○慶應MCC「神話学」がきっかけになって読んでいる「古事記」(8冊)
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『古事記 倉野憲司校注』(1963)岩波文庫
●解説
・偽書説を是認する人は殆どないといってよい。
・天皇の即位から崩御に至る皇室の整然たる漢文体の記録
・上巻は、日本書紀の神代の巻に相当するもの。
・「建国の由来」が見事に立体的に物語られている。
・中下両巻はの構成は、平面的。
・上巻は「神の代」の物語であるが、中下両巻は「人の代」の物語である。
・古事記の文章詩句に、漢訳仏典の影響があるということについては、小島憲之博士や神田秀夫氏が指摘されたところである。
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新釈古事記伝 阿部國治(著)栗山要(編)(2014)致知出版社
○10年前(2014年)に購入し、積読になってた
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●第一集 袋背負いの心
・『古事記』の味わい方には、本道がある。
・日常生活の指導原理を全部『古事記』の中からくみ取っている。
・『古事記』は、大和民族の理想信仰を、ごくごく簡単につづめたもの。
・「ふくろしょいのこころ」
・できるだけたくさん、他人の苦労を背負いこむことを、喜びとせよ。
・成功した人達は、「自分の力で成功した」と思って、自惚れの気持ちを起こす。
・「いやさかのこころ」は、自己の速やかな生長発達を喜ぶように、他人の生長発達を喜ぶ心。
・「あかいだき」の示していることは、当たり前のこと、正しいこと、世の中のためになることを行う者は、すぐには世間から褒められたり認められたりはしないものであるということ。
・必要とあらば「あかいだき」をやりましょう。そして「うるわしきおとこ」となって出て歩きましょう。
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●第二集 うきゆい
・「へみはらい」 食いついてくる蛇を払い除けること
・『古事記』を読む時には、一文字一文字、一句切れ一句切れを、全身全霊をこめて読まなければならないし、また読めるようにならなければダメ。
・農業の技は、つづめてみれば、ヘビ、ムカデ、蜂、その他、もろもろの動物を相手にするもの。
・「しらみとり」を頼まれるようになれば、人間も大したもの。
・「心に愛(は)しく思ひて寝ましき」
・父親が励ましの言葉も言わず、安心しきって、永遠に死んでいくことができたら、子として親に対するこれ以上の孝行はない。
・本当に及第させたのならば、干渉などしないで、信頼して任せ、自分はそのことに関する限り寝ておって、その任せた者に全力を出させるのでなければならない。
○事業承継(創業社長とその子供)なんか、まさにそれが理想だよな~。
・「うきゆい」
・こういう箇所をはっきりすることが、かえって大事であると思う。
・人の生活は一人では成り立たない。人を他人を「呼ぶ」ことなしには、生活できない。
・『やまとことば』では、男性は「こ」で現わされ、女性は「め」で現わされている。
・夫婦は、円満完全な人間の一単位。
・「つまどい」とは「よき夫であるか、よき妻であるか」を確かめ合うこと。
・一夫多妻ということの人間性に反する事実を示している。
・実際に、一人の男と一人の女が結婚して、家をつくり経営をしていくことは、決して容易なことではなくて、必ず数々の波風が吹き付けてくるもの。
・「私の目を見ながら聞きなさい。ノートをとってはいけません。」
○こうやって言える講師の方は凄いよな~。
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●第三集 すくなさま
・『古事記』の原典として、漢文で出ているのは、元明天皇の和銅5年にできた所の「かたち」である。稗田阿礼の暗唱して伝えておったものを、太安万侶がこのような形で、漢文字にうつした。文字に現したいちばんのもとの「かたち」がこれ。
・一人でそんな良い名を持って、仕事の功績を自分のところに集めてしまったのでは、人心が倦むのは当たり前。
・形は見えないほど小さいし、名もないのだが、これが大事なこと。
・感謝する人もなく、ほめる人もなく、自然のこととして、皆が喜んでいる姿を見るのが、私の楽しみ。
・人の為になるような良い仕事をするときには、なるべく人にも世間にも知られないよう心を配るべきだということが、強く主張されている。
・修験道が生まれ出たり、武者修行の道が開かれたのも、その源は「すくなさま」の信仰にある。
・「おまつり」
・私自身の中に、ご先祖様から頂いた、大切な役に立つ魂があった
・人の本質は「おひかり」
