○慶應MCC「神話学」の出雲フィールドワーク前に読んだ本(4冊)
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『新編 日本の面影』 ラフカディオ・ハーン 池田雅之(訳)(2000)
・日本がキリスト教に改宗するなら、道徳やそのほかの面で得るものは何もないが、失うものは多いと言わねばならない。
・世界でもっとも愛らしい4千万の国民も一緒に、日本全体をまるごと買ってしまいたい。
・鶯の「ホーケキョー」を、日本語に書き記すと「法華経」となる。
・一番神聖な地とされるのが、出雲の国である。
・神道の真髄は、むしろ国民の心の中に生きている。
・自然を、少なくともその目に見える形のままに理解することにかけては、日本人は私達西洋人よりもはるかに優れている民族なのだ。
・ほとんどの場合、生徒が先生に反抗する場合には、生徒のほうに理がある。
・日本人は、死に直面した時でも、微笑むことができる。
・微笑みは、教養のひとつなのである。
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『新編 日本の面影II』 ラフカディオ・ハーン 池田雅之(訳)(2015)
・(鎌倉の)大仏様こそ、日本人の魂の中にあるやさしさと安らかさのすべてを象徴しているように感じられる。
・海こそは、古の時代からの最も卓越した「語り手」なのだ。
・本来、キツネは稲荷があってこそ、神聖な存在であった。
・「左」は「清浄」と「幸運」を象徴していた。
・ヘルンは、極正直者でした。
・聖書は三部も持ってまして、長男にこれはよく読まねばならぬ本だとよく申しました。
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『怪談・奇談』 小泉八雲(1990)
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『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』 梅原猛(2010)
・学問的良心をもつ限り、出雲神話は全くの架空の物語であるという説を根本的に検討し直さなければならない。
・アマテラスを開祖とするヤマト王朝の前に、スサノオを開祖とする出雲王朝が、この日本の国に君臨していたと考えねばならない。
・オオクニヌシが、越のヒスイ王国を、武力で征服したことを物語っているようである。
・「古事記」を虚心に読む限り、出雲王朝がヤマトをも支配したことはほぼ確実。
・「古事記」選集の段階において、出雲大神の鎮魂ということが重要な国家的課題であった。
・イザナギ、イザナミは、縄文の神であると思う。縄文の哲学は「産み」「セックス」の哲学である。
・スサノオ、オオクニヌシの出雲神話は、弥生時代の話なのであろう。
・日本列島の文化的中心は、太平洋沿岸ではなく、日本海沿岸であった。
・出雲は、青銅器王国であった。
・スサノオが朝鮮から来たとすれば。
・銅鐸の起源が、出雲にあることをひそかに示しているのでは。
・土偶は、腹を裂かれて死んだ妊婦の像。
・記紀を解明するには、本居宣長説と共に津田左右吉説を徹底的に批判しなければならない。さらに私自身の説も。
・稗田阿礼が、藤原不比等である可能性は甚だ大であることが明らかになった。
・物部氏および忌部氏を祭事の主役から追い払い、中臣・藤原氏に独占させることが、「古事記」神話創造の目的であり、その象徴的建物が、出雲大社であったのである。
・藤原不比等こそが、ヤマト王朝に敗れた出雲王朝の神々を、出雲の地に封じ込めた張本人だと、私は思う。
・平和的に国譲りを行った悲運の英雄 オオクニヌシこそ、日本の民衆が心から愛した神である。
・「私は間違っていました」
○こうやって、自分の誤りを素直に認められるってほんと凄いよな~。
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