○慶應MCCで受講する平藤先生の本(3冊)
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『神話でたどる日本の神々』平藤喜久子(2021)
・神々には得意分野がある。
・古代の神々について知りたい時に手がかりになるのが、古事記、日本書紀、風土記。
・エロスとは、あるものとあるものを結びつける力や衝動を表す。
・抽象から具象へという世界のはじまりの神話にみられる一般的な傾向が、日本の神話にも見ることができる。
・近親婚は、ほぼすべての文化でタブーとなっている。
・近親婚という特別な交わりのもつ特別な力だからこそもたらされる。そのような想像力は破壊につうじる。そのため秩序が出来上がった人の時代には、禁止されることになる。
・異類であることを知られない間は、夫婦でいられる。
・「見るなの禁」「驚くなの禁」
・体を「開く」ことが心を「開く」ことになる。
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『聖なるものを撮る』平藤喜久子・港千尋編(2023)
・日本の聖地は、昔から観光のまなざしにあふれていた。
・なぜ、聖なるものと、写真撮影は相性は悪いのか。
・江戸時代に爆発的に信徒を増やした富士講の富士塚のように、今日、顧みられずに忘れられてしまっている聖地は数多く存在する。
○うちの裏山の富士塚もそうだよな~。行くとなんか心が落ち着く場所。
・カムイを「神」と短絡してしまうことには、危うさがありそう。
・その場所自体が、遠くから私を見つめているような気がする。
・プロは「撮れない」と思っている。
・撮影とは、ある一点を選ぶことに他ならない。
・労働者学校の人気講師だったルドルフ・シュタイナーの神智学theosophyへの転身は驚きをもって受け止められ、アカデミズムからの激しい批判にさらされた。
・撮影という行為の有する侵襲性、逆に聖なるものへの不可侵性
・聖なるものを伝えたいが、それが言葉や画像によって伝えられるのか
・「世界人類が平和でありますように」のピースポールで有名な白光真宏会の教祖 五井昌久には、「霊光写真」がある。
・格闘的で非常に荒々しい祭事に、数百年の歴史がある。
・恐怖心こそが、参加者を駆り立てる。死にあらがうエネルギーが充満してくる。
・写真というメディアは、柳田にとって「私的な作為」が混入しすぎるものであった。
・録音は、「常」をベタに記録するメディア。
・「面」には、それをかぶることによってその人間にない人間以外の力が与えられる。
・何もないからこそ、ここには本当の神聖がある。
・良い写真を撮るには、やはり光を知ることが大事。
・ファインダーをのぞくという習慣が必要。
・スマホで見ている世界は、一つの「家」。カメラで見る世界は、地球全体。
・まずは周りをよく見てみる。動きながら撮る。
○カメラで撮って見たくなる
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『現代社会を宗教文化で読み解く~比較と歴史からの接近』櫻井義秀・平藤喜久子 編著(2022)
・文化の根っこの部分に、宗教文化がある。
・歴史的に千年単位で見ていくほうが、現代の姿が明確になる。
・章題自体が、一つの問いになっており、章全体で読者と共に考えることをめざしている。
○これいいな~。
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・神の描き方にタブーは無いといえるだろう。
・神話や神がコンテンツとして、文化資源として、新たなアートの源泉となっている。
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・葬儀レス社会とは、葬儀に関わってきた寺院仏教が、社会から必要とされなくなる時代を予兆している。
・明治時代まで日本人の平均寿命は、30歳半ばを超えなかった
・移民を積極的に受け入れない限り、22世紀の日本は、人口規模で言えば、ほぼ明治のころに戻るだろう。
・葬儀、埋葬などが、家族にお任せで済む時代は終わった。
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・宗教は性差別に加担してきた。
・修験道で、修行の場となる霊山、あるいは比叡山や高野山などの山岳寺院を擁する聖地では、その地に女人結界をしいていた例が多い。
・女性行者たちは、女人禁制の環境がある中でも、声高に開放を叫ぶのではなく、行者として、地道な修行を継続することによって、その地位を築いてきた。
・女性が都合の良い労働力として使われてしまう状況。
○自営業者の研究でもあったな~。
参考:宮下(2019)小規模企業における事業主の妻への労働報酬
・「一時的な幸福」とは目前の欲望、欲求が満たされることによって得られる満足感。
・「持続的な幸福」とは周囲の環境に左右されず「何が自分にとって大切なのか」を確かに備わっていることで得られる幸福。
・持続的な幸福につながるアプローチとして、ケイパビリティ―(潜在能力)アプローチがある。
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・日々一つ一つの行いを神の意に適ったものにしようと努めることによってイスラームの教えを身に着ける。
・もはや選択する以外に、選択肢はない。
・衣服に関する選択の積み重ねは、何者として生きるかという試行錯誤の履歴でもある。
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●宗教は会社に指針を与えるか?
・経営を「特定の目的に向けた集団、組織の管理・運営」と捉える。
・前近代の社会システムの代表例としての宗教教団と軍隊。
・意外と多くの類似性が見られる。
・シャーマン=プリーストにみられるような協働関係
・西欧の近代資本主義の発展が、プロテスタンティズムの禁欲的な職業倫理や生活態度と深く関係したとするウェーバーの古典的分析がある。
・浄土真宗の教義が、近江商人の経済理論に大きな影響を及ぼした。
・「石門心学」などの宗教的倫理が、日本における資本主義の発展に寄与した。
・個人のカリスマ性だけに依存することなく、組織が持続する仕組みを考える必要がある。
・長い時間をかけて編集されてきた聖典
・教祖ゆかりの場所が、聖地化される
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・都市的生活様式は、近代合理主義(目的=手段的思考)に貫かれたもの
・非合理主義的な民族宗教が、大阪の近郊 生駒で、健在であった
・逃れの場は、近くて、安全な場でなければならない。
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・2013年の伊勢神宮の式年遷宮には、年間1400万人を超える人々が訪れた。
・「一時的に何ものでもない状態」
・宗教ツーリズム=知識に基づくツーリズム Knowledge based tourism
・カミーノは「聖なるものへの旅」というよりも「自己への内部の旅」「内なる自己への旅」
・「一人一人のカミーノ」が存在している。
・「歩き巡礼旅」の世界的ブーム。
・「巡礼」「トレイル」のテーマに合う嗜好をもつ外国人をターゲットに。
・神霊の力をプラクティカルに自分の利益のために使っていく。
○紹介されてた「現代修験道の宗教社会学」を買おう!
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・なぜキリスト教は、社会運動にかかわろうとしているのか。
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・孤立感を覚え、大学生になった気がしないというのが、2020年の新1年生だったろう。
・カルトかカルトでないかということに関しては「一線を越える」という表現がふさわしい。
・カルトは、ラテン語のcultusからできた言葉で「儀礼、祭祀」の意味で用いられる。
・カルトかどうかの目安:
1)指導者の教えへの服従がないか
2)過度に厳しい規則がないか
3)自己を否定されないか
4)全員が一般社会から離れ、集団生活に入る傾向がないか
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・神は、人間の脳から来たとする。
・他者の考えを認識できる能力(心の理論)を手に入れた。
・これが、4万年前以降のこととされる。
・悪とされる殺人のような行為が宗教的に肯定される
・人間には、そうした反応が組み込まれている
・逃げろタイプの行動か、かかれタイプの行動か。
・その時々の「最終決定」は、賭けのような性格をもつ。
・宗教には、人間の感情に強く働きかける部分がある。
・名作が翻訳されても、名作として評価される。
○人類が普遍的に受け入れる何かがある?
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