○1990年~1996年にかけて留学していた大学を見に行ってきました(5月24日)
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12時半、USMへ
1910年設立。
当時はもう少し木が多かった気がするのですが、だいぶ開かれていて、綺麗なバラ園になっています。
USMのロゴにもなってる建物。
30年前は、ドームが、もう少し緑がかっていたと思います。
1990年3月に入学した英語学校 ELI: English Language Institute があった場所は、駐車場になっていました。
私は、34年前にここで妻と出会ったのですが、そこにあった石のベンチや自販機も無くなってました。
右側の2階建ての建物は、当時、図書館でした。
今は、何かの事務所になっているようです。
ただ、図書館はどこかにあるはずなので、探しに出かけます。
ELI、図書館から、Pearl Streetを、まっすぐ行くと、当時住んでいたアパートがありました。(今は更地になってました)
元の建物の裏側が、図書館になっていました。
入ってみます。
勉強する場所は多くありますが、肝心の本がありません。
ストレス発散ゾーンはあります。
受付の女性に、訊いたら「2階から5階に、本がある」とのことです。
当時、2階建てだった図書館が、なんと5階建てになったということで、ビックリです!
5階は「サイレントゾーン」になっていました。
「喋らない、スマホを使わない」とのことです。
4階は「ウィスパー(ささやき)ゾーン」
3階は「カンバセーション(会話)ゾーン」
私が専攻していた「Anthoropology」の本があるようです。(当時、Double Majorで、「Anthoropology人類学」と「International Studies国際関係学」を専攻してました)
古い本のいい~香りがします。
この辺りの書架が、当時特に勉強していた「インディアン Native Americans」に関するもののようです。
Hopi族の本もありました。
ず~っといてもいい場所です。
2階に降りてみます。
こんな部屋もありました。
USM卒業生がどこから来たのかを示す地図のようなので、
ジャパーン! ときがわのあたりにも、印をつけておきました。
1階は「コラボレーション協働ゾーン」
スタバも入ってました。
この図書館なら、勉強がはかどりそうです。
図書館を出て、別の建物に向かいます。
当時「テック」と呼んでいた建物で、夜中はここに来て、勉強してました。(寮だと、ルームメイトがいたり、うるさかったりで、勉強しづらく)
今もありました!
そう! ここに自販機があって、小腹がすいたときに、お菓子を買って食べてたんですよね~。
勉強が終わって、帰る時に、いつも見ていたここのドア。
100周年記念コーラがありました。2010年は、盛り上がったでしょうね。
テックを出て、歩いていきます。昔、コモンズという学食があった場所は、芝生に変わっていました。
当時、この学食でバイトをしていて、青いポロシャツを着て、皿洗いをしてました。下げられるお皿を、素早く皿洗い機にいれていく役割と、皿洗い機から出てくるお皿を素早く取る役割が必要で、私は両方とも速いほうでした。当時は、バングラデッシュ、インド、中国から来た留学生たちと、皿洗い競争をしていました。
ゴミ出しとか氷を取りに、下の階に行くことがあるのですが、当時眠くて仕方ない時は、下の階のトイレで少し寝て、上の階に戻ってくるようなことをしていました。
芝生には、リスがいます。
当時からいましたが、相変わらず可愛いですね。
学食跡地から、「ハブ」と呼ばれていた建物に向かいます。
ここは、当時、郵便局、書店、小さな食堂が入ってました。
ここに、Post Office Box私書箱があったのですが、無くなっています。
小さな食堂も変わっていました。
2008年に、アトランタでASTDがあった際に寄った時は、当時、学食で一緒に働いていた黒人のおばちゃんがいました。今、どうしているのでしょうか。
ここで、「International Fair」をやってました。
当時、空手(松濤館)を教えてくれていた リョウヘイさん、イサオ、カサちゃん達と一緒に、ここで空手の演武をしたこともありました。
この建物の隣が増築されていました。
「バーンズ&ノーブル」という本屋も入ってます。
キャンパスは、夏休み中で、殆ど人がいなかったのですが、ここにはたくさんいます。
秋学期に向けてのオリエンテーション期間だそうで、昨日は300人ぐらい来たそうです。
教科書を買っている学生さん。
親御さんらしき人達と一緒に来ている学生さんもいます。
この年になると、大学に送り出す親の気持ちもわかるようになりますね。
(うちも、18歳の次女が、カナダに語学留学に行っています)
1階では、学生証の写真を撮ってました。
POBOXは、こっちにありました!
建物を出て外へ。
こういう素晴らしい環境で勉強ができるのは、羨ましいですね。
留学させてくれた両親に、改めて感謝します。
「ハブ」と「テック」の裏側に、当時住んでいた寮の一つ「ボンドホール」があります。(この時は、でかい黒人のルームメイトで、時折、彼女を連れ込むことがあったので、その時に「テック」に来てました)
今は、寮としては使ってないようで、カウンセリングルームに変わっているようです。
よく運動をしに行っていた「ペインセンター」
学生証で中に入り、右側にはラケットコート。2階に空手ルーム。左側にはプールへの入り口がありました。
受付のお姉ちゃんに訊いたら、プールもラケットボールも、まだ普通にやっているそうです。
入口脇には、ボルダリング用の壁もありました。当時は無かったです。
最後に、「ELI」を探しにいきます。
Google Mapでは、この辺りにあるはずです。
English Language Institutの文字は見当たりません。
たまたまエレベーターで降りてきた二人(職員?教員?)に訊いたら
「今は無くなって、我々がその機能の一部を果たしているんだよ」とのことでした。
2階は、なんとなくInternationalな雰囲気です。
語学留学性の受け入れは、それほど活発ではないのかもしれませんね。
15時、見学終了。ホテルに戻ります。
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○メモ
・USMは、新しい建物も増え、駐車場も増えてた。
・町も、前は森ばっかりだったのが、かなり発展している。USMのお陰?
・おそらく100周年に向けて、寄付もかなり募ったのだろう。
・1910年から100年以上残るには、理由があるはず。USMの教育そのものもそうだし、応援したくなるスポーツクラブ(フットボール、野球)の存在もそうだろう。
・卒業生(私達含め)が訪ねてくるのは、一つに、USMの「建物」があるからだろう。建物がなくなり、更地や別のものに変わっていたら、訪ねてくることがなくなる。場所や建物の重要性。
・比企起業大学を、100年続けていくとしたら、どうするか・・・。これから色々考えていこう。
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