○「心の栄養」としての安岡先生本。(東洋古典3冊)
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『易学入門』 安岡正篤(1960、2022)
・他の学問が身につくにしたがって、易の偉大さがまたしみじみ味われるようになった。
・易は、徹底した生の哲学である。
・運命は、宿命ではない。
・海老は、死ぬまでよく殻を脱いで、常に溌剌としておるから、永遠の若さの象徴として珍重される。
・陰陽相待性理論 Yin and Yang Theory
・五行において最も大切なのは、相生・相剋関係である。
・天人地の三才。地は現実、天は理想、人は実現。
・初学の人が「易経」を読むには、公田連太郎氏の「易経講話」5巻が最も親切丁寧である。
○これ読んでみたい。
・早く良い習慣をつけて、これを育て上げてゆけば、どんな大善をなすこともできる。
・少年教育の究極は、鍛錬陶冶にある。ただ憎んだり傷めつけてはいけない。邪悪からふせいでやるが良い。
・「地天泰」
・歩く心がけが大切。足を丈夫にせよ。
・『大学』は、易と相通ずるところが多い。「身を修める」ことから常に出発するのである。
・苦労は、人を深くし、新たな勇気や力を生ぜしめる。「艱難・汝を玉にする」
・一家の主人たる者、その言うことがあてにならず、することがぐらぐら変わるようでは、家は治まらない。
・自尊驕慢になってはならない。必ず自分を今日ここまでさせてくれた恩人の祖先や先輩に感謝してお祭りをせねばならぬ。
・問題が突発した時。落ち着いて警戒し、後で笑い話になるように心がけること。
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『呻吟語を読む』 安岡正篤(2018)
・『呻吟語』の著者 呂新吾(ろしんご)は、彼自身が学問そのもの、道そのものと言ってよい。
・治乱興亡の究極は、結局人間の問題、己自身の問題に帰する。
・何でも機械が答えを出してくれるから、大衆は人間性、精神性、あるいは思考力、創造力というようなものを失って、きわめて変な動物的人間になってしまう。
・「暮夜知る無し」 楊震の「四知」 「天知る、神知る、我知る、子知る 何をか知るものなしといわん」
・人を治めようと思ったならば、まず以て己を修めなければならない。
・ねたみは、人の大罪である。
・「進言に四難有り。人を審(つまびら)かにし、己を審かにし、事を審かにし、時を審かにす。一も不審有れば、事必ず済(な)らず。」
・人間というものは、逆境よりも順境、禍よりも幸に弱いもの。
・酔った時というのは最もよくその人が出るもの。「玉山崩れんとす」などというのは、できた人の酔い方。
・「喜怒哀楽の四者を出でず。」 いかに喜びいかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか。
・世教、道徳を熱くしておく。
・呂新吾先生が長官をしていた地方では「嫁を貰うならそこから貰え。婿を探すならそこから探せ」というぐらい大きな感化を及ぼしている。
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人間錬磨の書「呻吟語」に学ぶ 豊田良平
・一言で言えば、自己革新の書。
・呻吟とは、良心の呻き(うめき)
・「深沈厚重(しんちんこうじゅう)」と「安重深沈(あんじゅうしんちん)」は、本書の思想の中心をなすもの。
・呼吸は、「呼」が先。まず息を吐く、それから吸う。
・与えるものは与えられる。人を生かすことによって、人に生かされる。それが人生の真理。
・「我を亡ぼす者は我なり。」
・喜神を含み、胆識を以て実行することが大切。
○ここに選ばれている呻吟語、素読しよう!
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『立命の書 「陰騭録」を読む』 安岡正篤(2018)
・本書の元となった講義は、昭和43年から44年に亘り、大学紛争と安保反対闘争に明け暮れていた頃に行われた。
序章 「陰騭録」を読む意義
・袁了凡(えんりょうぼん)の『陰騭録(いんしつろく)』
・運命と立命の学問
・易学とは、変わる学問であり、易える(かえる)学問である。
・いかなる共産主義を考えても、人類の救いにはならない。
第1章 立命の学
・乱世の後には、必ず学問が興っている。懲りなければ、人間は勉強しない。
・武将は、暇を見つけては真剣に読書している。
・袁了凡は、自分の悟った本当の運命というものを、自分の子供に教えるために、『陰騭録』を書いた。
・ゲーテの若い時の畏友 マックス・フォン・クリンゲルは、次のように言う。「誠の人間というものは、彼の義務が要請する時と場合においてのみ、世の舞台に出なければならぬが、それ以外は退いて家にかえり、少数の友人と交わり、尊い書籍に学んで、なるべく人知れず生きるべきである」 私など大いに共鳴するところである。
・「面にあらわれ背にあふる」 背にエネルギーというか、力があふれておらなければならない。
・惑えば惑うほど、心を潜めて古人の教を学ぶことが、一番間違いのない解決方法である。
・「日々是れ好日」に生きるのが一番。
第2章 謙虚利中
・内省を深めるようになると中身ができ、自ずから風采、態度が変わってくる。
・「命を造るものは天なり。命を立つる者は我なり。」
第3章 積善
・フランクル教授(『夜と霧』著者)は「意味への意志というものをはっきりと自覚することである。それによって自ら心にささやきが起る。そういう心がけが次第に普及してくると、いつの間にか世の中が大きく変わる」と、こういうことをしみじみと説いている。
・「積善の家に必ず余慶あり」
・みな意識の深層に沈潜している。何かの拍子にふっと意識に浮かんでくる。これが夢だと。
・「難(かた)くして肯(あ)えて為す、是れ一、百に当たるなり」
・「己の長を以て人を蓋(おお)ふこと勿れ。己の善を以て人に形(あら)はすこと勿れ。己の多能を以て人を困(くる)しむること勿れ」
・常に人を愛し、人を敬する心を失わぬを仁礼という。
・日常経験するところに従って、愛敬の心を存してゆけばよい。
・片言・隻句で決まる。
・善事というものは、常に失敗しやすいもの。
第4章 改過
・「先ず須(すべか)らく過を改むべし」
・恥心、畏心、勇心の3つの心を具えれば、たとえ過があろうとも、消えてしまう。
・行うて自分の思うようにならないのは、皆自分の徳が至らないからであり、人に感化を及ぼしえないからである。
あとがき
・自己を超えた絶対者の意志を畏れ、自己の行動を慎むという陰騭思想。
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