○慶應MCC「神話学」の出雲フィールドワーク後に読んだ本(5冊)
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『怪談・奇談』 小泉八雲(1990)
・策略
○この主人、凄いな~。この話、好き。
・常識
・僧は学識があったが、狸に化かされた。
・猟師は、無知で信心もなかったが、すこぶる常識に富んでいたから、化けを見破った。
○これ、俺ありそう。学におぼれて傲慢になり見誤る。こここそ、これまでの人生で、うちの奥さんに助けてもらってきたことなのかも。
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『怪談四代記 八雲のいたずら』小泉凡(2016)
・ニューオーリンズ クリーブランド通りのハーン旧居
○こことか、留学時代とか去年ATDで行った時に、通り過ぎてたのかも! やっぱり知らないともったいないことが多い。
・五木寛之曰く「松江は、自然を書きたくなる町」
・怪談には、生まれやすい場所がある。
・周縁部に階段が集中。
・箸が異界との接点となる重要な境界だった。
・妖怪を生み出す素地は、人間の恐怖の想像力とアニミズム(精霊信仰)にある。
・(日本を知るには)ハーンを読むことが一番の良い方法。
・日本の国教は、祖先信仰。
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『心 日本の内面生活がこだまする暗示的諸編』小泉八雲(2024)
・日本は、Capitalの広義の意味での資本も無いのに、生産を続けている。
・日本帝国の軍事的復活は、日清戦争の勝利と共に始まった。
・おそらく将来の危険は、まさにこの途方もなく大きな自信の中にある。
○当時、まさに現在進行形で、日露戦争に向う日本の「空気」が描かれている。
・英語そのものが学生のモラルを低下させた。
・英語は、自分達の「権利」については年中と木ながら、自分達の「義務」については、およそ説くことのない国民の言語である。
○これ、きっついな~。でも確かにそうかも。俺自身は、英語を学んだことで、ある程度、直截的、ストレートなものの言いようを学べた気はする。気を付けないと、英語だと「主張」ばかりが多くなる。
・絶対的な混じりけの無い悪という概念は、極東とは無縁である。
・絶対悪などそもそも人間性になじまない概念。
○こういうことを、二元論(善悪)のキリスト教に触れてきた人が認めるのは、色々な葛藤があったからなんだろうな~。
・神道の道徳的感情の中で、もっとも注目に値するものは、過去に対する愛情のこもった感謝の念である。
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解説
・明治から、大正、昭和を経て、平成に至る間に大きく揺れ動いた観念の一つは、自己犠牲の精神だろう。
・自己犠牲を忘れた個人主義がもたらす悪
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『小泉八雲 東大講義録 日本文学の未来のために』小泉八雲(2004)
・この世のすべての悪徳は、無知の結果である。
・世論と呼ばれるものは、主に文学、想像力と感情による著作によって、作られるのである。
・夢は利用の方法が分かっている人間にとっては、文学の素材がぎっしりつまった宝庫といえる。
・本の内容について、独自の意見を表明できない人は、だれであれ、本当の読書をしている人とは言い難いのである。
・あらゆる発達というものは、必ずや何らかの苦痛が伴うものである。
・自己鍛錬にとって、読むべき書物の適正な選択ほど重要なものはない。
・時という恐るべき試練を経てきた書物。
・良書の鑑定方法は、一度しか読みたくないか、それとも何度も読みたいかということによって決まる。
○比企起業大の本も100年残すために「何度も読みたくなる本」にしたいな~。
・われわれは一度以上読みたくなる本だけを読むべきである。
・文学とは、最も崇高な情緒と最も高尚な感情に対して、言語により可能な限りの訴えかけをすることに他ならない。
・文学創作の原理は、削除と添加から成り立っている。
・本当の幸福を見出すための方法は、自尊心を捨てることである。
・われわれは、いついかなる時でもささやかな出来事を楽しむことができなくてはいけない。
・われわれの身のまわりには、幾千もの美しいひそやかなものが存在している。
○八雲さんは、まさにこういうものを見出し、楽しんできた人なんだろうな~。
・文学作品の創作原理は、一時にたくさんの仕事をしないで、規則的な期間をおいて、少しずつ仕事を続けることである。
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『日本 一つの試論』小泉八雲(1976)
・生きているものが持っているものは、すべて死者からもらったもの。
・村や地方の習慣を破ることは、その土地の氏神を敬う心がないこと。
・非常に大きな特権を持っている人だけが、他人を容易に近づかせない権利をもっていたのである。
・天皇は、たんにある有力な氏族の頭目だった。
○後半の歴史の話も勉強になる。
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○24年1月~12月まで、毎週52回の発信、完了! 今年も良く頑張った!と、自分を褒めよう。
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