○読書会議の課題本+α(4冊)
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『センス・オブ・ワンダー』R.カーソン(著)森田真生(訳とその続き)(2024)
・Sense of Wonder 驚きと不思議に開かれた感受性
・これまで見逃していた美に目を開く方法の一つは、自分にこう問いかけてみること。
「いま、これを見るのが、人生で初めてだとしたら?」
「もし、これを二度と見ることができないとしたら?」
○これほんとそうだよな~。最近「旅記録」をつけ始めたのも、これに重なる。
・一緒に再発見していってくれる、少なくとも一人の子どもの助けが必要。
・知の弱さは、矛盾を許容できないことである。
・未完成なものの魅力は、それが閉ざされていないことだ。
○これは、出雲大社の権宮司さんもいってたことにつながるな~。
https://www.learn-well.com/blog/2024/12/izumo-fieldwork_2412.html
>・数字の八は、未完。十は、完成。完成すると、先がない。未完だからこそ、続く。完熟の先は腐敗。未熟の先は成長。
・目当てのものを見ようとするより、むしろ見られる感覚のほうが、相手を正確にとらえられる。
・「安全=心配がない Se-cure」だけの空間とは、他者への気配りや心遣いに欠けた空間でもある。
・カーソンの著書を読んでいると、「環境」問題の根っこにあるのも、結局は、人間による環境の「観察の欠如」なのかもしれない。
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『沈黙の春』R.カーソン(1964)
○1章1章、読むのがつらくて、なかなか進まなかった。人間の愚かしさに向き合わされる。
・自然界では、一つだけ離れて存在するものなどない。
・なぜここの自然は、こういう姿をしているのか、なぜこのままにしておかなければならないのか、それは風土そのものに書き記されているのだ。
・選択性スプレーという完全に健全な方法がある。
・自然そのものにそなわる力を利用する。
・健全な植物、動物社会が成り立つ鍵は、多様性の維持ということなのだ。
・生物学的コントロールの研究などを援助すれば、化学工業は自らの首をしめることになる。
・1945年~46年の日本と韓国でのシラミがりで、DDTが使われた。
○白い粉を振りかけられている写真、あったよな~。
解説
・天敵の利用、害虫を駆除するに別種の生物を導入する方法にしても、自然界のバランスの破壊であることには変わりない。
・このようなジレンマこそ、人間の文明にそもそもの最初から潜んでいたもの。
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『数学する身体 すうがくするしんたい』森田真生(2015)
・学びとは、はじめから自分の手許にあるものをつかみ取ることである。
・教えることは、相手がはじめから持っているものを、自分自身で掴み取るように導くこと。(ハイデッガー 1962)
・認知のためのリソースが、環境に漏れ出したり、染み出したりする(A.クラーク 2011)
・脳そのものが果たしている役割が思いのほか限定的である。
・仕事の大部分を、身体や環境が担っている場合も少なくない。
・マグロは、周囲の水を、泳ぐという行為を実現するためのリソースとして生かしている。
・周囲の環境と対立し、それを克服すべきものととらえるのではなく。
・「万葉の歌人等は、あの山の線や色合ひや質量に従って、自分達の感覚や思想を調整したであらう。小林秀雄」
・生物が体験しているのは、その生物からは独立した客観的「環境」ではなく、生物が行為と知覚の連関として自らつくりあげた「環世界(Unwelt)」である。フォン・ユクスキュル
○『暇と退屈の倫理学』でも引用されていたマダニの話。ほんと衝撃的。
・身体を使って数を扱う人間にとって、十進法がたまたま運用上、最も合理的であった。
・「大きくなる力はむしろ種子のほうにある」
・「数学は零から」(A.ヴァイユ)「零までが大切」(岡潔)
・無心から有心に還る。その刹那に「わかる」
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『春宵十話 しゅんしょうじゅうわ』岡潔(2006)
○森田さんの本を読んで、読みたくなった本。うちの本棚に積読になってた。
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