○郷学研修所・安岡正篤記念館 ビジネス会員向け「古典講座」に参加するにあたり読んだ本。
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『先哲が説く指導者の条件~「水雲問答」「熊沢蕃山語録」に学ぶ』 安岡正篤(1998、2005)
○2022年5月からスタートする郷学研修所「ビジネス会員」向け講座の課題本。
第一部『水雲問答』を読む
●第一章 治と乱
・『水雲問答』は、『甲子夜話』の中に収録。
・板倉勝尚(綽山候:白雲仙人=雲)と、林述斎(墨水漁翁=水)との手紙のやりとり。
・自らの徳と行いが、いつとはなしに、人々を感化していく。
・才は、徳に及ばぬ。
・批判がましく、干渉がましいと、賢そうに見える。
・去私の術、勉学の外之れ無し。
●第二章 権と人
・苦しみが無いと、精神はのびてしまう。
・使えば使うほど、頭は冴える。
・自分はこういうことはしないんだというのが「為さざるあるなり」である。
・人の上に立つ者が、お手本を示すよりほかはない。
・種を来春に残すを識者の業とす。
・時が来たら、それが必ず育って自ずから世を救う。
・道というものを会得してないと、権略だけでうまくゆくものではない。
・我が心、秤の如し。人の為に低昂するに能わず。(諸葛孔明)
・人情味、人間味がなくなる。つまり軽薄になる。それでは、人心がつかん。
・要職にある者には、任怨、分謗ということがある。
・常に思想を練る、覚悟を練るという古人の心がけ、こういうのが本当の活学、活きた学問である。
●第三章 人間の用い方
・体験に根差し叡智から発するところの学問。その場しのぎの間に合わせの学問ではなく、世界の先の先を見通すだけの見識。
・見識とは判断力。(知識を基に)これをどうするかという見識。
・小人の才子を用いるには、よほど腕に覚えがないと。
・人間を、才と徳とに分ける。
・才が徳より勝っておるタイプの人間は、小人。徳が才より勝っておる型の人間を、君子という。
・褒美には二つある。才人には、賞。徳ある人には、地位。
・家庭教育で一番大事なのは「悪まずして厳」
・厳とは、子に厳しいことより、自己に厳しくすること。
・善の善たるゆえんは、まず己に返り反省するところにある。
●第四章 失敗と工夫
・(失敗するのは)学ばないから。
・できた人は、成功したときよりもむしろ失敗のときの始末のほうが立派である。
○小人(才>徳)=できる人 君子(徳>才)=できた人 って言えるかも。
・「力行は仁に近し」(中庸)
・古典とは、現代の諸問題に対する解決の原理、原則というものを力強くちゃんと打ち出しておる。
・論語には、三種類ある:古論、斉論、魯論。『魯論』が一番通行した。
・聖賢の教は極めて平々凡々、誰でも実践できる道から説いている。
もし英豪を以って教訓にすると、若い者を次々に台無しにするだろう。
第二部 経世済民の真髄
●第一章 道と法
・熊沢蕃山先生の学問、見識は、本当に解脱しておる。何らこだわりというものがない。
・日本人は「デモクラシー(Democracy)ではなく、デモ狂(Democrazy)にしてしまった」
・選挙においては、人間的にも善であり、能力的にも優秀である人間が選ばれなければならん。
・判断を下すのが見識。この見識に実行性、いかなる矛盾、衝突も排して、断固としてやる勇気が加わると、これを「胆識」という。
●第二章 日本精神
・「水を掬(きく)すれば月手に在り」
・日本は国土が非常に若い。したがって放射能が非常に豊かである。
・今の日本人は、道徳嫌いになっている。
・真の意味の道徳とは、是非、善悪をはっきり裁くものなのである。
・道徳が無いと、人間は間違いなく滅びる。
・正しい思想、正しい学問を興すこと。一灯照隅行で、一人一人がわが立つ一隅をそれぞれ照らしていく。
・活学の一番の近道は、活人に学ぶこと。
・子供を躾けるとは、叱ったり強制したりすることではなく、父母の在り方が、自然にお手本になるということ。
・本当の家庭教育というのは、親そのものの普段の態度、姿勢次第なのである。
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『素顔の安岡正篤~わが祖父の想い出』 安岡定子(1988)
○講座で講師を務めて下さる安岡定子先生の本。安岡正篤先生の好々爺ぶりが伝わってくる。文章が温かい。
・時間は自分で作り出すもの。
・多忙になると、却って求道心が旺盛になり、頭が働くもの。
・本質的要素は、人間の徳性、習性。附属的要素は、知識、技能。
・明治時代の目標は、西洋文明だったので、知識、技能は驚くべき発達をした。
・人間にとって最も大切な躾けや徳性というものをおろそかにして、小学校から中学校、高等学校まで、大学の予備校にしてしまった。
・読みたいその時に実行しなきゃいかんよ。それがコツなんだ。
・おぢいちゃまは、自分で実行しているから言えるんだなあ。
・祖父の生活の全てが、陽明学の精神に基づいていたと言えます。
・人には寛大で、自分自身には厳しい人でした。
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『陽明学のすすめ ~経営講話「抜本塞源論」』 深澤賢治(2005)
○郷学研修所で、以前購入した本。安岡正篤先生に直接会ったことはなく、書籍から学んだ方だそう。
・会社を本気で経営するには学問の裏づけがなければできぬ。また学問の裏付けがなければ、事業を行ってはならぬ。
・本物の経営者を目指す者にとって、学問は必要不可欠である。
・王陽明の人生を辿っていくと、山田方谷の人生と多くの共通点を見出すことができる。
・王陽明の学問は、中国ではあまり評価されず、日本に来て花開いた学問。
・「山中の賊を破るは易し。心中の賊を破るは難し」
・学びたい、覚えたい、調べたいという気持ちが沸き起こった時には、すべてを投げうち、そのことに執着して学ぶことに費やさなければならない。
・日本における陽明学は、中江藤樹が開祖であるといわれている。
・実業の世界を一所懸命生き抜いてくるほど、心が乾くもの。
・実業界の人間は、学問の素養がなければいけない。
・王陽明の「抜本塞源論(ばっぽんそくげんろん)」は、実行した後で書いたもの。
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『陽明学のすすめ ~人間学講話「安岡正篤・六中観」』 深澤賢治(2008)
・四書五経を暗記すれば、学者として通用するようになっていく。
・日本人の心の拠り所は、天皇制という仕組みである。
・便所では、心の汚れたものを排出すべきである。便所は、その意味でも沈思黙考の場であり、そのための良書を読む場。
・1日の中、たとえ20分でも、30分でも、専門を離れた純粋な教養の書物、哲人の書や名言、語録、或いは名作といった心を養うような書物を読むことにしておる。
・To be good まず己を磨けというところが腑に落ちた。
・知行合一。知っているということは、行動の裏付けがあって始めて、本当に知っていると言える。
・六中観をそれこそ腹に入れておれば、何事につけても余裕綽々たるを得る。
・壺 別天地は何か。別天地とは、身が引き締まる所、尚且つ、心が癒される所、エネルギーが身体の奥深くから湧き上がってくる所。
・本とは、困った時に、解決策を教えてくれる打出の小槌。
・困った時や疲れた時は、わずかの時間でも、身体の中におさまっている「腹中の書」を取り出して考える癖がついた。
・孟子は、孔子に私淑した又弟子であった。
・安岡正篤先生に師事して薫陶を受けた面授の直弟子ではない深澤氏によって、安岡教学がかくも見事に活学されている。
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