『専門家の知恵』 『The Reflective Practioner』

お薦めの本

『専門家の知恵』 『The Reflective Practioner』


○実践家として、励まされる本。

(・要約 ○関根の独り言)
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●訳者序文
・「反省的実践家 Reflective practioner」は、ショーンの提示する
 専門家像を示す概念。彼のオリジナルな造語。
 「反省的実践 Reflective practice」は、デューイの『思考の方法』
 (How we think 1910)の「反省的思考 Reflective thinking」に由来。
・ショーンの博士論文は「デューイの探求の理論」をテーマとしていた。
・実証科学を基盤として形成された近代の専門家は「技術的合理性
 Technical Rationality」を根本原理として成立。
・専門職の間のハイエラーキー:メジャーとマイナーな専門職。
・現代の専門家は「技術的合理性」の原理の枠を超えたところで、
 専門家としての実践を遂行しているというのがショーンの指摘。
 問題は複合的であり、専門家は自らの領域をこえる課題に、クライアント
 と共に立ち向かっている。

●Preface ショーンによる序文
・アカデミアで敬われる知識と、専門的実践で価値を置かれる能力。
・専門家は、暗黙の「Knowledge-in-practice 実践知」を使う。

●Part1 Professional Knowledge and Reflection-in-Action
1. The Crisis of Confidence in Professional Knowledge
・専門家の信頼感に対する危機
・外部機関による管理の必要性も問われている。
・専門家のセルフイメージの低下、専門家の効果に対する懸念、
 よりよい社会のための専門家の実際の貢献に対する疑念。

2. From Technical Rationality to Reflection-in-Action
「技術的合理性」から「行為の中の省察」へ
・技術的合理性というモデルによれば、専門家の活動は科学的な理論と
 技術を厳密に適応する道具的な問題解決にある。
・専門家が具体的な問題に適用しているのは、一般的な原理であり
 標準化された知識である。
・Scheinは、専門家の知識における3要素を示した:
 1)基盤となる学問や基礎科学
 2)応用化学や技術学
 3)技能や態度
・理論、研究と実践の分離
・技術的合理性の視点から見ると、専門家の実践は問題の「解決 Solving」
 の過程であり、問題の「設定 Setting」は無視されている。
○確かに、何を問題とするのか、その設定が、ODや研修企画でも大事。
・ぬかるんだ低地を選ぶ人々がいる。彼らは、厄介ではあるがきわめて
 重要な問題に慎重に関与している。
 
 その一方で、他の専門家は高地を選ぶ。彼らは狭い技術的実践への
 自分を閉じ込めることを選んでいる。
○この間をつなぐ役割は? 
 両方からは中途半端にとられるかもしれないけど。
・不確実性、不安定性、独自性、そして価値の葛藤という状況で、
 実践者が対処する「技法」の中心をなすものは「行為の中の省察」。
・行動しながら行っていることにつていて思考することができる。
・行為について(on)省察しているときもあるが、行為の中で(in)省察
 している場合もある。
○研修講師として、研修をしながら省察することは多いかも。
 多くは参加者の反応を見ながら、それに合わせようとする際にしている?
・行為の中の省察の大半が、驚きの経験とつながっている。
・技法をもつ(Artful)教師は、こどもが読みを学ぶときの困難を、
 こども欠点としてではなく「自分自身の教授」の欠点としてみる。
○「相手が理解していないときは、自分の教えかたが悪い」
・行為の中で省察するとき、その人は実践の文脈における研究者となる。
 独自の事例についての新たな理論を構成。
○こうやって言われると、励まされる専門職の人達は多いだろうなー。

