University of Southern Mississippi

アメリカ出張 2024

University of Southern Mississippi

○1990年~1996年にかけて留学していた大学を見に行ってきました(5月24日)

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12時半、USMへ

https://www.usm.edu/

1910年設立。

当時はもう少し木が多かった気がするのですが、だいぶ開かれていて、綺麗なバラ園になっています。

USMのロゴにもなってる建物。

30年前は、ドームが、もう少し緑がかっていたと思います。

1990年3月に入学した英語学校 ELI: English Language Institute があった場所は、駐車場になっていました。

私は、34年前にここで妻と出会ったのですが、そこにあった石のベンチや自販機も無くなってました。

右側の2階建ての建物は、当時、図書館でした。

今は、何かの事務所になっているようです。

ただ、図書館はどこかにあるはずなので、探しに出かけます。

ELI、図書館から、Pearl Streetを、まっすぐ行くと、当時住んでいたアパートがありました。(今は更地になってました)

元の建物の裏側が、図書館になっていました。

入ってみます。

勉強する場所は多くありますが、肝心の本がありません。

ストレス発散ゾーンはあります。

受付の女性に、訊いたら「2階から5階に、本がある」とのことです。

当時、2階建てだった図書館が、なんと5階建てになったということで、ビックリです!

5階は「サイレントゾーン」になっていました。

「喋らない、スマホを使わない」とのことです。

4階は「ウィスパー(ささやき)ゾーン」

3階は「カンバセーション(会話)ゾーン」

私が専攻していた「Anthoropology」の本があるようです。(当時、Double Majorで、「Anthoropology人類学」と「International Studies国際関係学」を専攻してました)

古い本のいい~香りがします。

この辺りの書架が、当時特に勉強していた「インディアン Native Americans」に関するもののようです。

Hopi族の本もありました。

ず~っといてもいい場所です。

2階に降りてみます。

こんな部屋もありました。

USM卒業生がどこから来たのかを示す地図のようなので、

ジャパーン! ときがわのあたりにも、印をつけておきました。

1階は「コラボレーション協働ゾーン」

スタバも入ってました。

この図書館なら、勉強がはかどりそうです。

図書館を出て、別の建物に向かいます。

当時「テック」と呼んでいた建物で、夜中はここに来て、勉強してました。(寮だと、ルームメイトがいたり、うるさかったりで、勉強しづらく)

今もありました!

そう! ここに自販機があって、小腹がすいたときに、お菓子を買って食べてたんですよね~。

勉強が終わって、帰る時に、いつも見ていたここのドア。

100周年記念コーラがありました。2010年は、盛り上がったでしょうね。

テックを出て、歩いていきます。昔、コモンズという学食があった場所は、芝生に変わっていました。

当時、この学食でバイトをしていて、青いポロシャツを着て、皿洗いをしてました。下げられるお皿を、素早く皿洗い機にいれていく役割と、皿洗い機から出てくるお皿を素早く取る役割が必要で、私は両方とも速いほうでした。当時は、バングラデッシュ、インド、中国から来た留学生たちと、皿洗い競争をしていました。

ゴミ出しとか氷を取りに、下の階に行くことがあるのですが、当時眠くて仕方ない時は、下の階のトイレで少し寝て、上の階に戻ってくるようなことをしていました。

芝生には、リスがいます。

当時からいましたが、相変わらず可愛いですね。

学食跡地から、「ハブ」と呼ばれていた建物に向かいます。

ここは、当時、郵便局、書店、小さな食堂が入ってました。

ここに、Post Office Box私書箱があったのですが、無くなっています。

小さな食堂も変わっていました。

2008年に、アトランタでASTDがあった際に寄った時は、当時、学食で一緒に働いていた黒人のおばちゃんがいました。今、どうしているのでしょうか。

ここで、「International Fair」をやってました。

当時、空手(松濤館)を教えてくれていた リョウヘイさん、イサオ、カサちゃん達と一緒に、ここで空手の演武をしたこともありました。

この建物の隣が増築されていました。

「バーンズ&ノーブル」という本屋も入ってます。

キャンパスは、夏休み中で、殆ど人がいなかったのですが、ここにはたくさんいます。

秋学期に向けてのオリエンテーション期間だそうで、昨日は300人ぐらい来たそうです。

教科書を買っている学生さん。

親御さんらしき人達と一緒に来ている学生さんもいます。

この年になると、大学に送り出す親の気持ちもわかるようになりますね。

(うちも、18歳の次女が、カナダに語学留学に行っています)

1階では、学生証の写真を撮ってました。

POBOXは、こっちにありました!

建物を出て外へ。

こういう素晴らしい環境で勉強ができるのは、羨ましいですね。

留学させてくれた両親に、改めて感謝します。

「ハブ」と「テック」の裏側に、当時住んでいた寮の一つ「ボンドホール」があります。(この時は、でかい黒人のルームメイトで、時折、彼女を連れ込むことがあったので、その時に「テック」に来てました)

今は、寮としては使ってないようで、カウンセリングルームに変わっているようです。

よく運動をしに行っていた「ペインセンター」

学生証で中に入り、右側にはラケットコート。2階に空手ルーム。左側にはプールへの入り口がありました。

受付のお姉ちゃんに訊いたら、プールもラケットボールも、まだ普通にやっているそうです。

入口脇には、ボルダリング用の壁もありました。当時は無かったです。

最後に、「ELI」を探しにいきます。

Google Mapでは、この辺りにあるはずです。

English Language Institutの文字は見当たりません。

たまたまエレベーターで降りてきた二人(職員?教員?)に訊いたら

「今は無くなって、我々がその機能の一部を果たしているんだよ」とのことでした。

2階は、なんとなくInternationalな雰囲気です。

語学留学性の受け入れは、それほど活発ではないのかもしれませんね。

15時、見学終了。ホテルに戻ります。

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○メモ

・USMは、新しい建物も増え、駐車場も増えてた。

・町も、前は森ばっかりだったのが、かなり発展している。USMのお陰?

・おそらく100周年に向けて、寄付もかなり募ったのだろう。

・1910年から100年以上残るには、理由があるはず。USMの教育そのものもそうだし、応援したくなるスポーツクラブ(フットボール、野球)の存在もそうだろう。

・卒業生(私達含め)が訪ねてくるのは、一つに、USMの「建物」があるからだろう。建物がなくなり、更地や別のものに変わっていたら、訪ねてくることがなくなる。場所や建物の重要性。

・比企起業大学を、100年続けていくとしたら、どうするか・・・。これから色々考えていこう。

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投稿者:関根雅泰

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