【木曜日24-6】為末大さんの本

木曜日

○Kazuma企画「読書会議」でのKaさんお薦めの本。(2冊)

===

『ことば、身体、学び』為末大・今井むつみ(2023)

・映像には多くの情報がある。人が意識できるのは、1か所程度。
・ことばは、大事なところにスポットライトを当てることが出来る。

・ことばが身体に繋がっていることが大事。
・抽象的な記号が、身体経験に結びついていないと、そもそも学習ができないのではないか。

・具体的に身体が動き出すことばと、そうでないことばがある。

・人間は、身体がなければ、読書ができない。
・こどもが一人で読む前に、大人が音読してあげるとよい。文字を出コードする際の支援になる。

・状況への対応能力、調整力が高いということが、熟達したということでは。

・自分が持っている表象の応用可能な範囲はどこまで、どこから先はうまく機能しないかがわかる賢さも必要。
○これ、ほんとそうだろうな~。「TVのなんでもコメンテーター」にはならないようにしないと。

・シャーロックホームズのように、人間の心を想像できる人が、いちばんすごい。

・熟達の究極は、豊かな直観、ひらめき。

・自分で導きだせるように、素材や環境は提供する。これを「足場架け」と呼ぶ。

・「この本は、信じられる」という勘。

・情報処理を深くする。

・アウトプット(説明)しないと、知識は定着しない。

===

『熟達論』為末大(2023)

・その人が今いる成熟段階の違い
・熟達とは、特定の領域において、技能が極まった状態。
・熟達の探求プロセスの5段階:遊、型、観、心、空

・自分の段階をおおよそではあるが掴むことができれば、今何をやるべきかを知ることができる。
・熟達の最大の喜びは、身体を通じて「わかっていく」ことにある。

・心が面白いと感じるかどうか。
・自分の心を守る。

・「やれば変わる」と信じられる成功体験。

・人間の最大の特徴は「何にでもそれなりに対応することができる柔らかさ」である。

・型の習得の性質として、とりあえず丸呑みするしかない。
・先人が一通りすべてを体験した中で、これが将来に渡り最も基本だと考えたものが型として残っている。

・「見る」とは「分ける」ことである。
・一見関係のないものから学んで活かせる人は、構造が見えている。

・上級者は、雑念が浮かび上がっても、長く滞在させず流していく。

○「二念を継ぐな」の感覚かも。
https://www.learn-well.com/blog/2021/06/21tkc_210604.html

・最もわかったという感覚を持ちやすい、万能感が生まれやすいのが、構造が見え始める入り口の段階。
○これ気を付けないとな~。分かったつもりになって、偉そうになってしまう。

・自分の特徴が活かせる場所を選ぶ。

・必死で何とかしようとしている自分自身こそが、足かせになっていたのではないか。
・「空」に入れるか否かは、身体に自分を委ねられるかどうかにかかっている。

・走ることと書くことは似ている。

・学ぶという行為は2つの見方をすることができる。一つは獲得。もう一つは制限を取り払う。

・学びそのものが「娯楽化」するのが熟達の道だ。

○ためしに、色々、熟達の5段階で考えてみる。

 仕事(研修講師業)の熟達は、「遊」は分からないけど、「型」は確かにあったし、「観」で指導し、「心」も分かってるつもり。「空」は無い。

 仕事(起業支援業)の熟達は、最初確かに「遊」だったかも。知り合いの起業相談に無料で乗るところから始まり、今は「心」の段階?「空」は無い。

 好きでやってる「山歩き」は、「遊」の段階。山伏の瀧田さんレベルになると、きっと「空」まであるんだろう。

 小1の時から続けている「水泳」は、「遊」「型」の段階。「観」まで行ってない。人に指導できない。

 「本を読む」には、熟達はあるんだろうか?「遊」の段階はあるけど、本を読む「型」ってあるのか?

 「本を書く」には、熟達がありそう。「遊」「型」「心」はありそうで、「空」も行きそうな感じがする。

===

●参考

投稿者:関根雅泰

コメントフォーム

ページトップに戻る