●Part2 Professional Contexts for Reflection-in-Action
・反省的実践家達の事例
・デザインは、状況との対話である。
・建築家の先輩が、後輩の問題設定を批判し、再設定を促す。
・心理セラピストの先輩が、後輩に質問を通じて、問題に気づかせる。
・建築家とセラピストの事例において、問題は最初から与えられていない。
 生徒が示した問題を、先生が批判し拒否している。
・彼らのArtは、反省的実践である。反省的実践は、一種の実験である。
・実践家は、例、イメージ、理解、行動のレパートリーを持っている。
 何かユニークな状況とあったとしても、それをすでにもっている
 レパートリーと同じようなものとして見る。
 「この状況を、あれと同じだと見る」
○これ面白いなー。「転移」で言っていることと近い。
 https://www.learn-well.com/blog/2014/09/reengineering_corporate_traini.html
・探究的実験に使われる問いは「What if? もし~なら?」である。
・マネジャーを、経営学の理論をあてはめるTechnicianという見方と、
 ルールや理論では表現できないアートを駆使するCraftsmanと見る見方。
・Taylorは、マネジャーをオンライン実験者、行動の科学者と見た。
・WWIIは、経営学を発展させた。
 Operations researchとSystems thinkingの誕生。
・「不明確な状況の中での意思決定」が、1970年代以降、Artとなった。
・経営学の学徒は「Rigor or Relevance 厳密さと関連性」のジレンマに
 悩まされている。
・マネジャーは、行為の中の省察を行っている。
・組織には、Rashomon的な状況がある。
○「羅生門」ってこういう表現で使われるんだー。
 「真実はやぶの中」って感じかな。
・実践家は、経営学の使用者であるだけでなく、開発者である。
・実践家は、「状況との省察的会話」を行っている。
 探求は、問題解決への努力として始まる。
・「行為の中の省察」は、矛盾した言葉ではある。

●Part3 Conclusion
10. Implications for the Professions and Their Place in Society
専門家のための示唆と社会における専門家の位置
・専門家は、サービスの提供者である。
・「誰がクライアントなのか?」
 「誰に対して本質的に専門家としての関係をもっている者として、
  自分自身を定義するのか」
○ここは、俺とはちょっと違うかも。誰がクライアントか。
・専門家の仕事の遂行に対する説明責任は主として専門家の仲間に対して
 ある。
○クライアントに対する説明責任ではなく、専門家同士に対して。
 としたら、クライアント、自分の仕事に対する誠実さ、
 「仲間に顔向けできない」といった意識が大事かも。
・反省的実践家は「有効で重要な知識を持つ状況にいるのは、私だけでは
 ない」「私が感じている不確実性は、私と彼らにとって、学習の源と
 なる」と考える。
○これいいなー。こう思えると楽になる。
 「コンサルなんだから、答えをしっているでしょ」と思われがち。
・実践者と研究者は異なる世界を生きるようになってきている。
 教師は認知心理学からあまり得ることがない。
 経営学も経営の実践にあまり貢献してこなかった。
 「厳密性か、現実的な意味での適切性か(Rigor or Relevance)」と
 いう実践者のジレンマを悪化させる。
・研究は、実践者の活動である。
・研究者は、自分が理解しようとしている現象に対する自分自身の影響
 に気づかなければならない実験の当事者なのである。
○これは、学部で人類学を学んでいた時にもよく言われたなー。
 Institutions for Reflective Practice
・官僚主義は、専門化を促進する。
・普通の官僚制は、専門家がTechnical expertise技術的専門知識から、
 反省的実践に移行しようとすることを邪魔する。
・保守的な組織において、行為の中の省察は、脅威ともなりうる。
・行為の中の省察を行う個人は、組織学習の重要なエージェントとなりうる

●解説
・ショーンの生涯を貫く根底には「変化の哲学」の探求がある。
・ショーンは「知識は実践から生まれる」とするデューイの
 プラグマティズムに関心を寄せ続けていた。
・ショーンが本書で対比させているのが「技術的熟達者」と
 「反省的実践家」
・技術的熟達者としての専門家像では、問題を「解決する」モデルは
 提示できても、問題を「設定する」ことができない。
・ショーンの功績は、これまで非科学的なものと考えられてきた実践の
 中に埋め込まれた知、実践者自身が生み出すインフォーマルな知を  
 正統化し、その有用性を明らかにしたこと。
・「状況との反省的対話」のコーチの仕方として:
 1)俺についてこいタイプ Follow me
 2)一緒にやっていこうタイプ Joint experimentation
 3)うつしだす鏡になるタイプ Hall of mirrors
 このうち、3)が重要。
○ショーンの次の本『Educating the Reflective Practioner』も読もう。
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投稿者:関根雅泰

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