これが基準になる。
・「ケックの道」 人間には規範が重要。
・戦前までは江戸由来の伝統的な規範形成教育があったが、占領期にGHQが日本の教育を徹底的に調査して「これは外した方がいい」としたものの中に、規範形成教育が含まれていた。
・「正」とは「この線で止まれ」という意味。正しいことをやろうと思ったら、基準となる線が必要。
・母からは「慈愛」情緒的で主観的な愛。父からは「義愛」論理的で客観的な愛。
・情緒、論理、主観、客観という4つが身についている人間が、立派なビジネスパーソンになる。
・「信」が生まれるには条件があって「仁義礼智」の四徳をしっかり修めて、それを発揮した人にだけできるもの。
・君子はいつも「徳」に照らして、自分の言動をチェックしなければならない。
・リーダーとは、リーダーシップを持つと同時に、教師として下の人を教育するという任務ももっている。これを「君師」と言う。リーダーシップと教育係という二つの役割がある。
・三代の隆 夏、殷、周という理想的な国家が三代続いた。
・理想的な社会ではこういうことをやったということを書物に編纂して伝えようとしたのが孔子。
・六歳で皆「小学」にはいった。掃除、応対、進退の節を教えた。
・お金は大切だが、人間の心を惑わしてしまう強敵でもある。
・儒家の思想も、道家の思想、老荘思想も、欲望を認めているからこそ「これは守らなければいけない」という一線について、滾々と説いているのである。
・本能にブレーキをかけること。これが修身の最大の眼目。
・近代西洋思想は、個人主義、エゴイズムが特徴。自分と他人を分離しがち。
・横井小楠は、政治は、民の幸せのお世話係だと言った。
・「大学は、孔子の遺書にして、初学の徳に入るの門なり」
・大学を読んだら、次に「論語」を読み「孟子」を読む。
・現代人は、近代西洋思想の「物事の知識は全部外側から学ぶ」という考え方に毒されている。
・東洋思想の古典に共通して書いてあることはそれとは逆で「人間が生きるために重要なものは、全部あなたの中にある」ということ。
・これからは、西洋思想と東洋思想の知の融合の時代になる。
・田口氏の熱い心が、「大学」という経書を解かして水にし、万人が読みやすく理解しやすいものに変えてくれた。
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●参考:「大学」を読んでいた二宮尊徳翁の本
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