・「ひもろぎ」とは、神聖に保たれたところの森であって、我々の先祖はそこにお参りして、自己の「おひかり」を取り出して、森の「おひかり」と照らし合わせたのだ。
・『古事記』の神代の段落は、日本民族の魂の世界の物語である。
・魂の世界の有り様
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●第四集 うけひ
・「なきいさち」 ことごとく困らせてしまう泣き方
・「なきうれい」 善美と秩序とを作り出す泣き方
・「ことよさし」 ある事を人に任せて執り行わせること
・(人間が)委任された「こと」は、人格完成の努力。
・自然に対して不遜であることは、自分自身に対して不遜であること。
・「いかり」にも2種類があって、本来の正しい怒りは、まことに貴いもの。
・傲慢と不平は、同じ心の現れであって「なきいさち」の親類。
・根本問題に真剣にぶつかっていくことが「まいのぼり 参上」である。
・きたなき心とは、「きた」のない状態の心、整頓されてない心。
・怒るべきときに怒れない大人の心は、やはり「きたない」と言ってよい。
・「うるわし」とは、「すべて、それで、よろしい」という状態の事。
・うけひ「受日」
・人間の行いの中で、いちばん元のものは「みこうみ」つまり子供を産むこと。
・阿部先生は、「荒ぶる神」として知られる建速須須佐之男命を「開拓の神」として解釈。
・神話の中には、原始時代から古代にかけての日本民族の世界観、人生観が語られているという解釈が定着し始めている。
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●第五集 かちさび
・『古事記』は、大和心の聖典。
・私共の行ないを、永遠の女性である「め」が見て、顔をしかめて逃げ出すようであれば、その行いは「麗しくない」のである。
・「やさかのまがたまのいほつのみすまるのたま」
・一つ一つ区切りをつけて、御霊鎮めをしながら、じっくり味わってみると、無数の意味がでくる。
○なぜか、声に出すと気持ちいい音の並び。
・言葉は、「いのち」に達する一つの道。
・「かつ」という言葉は「ある事柄をあくまでもやり抜いていく」という意味で、もっと根本的には「神のむすびを実現していく」という意味である。
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●第六集 あまのいわやと
・『古事記』というのは、汲んでも汲んでも汲み切れない「魂の泉」といってもいい。
・あまりに自分の受持ちの実現に熱心になると、ほかの受持ちの神様を忘れることになって、それを「かちさび」という。
・なきいさち ← いつのおたけび
かちさび ← のりなおし
・こどもの「なきいさち」に対しては、それを咎めなければならない。
こどもの「かちさび」に対しては、咎めない態度をとらなけれならない。
・信仰が元で、学問や技術は末である。
・末のために本を乱してはならぬ。
・科学や生活技術の研究というのは、決して犯してはならぬ限界がある。
・親子、夫婦というような人間関係の中の根本的な関係は、分析し尽せない関係、否定してはならない関係、ただそれを認めて、いよいよ発達させなければならない関係。
・すべての出発点と帰着点を、自らの中に求めようとなさっている姿が「みかしこみ」である。
・最後の場合に、決して逃げてはならない。自分の問題として、黙って引き受ける覚悟をしなさい。
・夫婦の関係も、どちらかが先ず「みかしこみ」の心を示すことにより、真の夫婦関係ができあがる。
・「こもる」とは、自分の内部へ内部へと反省を深めていくことを意味する。
・中心という存在は、大きさがあっては中心にならないし、絶対無私でなければ、中心でない。
・二宮尊徳先生も、成田山 不動様におこもりをし、21日の断食をして、日々数度の灌水をされ、昼夜怠らず「おいのり」をされた。
・「雨岩屋戸」の段落は、日本神話の核心。
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●第七集 やまたのおろち
・家というのは、その一つ一つが「安河」である。
・「ひと」の中から「ひかり」を取り出すことが「まいのぼり」
・おもいかね 思兼 「あちらのことを思い、こちらのことも思い、全てのものの立場を活かすように考える」
・思兼神は、学問の神様である。
・『古事記』は、日本国民としての実生活指導の原理が解き明かされている神典である。
・「桐一葉落ちて天下の秋を知る」
○いい歌だな~。
・精神的に傾いてもならず、物質的に傾いてもならず、中庸を取るべきである。
・「われわれの祖先が、この物語に、どんな意味をこめていたか」
・「心の持ち方一つで、世の中がこのように変わるのか」
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